『伝説の剣道部 前編』 

〈登場人物〉
主人公:斎藤千里 
同期のライバル:坂本美枝 
監督:菊池芳江 
主将:竹下雅代 
副主将:大里由香
 
 中学生剣士にとって最高の舞台、中学総体個人戦の決勝戦。私の相手は県下に名が知れた強豪、坂本美枝。何度も苦杯を舐めさせられた相手だ。

 試合は壮絶なものとなった。互いに打ち合うが決着はつかず延長戦へ。そこでも打ち合い、僅かな差で私の面が勝った。拍手が鳴り止まず、「大会史上最高の名勝負」と言われた-。

 今まで厳しい練習に耐えてきた。もう剣道は程々にしよう。高校では剣道以外のことにもチャレンジしたい。そう思っていた矢先、剣道の強豪校の監督がスカウトに来た。

 短く刈り上げられた髪を見て、初めは男性だと思ったら、女性だった。先日の決勝戦を観戦し、素質を見出し、ぜひとも我が校へ、とのことだった。

 最初は断った。総体で優勝し、もう剣道はいいかなと思うと正直に話した。監督はそれを否定することなく聞いてくれた。
「そう、それも有りよね。でも何か一つに打ち込むことが出来るのは、学生時代にしか出来ないことなのよ。それと残念ね。あなたは私が見てきた中で最も素質のある子なのに。鍛えれば高校日本一も夢ではないのに。」と言われた。また、
「そうそう、決勝で闘った坂本さんは、うちに来ることを快諾したわよ。」と付け加えた。
 一瞬心がザワッとした。

 家に帰って両親に相談した。いろいろ話し合い「最後はあなたが決めなさい」と言われた。

 小さい頃から取り組んできた剣道。今まで辞めようと思ったことは何度もあったが、今日まで続けてきている。こんな私から剣道を取ったら何が残るのか。それを考えるとゾッとした。それに、やっぱり私は剣道が好きだ。『剣の道を究める』なんて大それたことは考えないが、突き詰めていったら何かを見つけられる、そんな気がした。

 私は監督の誘いに乗ることにした-。

 入部式。坂本さんの姿があった。だが笑顔はなく、私への敵意がむき出しだった。

 部活の規則はいろいろ厳しいが、それは人としての基本を守るためのものであり、理不尽なものはなかった。挨拶、道場での振る舞い、目上の者への礼儀など。一つ気になっていた髪型だが、特に決まりはないと言われてホッとした。中学の剣道部の友達はショートの子が多かったが、私はポニーテールで過ごしていた。剣道をしていない時は普通の女の子でいたい。だからお洒落も楽しんでいた。

 だが、先輩たちを見てみると、長い髪の人は少数派だった。大抵はショート、中には監督よりも短い、いわゆるスポーツ刈りの人もいた。その人が主将だと紹介された。

 私は最初、舐めていた。いくら強豪校とは言え、中学日本一の私がそう簡単に負ける訳がない。それだけの自信があった。

 そんな私の態度を見透かしたのか、入部して一週間も経った頃、主将と試合をするよう監督に命じられた。始まると、ゆったりと構える主将に気圧された。私の動きを見てから動いた主将に、あっという間に面を決められた。その後は何をやっても歯が立たず、試合が終わると立てなくなっていた。

「斎藤さん、どう?高校生の実力は。」
「参りました…全く歯が立ちませんでした…。」
「あなた、舐めてかかっているでしょう?」
「そんなことは…。」
「私の目は誤魔化せません。あなたの練習態度を見ていれば分かります。そんな気持ちでいるようであれば、即刻剣道部を出て行きなさい!」
「そんな…すいません…これからは心を入れ替えます…。」
「そう…本当ね?」
「はい…。」
「ならば形に表してみなさい。」
「形に表す?」
「例えばその長い髪を切ってきなさい。」
「か、髪をですか?」
「そう。うちは確かに髪型は自由だけど、全国の強い剣士は皆髪を短くしています。そういうところから変えないとあなたはダメよ。…そうね、ただ短く切るんじゃなくて、刈り上げにしてきなさい!」
「刈り上げ…。」思わず髪に触れた。
「今日の帰りに切ってきなさい。これは監督命令です!」

 刈り上げにしてこいだなんて…どうしよう。拘りのポニーテールが出来なくなっちゃう…でも切らないといけないし…悩んでいるうちに、美容室に着いた。大きく深呼吸をしてから入る。

 いつもは毛先を整えるだけだから、別に緊張することはない。けれど今日は違う。バッサリ切らないといけない。丁度中学生ぐらいの子が髪を切っていた。美容師さんはバリカンを持ち、その子の後ろに立つ。産毛を剃るのかと思ったら、その子は下を向かされて、バリカンが襟足に入った。…あの子刈り上げにするんだ…。ブイーンと音を立てたバリカンは、後ろの髪を短く刈り上げていく。やがて芝生のようになった後頭部が現れた。

 あっけに取られていた時に、私の名前が呼ばれた。
「こんにちは。今日はどうするの?」
 言わなきゃ…刈り上げのショートにって言わなきゃ…。
「あの、シ、ショートカットしに下さい。」
「いいの?こんなに綺麗に伸ばしているのに。」
 そう言ってポニーテールを触る。
「い、いいんです。運動部に入ったので…。」
「あらそう。大変ねぇ。じゃあバッサリいっちゃうけどいいわね?」
私のポニーテールを持って美容さんは言う。
「は、はい。」
 刈り上げて下さいって言えなかった…後で言えばいいか…。

 ブロッキングをし、一気に首元で切られた。あっという声が出るが、美容師さんは構わずに切って行く。すぐにボブにされ、今度は全体を切られる。こうやってショートになっていくんだ…しばらくはポニーテールが出来ない…なんだか悲しくなってきた。
「耳は出すの?」
「あ、いえ、出さないで下さい。」
 
 耳を出すなんて恥ずかしい。あ、でも刈り上げにしたら出さないといけないのかな…?すると美容師さんはハサミを置き、バリカンを持ち出した。
「襟足を整えて行くから、下を向いてね。」
 言わなきゃ…襟足を刈り上げて下さいって…でもさっき見た光景が浮かぶ。あんな風に刈られたくない。バリカンが襟足に当たる。ゾクッとした。今なら間に合う…何度もそう思っているうちに終わっていた。

 鏡を見せられると、別人になっていた。先輩たちよりは長いが、それでもさっきまでとはまるで違うショートカット。似合っていなかったのが、よりショックだった。

 次の日。剣道場に行くと先輩たちはえっ?という顔をした。そしてすぐに監督に呼ばれた。
「斎藤さん、昨日私はなんて言いましたか?」
「髪を切ってきなさいって…。」
「刈り上げにしくるようにって言ったわよね?」
「はい…。」
「なんでしてこなかったの?」
「それは…その…。」
「大方刈り上げが怖くなったんでしょう?」
「…」
「仕方がないから、ここで切ることにします。」
「ええっ!ここでって?」
「そこに座りなさい。」
 有無を言わさず椅子に座らされると、ケープをかけられる。監督はガチャガチャとバリカンを準備している。今から…髪を切られるの…?
「ほら、下を向いて。」
 ぐいっと頭を抑えつけられ、大きな音を立てたバリカンが襟足に入る。
「いや!止めて下さい!!」
 しかし監督は構わずバリカンを進める。ガリガリと音を立てて、後ろの髪が刈られたのが分かった。

 あまりのショックで声も出せなかった。初めてのバリカン。冷たい感触。どんどん刈られていくのを感じた。私の髪、どうなっているのだろう。昨日見た子みたいにされているのかな…どこか他人事のように感じていた。

 後ろが終わると頭を戻され、耳周りにもバリカンが入れられた。大きな音が耳に響く。それに少し痛い。何とか泣かないよう耐えた。

 監督がバリカンを置き、ブラシで髪を払う。そっと襟足に触れてみる。髪がない…ジャリジャリしている…。
「短い…」思わず呟いた。涙が出てきた。少ししてから監督が口を開いた。
「私が高校生の時はね、五厘刈りにしていたのよ。」
「五厘刈りって…丸坊主ですか?」
「そう。それもかなり短い丸坊主ね。当時は女子部員が少なくて、男子に負けたくないって思って、床屋でやってもらったのよ。」
「監督は嫌じゃなかったんですか?」
「そりゃあバリカンが前髪に入った時は、少し後悔したわ。でもそんな甘えた自分と決別したかった。だからやったのよ。斎藤さん、あなたを見ていると、どこか甘いのよ。中学で日本一になったことで、『剣道なんてこんなもんだろう』っていうのが見えるのよ。」
「…」図星なだけに何も言えなかった。続けて
「本当はあなたもこの場で坊主にしたい。そうすればお洒落なんか考えず、剣道に打ち込めるからね。さすがにそれはしないけど。」

 私は何も言えなくなっていた。バリカンで刈り上げにされたことのショック、監督が丸坊主にしていた衝撃、それに『本当はあなたも坊主にしたい』という言葉。頭が整理出来ないまま、練習に参加した。

 練習の間中、ずっと刈り上げられた襟足が気になった。バリカンの感触も残っていた。しかしそれ以上に、剣道を甘く見ていた自分に気づいた。

 帰り道でも考えていた。こんなことではいけない。自分の甘さを捨てないといけない。でもどうしたら…ふと気づくと床屋が目に入った。私も…やってみようかな…しばらく立ちすくんだ後、意を決して床屋のドアを開けた。客はおらず、すぐに散髪椅子に通された。
「いらっしゃい。女の子とは珍しいね。顔剃りでもするの?」
「いえ、カットをお願いします。」
「今でも随分短いけど…?」
「あの…五厘刈りにしてもらえますか?」
 言ってしまった。監督が出来たのだから自分にも出来るはず。それに甘い自分と決別するためには、これが一番いい。
「五厘刈りって、短い丸刈りだけどいいの?女の子なのに。その刈り上げも悪くはないよ。」
 おじさんは優しくそう言ってくれた。けれど
「いいんです。私剣道をやっていて、今のままじゃ駄目だと思って。気合を入れるためにも、お願いします!」
「分かったよ。そこまで言うのならガーッとやっちゃうね。」

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