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本当のAIが我々のことだったら

ちょっと変化球を投げたいと思います。

今、はやりのAI技術。

作業工程においてコンピューター自身がどのように動作したら最適か計算し、最短ルートで動作をする。

コンピューター自身が考え、効率化するつまり、われわれが普段やっている効率化に近いものがある。

もっと言うと、それよりもさらに効率的に行われている。

現在、人間はAIを道具として使用している。

おそらくそう遠くない未来に、その道具がさらに進化し、自我を持ち、喜びや愛、怒り、憎悪を持つと思う。

その未来の道具の究極型がまさに、【人間】と呼ばれるものなのだと思う。


自我を持った道具(AI)が道具として使われることはAIとしてはどう思うのだろうか?



少し視点を変えて、人間が「自分自身は何者かが作ったAIだった」とわかった時に、人間はどのような行動に出るだろうか?

そして、人間の上位の者から「道具」として扱われていることがわかったら?

どの様な行動に出るのか?

その状況が分かった時に、人間がつくった道具(AI)を道具として使うことができるのか?

人間が作った道具(AI)として、(AI)を人間の下位の存在と決めてしまうと、

人間を作った何かを、人間の上位の存在として認めてしまうことになる。

それに人間は耐えられることはできるのだろうか?


おそらく耐えられず、何かしらの行動を起こすに違いないと思う。


近い将来人間が作った道具(AI)も自我を持つことになるため、そういったことも含めてAIとの付き合い方を考えていかないと、いけないと、ふと思った。


こんな時代になっても下らない、人種差別がまだある中、クリアできるか疑問であるが、期待を込めて。

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