『敗者髪切りマッチ』

 美人女子プロレスラーのSAYURIは、とある団体のエース格として活躍していた。何度もシングルやタッグのチャンピオンになり、グッズの売り上げも上々だった。人気、実力ともに申し分なかった。

 SAYURIの人気の一つは、長いポニーテールを振り乱して闘う姿にある。激しい試合になると、ポニーテールがほどけることもあるが、これがまた男性ファンのハートを掴む。それを十分に分かっているSAYURIは、髪を短く切ることもなく、ポニーテールを維持していた。

 そんなSAYURIにライバルが現れた。タランチュラと名乗るそのフリーのレスラーは、ヒールだが強さは一級品だ。技は切れる上に、反則攻撃も度を超えていた。

 体格を生かしたパワフルな攻撃に加え、椅子、竹刀、ヌンチャク、時にはフォークまで持ち出して、後輩たちを次々と血祭りにあげていった。

 タランチュラは若手を皮切りにトップどころを次々に倒し、とうとうSAYURIの持つシングルベルトに挑戦してきた。ここで私が負けるわけにはいかないと奮闘するも、大流血に追い込まれ、最後は食らったことのない関節技(タランチュラ・ロックと命名される)で失神KOされてしまった。

 1ヶ月後、前王者であるSAYURIの希望が通り、リターンマッチが組まれた。ここでタランチュラは珍しく、一切反則をせずに向かってきた。一進一退の白熱の攻防が続いたが、ここでもまたあのタランチュラ・ロックで負けてしまった。

 試合後、リング上で事件が起きた。

 タランチュラがマイクを取った。
「おいSAYURI、今回はお前が大嫌いな凶器は使わずに勝ったぞ!」
「……」
「私は凶器なんか使わなくても勝てるんだよ。おい!この団体は弱い奴しか
いないのか?」
「次…次やったら絶対に勝ってやる!」
「威勢はいいが、お前はこの私に二度も負けているんだぞ。そう簡単にお前の挑戦なんか受けてたまるかよ!おい、ほかにこのタランチュラに挑戦してくる者はいないのか?」
 沈黙が続いた。普通ならばここで誰かが名乗りを上げるものだが、頼りのSAYURIが連敗し、他の所属レスラーも怖気づいてしまったのだ。
 
 ここで誰も行かないと、タランチュラに制圧されてしまう。私が行くしかない!SAYURIが沈黙を破った。
「タランチュラ、さっきお前は『簡単に挑戦は受けない』と言ったな。じゃあどうしたらもう一度、私の挑戦を受けるんだ?」
「そうだな…今回私はこの大切なベルトを賭けた。お前に何か賭けるものはあるのか?」
「…」
「もうないだろうな…いや待てよ、一つあるじゃないか。お前にも賭けるものが。」
「?」
「それだよそれ。」
 そう言って私の頭を指さした。
「まだ分からないか。鈍い奴だな。お前の髪だよ。か・み・の・け!」
「!?私の髪?」
「そうだ。お前はその長い髪を賭けて戦え。次にお前が負けたらリング上で髪を切れ。もちろんバリカンで丸坊主だ。それでもいいなら挑戦を受けてやる。」
「そんな…」
「どうする?次は勝つんだろ?それとも自信がないか?この私に2回も負けているんだからな。まぁわざわざ坊主にされにリングに上がる奴もいないよな。」
「そんなことない!やってやる!お前のベルトを奪って、この髪も守ってやる!!」
 売り言葉に買い言葉、思わず受けてしまった。
「おい、客ども!聞いたか?お前らの大好きなSAYURIちゃんは、髪の毛を賭けて、このタランチュラとタイトルマッチだ。まあせいぜい楽しみにしておけ。それからSAYURI、言ったからには逃げるなよ!ククク…」

 大変なことになってしまった。お客さんの前で言ってしまった以上、覆すことは難しい。ここで嫌と言えば、逃げたと思われるだろう。今後のプロレスラー生命にも関わってくる。 

 その後団体には抗議の電話が何件か入った。美人レスラーの髪を賭けてもいいのか、ファンの間でも賛否両論だった。しかし会社としては経営が厳しい中、確実にチケットが売れる敗者髪切りマッチをしないわけにはいかず、遂に決定した。この試合は3ヶ月後、大きな会場で行われることになった。団体として、久しぶりのビッグマッチとなる。
 
 私は思った。当然お客さんには、私のベルト奪取を期待する人もいれば、私が丸坊主にされるのを楽しみに来る、残酷な客もいるだろう。しかしそうやすやすと、デビュー以来伸ばしてきた髪を失う訳にはいかない。

 髪に関しては、忘れられない思い出がある。

 高校を卒業してこの団体に入門した時、髪を切らなければならない事を告げられた。新人3人で先輩に連れられて行ったのは、美容院ではなくまさかの床屋だった。初めて入る床屋で所在無くソワソワしていると、先輩が理容師に話し、まず一人が椅子に座り、ケープがかけられた。どれ位切られるかは教えられていない。しかし床屋だし、短くされることは間違いないだろう。

 1人目の子の長い髪が、ブロッキングされることもなく、バッサリと首筋で切られた。呆気にとられていると、理容師のハサミは止まらず、どんどん短くされていく。耳も出され、運動部の子のようなショートにされた。これで終わるかと思ったら、理容師はあろうことかバリカンを準備した。
 その子はえっ?という顔したが、強引に下を向かされて、襟足にバリカンが入った…。まさかこのまま丸坊主にされるかと思ったが、そうではなかった。しかし刈り上げにされている。バリカンが通った跡は、髪がほとんどなくなり地肌が見えた。刈り上げの女の子は見た事があるが、目の前で刈り上げにされるのは初めて見た。ショックだったが、バリカンは進み、耳周りの髪も刈り上げていった。
 バリカンの音に交じり、すすり泣きが聞こえてきた。それを聞いてますます絶望的になった。
 その時先輩が怒った。
「髪を切るぐらいでメソメソ泣くな!長い髪は練習に邪魔なだけだ。これから先、もっと過酷な試練がお前たちを待ち受けているぞ。何も坊主にするわけじゃあるまいし、この程度耐えられなくてどうする!」
 その通りだった。髪はそのうち伸びる。この程度は我慢しないと。

 2人目の子は始めからショートカットだったが、それでも短く切られていき、バリカンが入れられ、やはり同じような刈り上げにされた。
 最後に私が椅子に座った。その頃は長めの髪をポニーテールにしていた。ゴムを外され、私も例外なく短く切られた。ハサミがジョキジョキと音を立て、ショートになった。そしてバリカンが入れられた。
 ゾクッと不思議な感触がした。思っていたよりも上の方まで刈られた気がした。耳周りを刈られた時は、バリカンのカタカタという音が耳障りだった。ショートにしたのは人生で初めてだったし、ましてやバリカンも初体験だった。
 終わってから襟足を触ると、先程までのサラサラした髪はそこになく、ザラザラしていた。あぁ、刈り上げになっちゃったんだなぁ…。
 そして先輩は追い打ちをかけるように言った。
「いいか、デビューが決まるまでは、髪を伸ばすのは禁止とする。刈り上げを維持するように。また、今後はいちいち床屋に行くのは時間がもったいないから、先輩がお前らの髪を切る。」
 デビューまでバリカンで刈り上げにされ続けるのか…気が重くなった。でもこれは、裏を返せばデビューしてしまえば良いのだ。一日も早くデビューし、また髪を伸ばそう。そしてSAYURIは猛練習に励んだ。        
 1か月に1回は、先輩に道場のバリカンで髪を刈られた。下手な先輩に当たると不格好な、ただ刈っただけの刈り上げにされた。その度にトイレで泣いた。悪いのは先輩ではななく、デビュー出来ない自分だ。辛抱して練習を続けた。
  また、懲罰でも髪を刈られた。門限破りをした練習生は、ほぼ坊主に近いスポーツ刈りに刈られた。その子は次の日、辞めていった…。

 だから、デビューが決まった時は嬉しかった。もう髪を切らなくていい。自由に伸ばせる。その後デビュー以来6年間、髪は一度も短く切ることはなく伸ばし、今は腰まで届くロングヘアになっている。
 しかし今度はその髪を賭けて戦う。しかも負けたら丸坊主だ。刈り上げとはわけが違う。リスクはあまりにも大きいが、やると決まった以上、勝つしかない。勝てば良いわけだ。ベルトを取り戻し、女の命を守らなくてはならない。

 試合が決まってからの3か月は、今まで以上にトレーニングに熱が入った。何が何でも勝たないとけない。いつまでもフリーのヒールにリングを荒らされてはいけない。私がここで止めないといけない。
 だが気を抜くと、恐ろしい考えがすぐに浮かんだ。もし負けたら今度はあのバリカンで丸坊主にされる。しかもリング上で。怖い。それだけは嫌だ。この思いを振り払うように練習に打ち込み、新技も開発した。

 最後の前哨戦が髪切りマッチ3日前に行われた。デスバレーボムを改良した新技を決めて、初めてタランチュラから完璧な3カウントを取った。
試合後私はマイクを取った。
「おい、タランチュラ、3日後もお前からフォールを取って、ベルトを奪ってやる!」
「今はせいぜい吠えておけ。前哨戦なんかいくら負けてもいいんだよ。本番さえ勝てればな。ところでSAYURIさんよ、私に新技を見せて良かったのかな?ククク…」
「今日は私の勝ちだ!ベルトを磨いて待っておけ!」
「お前のその髪もあと3日の命だ。3日後には、このバリカンでお前の髪を刈ってやるからな。せいぜい大切にケアしておくんだな!」そう言ってバリカンを見せつけた。
 一瞬坊主になる自分を想像し、震えた。確かにタランチュラの言う通り、新技は取っておいた方が良かったのかもしれない。しかし精神的に優位に立つために、また技の恐怖心を植え付けるためにも、敢えてかけてみた。この試みが吉と出るか凶と出るかは分からないが―。
 
 試合の前日、いつものようにシャンプーをした。この髪を失うわけにはいかない。明日もこうして長い髪を洗うのだ。無意識に、いつもより念入りにシャンプーしていた―。

 その晩夢を見た。試合で失神し、気づいたらバリカンで髪を刈られる寸前だった。夜中に飛び起きた。咄嗟に頭を触り、髪があることを確認してホッとした。

 迎えた試合当日。大きな会場で、団体始まって以来と言ってもいいほどお客さんが入った。目当てはもちろんメインの髪切りマッチだ。
 前座の試合が進み、会場のボルテージも上がっていき、いよいよメインイベントになった。黄金のベルトを獲得するか、髪を失うか。一か八かの試合が始まった。
 SAYURIは珍しく奇襲を仕掛けた。大体奇襲は格下のレスラーかヒールが仕掛けるものだが、なりふり構ってはいられなかった。だが奇襲に成功したのもつかの間、場外戦に持ち込まれると、タランチュラ陣営のセコンドも介入し、あっという間に形勢が逆転した。
 前回のタイトルマッチとは違い、今日のタランチュラはいつものヒール殺法全開だ。セコンド介入、各種凶器攻撃に加えて、重い技が何度も炸裂した。そしてSAYURIを二度沈めたタランチュラ・ロックが決まった。手足の自由を封じるもので、逃げようがない。
 薄れ行く意識の中で、SAYURIは何とか気持ちを奮い立たせた。駄目だ!ここで諦めたら髪を失う!死に物狂いで体を動かし、何とかロープに逃げた。
 そしてSAYURIの反撃が始まった。エルボーをガンガン叩き込み、鋭いハイキックがこめかみに決まった。グロッキーになったタランチュラに、満を持して改良デスバレーボムを放った。
 その瞬間、タランチュラがニヤリと笑ったように見えた。カウント2.9―。完璧に決まったかに見えた必殺技が、ほんの少しポイントを外されたのが分かった。決め技を返されて、間が出来たSAYURIを見逃さず、ここからタランチュラが蘇生した。次々に大技を決められた。何度も頭から叩きつけられて、SAYURIの意識は飛びかけた。
 そして全体重をかけたボディープレスを食らった。半失神のSAYURIを無理やり起こして、とどめの高角度パワーボム。SAYURIにもう返す力は残っていなかった。ゆっくりと3つマットが叩かれ、SAYURIの負けが決まった。
 タランチュラは勝ち誇り、マイクを握る。
「ざまぁみろ!これで分かったか!これが現実だ。お前は私に勝てないんだよ!!」
 ブーイングと歓声がこだまする。そしてマイクを続ける。
「さて、お楽しみの時間だ。約束通りここで坊主になってもらうからな。客ども、これが楽しみで来たんだろ?」
 悲鳴に近い絶叫、怒号、会場はハチの巣を突いたような大騒ぎだ。
「おい、バリカン持ってこい!」
 この言葉で私は完全に意識を取り戻した。そうだ、私は負けたんだ。これから髪を切られる…嫌だ、逃げ出したい!

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