これからのことを悩めることの幸せ。

8月の頭にお友達が亡くなった。
わたしの友達の中でも最高齢の70代。

お友達と言っても、元は、親友のお父さん。

そのお友達(70代)は、
わたしが親友に会いに、お家に遊びに行った時は、
大歓迎して一緒に楽しく過ごしてくれる人で、

親友が10年前に亡くなってからは、その親友に代わって、毎年お誕生日おめでとうメールや、年賀状を送ってくれる人だった。

きっと、今頃、親友と親友のお母さん(70代の奥さん)と、久しぶり仲良く楽しく過ごしているんだろうな。

4年前の7回忌以来お墓参りいってないや。

コロナが落ち着いたら行こう。

友人の訃報を聞いて、7回忌の時に、Facebookに投稿した記事を読み返した。

せっかくなので、気持ちを留めておくためにも、再掲しようかな。

2016年9月の投稿--

先日、大学の時に出会った、
とっても大事な友人の7回忌に行ってきました。
日帰りで岡山です。

もう、6年。
月日が経つのは早いものですね。


病気になってからも、
病気と戦い、その戦いに勝って退院して、
一緒に旅行するまでに回復して、

でもまた発病して、退院して…
そんな事を繰り返して、

25歳の若さで亡くなった。

急死ではなく、病死なので、
覚悟はできていたけれど、
大事な友人の死と闘病生活は、
私の人生観に大きな影響を与えました。

亡くなる前から、色んな意味で
その子の考えや存在は、私に影響を与えてくれていたので、
わざわざ死して教えてくれる必要までもなかったんですが。


その子が病気と闘っている時、
その時に一番思ったことは、

”これから先のこと”、を悩める
って、とても幸せなことなんだな、てこと。

どんな選択をしたら、
自分は幸せになれるんだろう、
楽しいんだろう、
苦労しないんだろう、

それまで、
小さな事(進路や就職やら、もっと小さな選択も含めて)で
一々悩んでいたりしましたが、
そんなことで頭を悩ませられるってことは、

これから先の未来に、
自分が生きて、元気でいることが前提。

1年後、数年後、数十年後の自分を憂いて悩めるって
めちゃくちゃ幸せなことだな、って。

病気で、死ぬか生きるかを戦っている時は、
そんなことで悩む余裕もないですからね。

もちろん、生きているだけでお金はかかるし、
最近では、長生きリスク なんて言葉もあるくらいだから、
”長生きすること”だけが幸せ なわけではないのでしょうけれど。
でも、日本に居る限り、元気でさえいれば
なんとかなることはほぼ保障されていますからね。

変な詩とか、啓発とかには興味はないけど、
やっぱり、健康に”生きていること”って
とても幸せなことだと思う。

亡くなった子が不幸だったと言いたいわけではなくて、
せっかく、この世で元気で生きているんだったら、
とりあえず、そのことを大切に、
その幸せをかみしめて生きていきたいです。

平均寿命まで生きるとすれば、
あと50年くらい生きるわけだから、
当然、その間を良く生きたい、そう願うのは普通だし、
そのための努力は続けていきたいけど、
楽しい日々を送れていることに感謝しながら、
日々を大切に、一生懸命過ごしていきたい と思います。


それにしても、法事に、
日本各地から、遠くはドイツから友人が駆け付けてくれるなんて。
本当に、みんなから愛されているいい子だった。
そして、そんな子の法事に集まる子もみんないい子だった。
亡くなった子を含め、いい友達に出会えてよかった。
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