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社会性、社会派、犯罪はそれとリンクしない

北海道警察不祥事 【風俗嬢と覚醒】CORONA・LOTION(b)

(読み物)として面白い話し、程度で引用掲載した。おそらく、この手の記事はnoteではドン引き毛嫌いされる。

古くは「木嶋佳苗」殺人事件が社会を震撼させたが、被告はいま収監中で元気?のようだ。

それとこれの犯罪性は全く関連しないが、人間世界の「吹き溜まりスペース」拠り所として、同じカテゴリーに属する人間恥部として、避けて通れない臨床心理学だが、ことnoteに限定して、避けるきらいがある。

昨日、私心ポリシーとしてのアプローチを「CORONA・LOTION」として括ってリテラシーを展開すると書いたが、それを宣言した矢先に、この記事を書く門戸が開放されたような気がする。それは先ほどの「木嶋佳苗」練炭殺人事件と同様に、人の悪琴線をやたらに鳴らす、という不埒さ、が人間には不可欠要素なのではないかとおもったからだった。

「木嶋佳苗」練炭殺人事件、その事件をまったく知らない世代も増えていることだし、それについて少し解説しておこう。

「木嶋佳苗」被告の生い立ち~2012年2月20日 記事~
2013年12月16日 →2016年4月5日(再編集) 過去の事件で、いまだに閲覧のある記事の筆頭に「木嶋佳苗事件」がある。すでに4年が経過しているが、猟奇的、そして衝撃的な事件として脳裏に残る。それは私だけのことではなく、世間の多くの人がそう思ったに違いない。その後にも、世間を騒がせた大事件はあったが、この「木嶋佳苗」のキャラに勝るものがない。それほどに、人々の印象に与えた影響が大きい。

事件解明の罪名を明かせば、「練炭殺人事件」で数人を殺害したという罪が確定している。にもかかわらず、その前代未聞の手練にもかかわらず、それ以外の話題で、「女」木嶋佳苗の存在が、歴然とある。その理由を漁ってみたが、ひとえに猟奇的「真相を知りたい」という世間の好奇心をそそるような事件であり、また、メディアがそれに一役買った、という図式がある。

それ以来、事件の性格を問うことなく、見聞が拡散するほど、人々はそこに殺到し、リスクを負ったものの利益(獄中出版)となる、といったパターンが出来上がってしまった。今となってはその路線を誰も止められない(昨今のSNS的過激路線がそれらを助長する)。

ここに展開する記事は、木嶋本人が「朝日新聞」記者に託した手記をもとに書かれたものである。その当時の世相として、犯罪者が原稿を外の人間に託す、ということは考えられなかったし、また、それが金になるという意識も働くことがなかった。したがって、ここに留める記事は著作権法からしたら、本来書けない性質のものと思うが、たまたまの偶然で、他のサイトにあったものを転載したものである。

報道の詳細では、一役買ったメディアには、当然ネットの力が絶大であり、これ以降ますます、その期待度が高まると予想される。手記本文の内容については、褒められる筋合いのものではないが、他の類似出版本につきもののゴースト色が一切感じられない。それだけに心情がダイレクトに反映されていると見る。おそらく相当年数が経つと、再評価される手記ではないかと私の恣意的な見解だ。

この権利が「朝日新聞」にあるとは考えられない。あるべきは本人「木嶋佳苗」著作になるが、しかし「死刑判決」の身である。それ以上は触れないこととする。

木嶋佳苗被告(40)、2009年(平成21年)9月に発覚した事件。さいたま地方裁判所における事件番号は「平成21年(わ)第1809号等(詐欺、詐欺未遂、窃盗、殺人)」一審二審で死刑判決を受けている(現在、上告中)。(全文は下記サイト)


それを読んで内容の大まかは理解したはずだ。それとこの「刑事が風俗嬢と覚醒剤漬け」事件に関していえば、類似性もなく相手被告について殺した殺さない、の話しではない。しかし社会は、そこにのっぴきならない事情があって、それを知りたがる性質がある。

個人的に言及するならば、刑事と女被告の薬物犯罪を取り上げて、ことさらデフォルメして書き立てるほどのものはない、と思っているので、通常だったら上げない記事だった。その当該記事、北海道警察不祥事 【風俗嬢と覚醒】は2.3度眼は通して読んでいたが、木嶋佳苗、ほどの衝撃度はなかった。

むしろ、それを取材し記事にした経緯が気になったからである。もちろん薬物(覚せい剤)阻止啓蒙の一環として、社会にアピールする目的もあるはずだった。そんな諸々が心の掻痒としてあったので、記事とした。


【北海道警察不祥事】薬物担当の刑事が風俗嬢と覚醒剤漬けの3カ月
「おれはサツだぞ、一緒なら捕まらない」小笠原淳 2020年06月26日 07:09  記事
記者クラブに属さないながらも、独自の取材で北海道警の不祥事を追っているフリーライター・小笠原淳氏。今回取り上げるのは、薬物捜査を担当する刑事でありながら自ら覚醒剤を使用し、札幌随一の繁華街・ススキノの風俗嬢と覚醒剤漬けの日々を送っていた男性巡査部長(当時46、懲戒免職)の姿だ。
決めゼリフは「俺はサツだ」。今回のレポートからは、強い使命感を持って警察官を志したはずの元巡査部長が、覚醒剤漬けの日々へと堕落していった姿が浮かぶ。

元巡査部長は2018年10月10日、覚醒剤を所持していたとして、覚醒剤取締法違反(所持)の疑いで現行犯逮捕。11月1日に同法違反(所持、使用)の罪で起訴され、翌日に保釈された。
ところが、保釈中の12月上旬に覚醒剤を使用したとして、同法違反(使用)容疑で再逮捕される事態に。札幌地裁は19年2月7日、懲役2年6月、うち懲役6月を保護観察付き執行猶予2年(求刑懲役3年)とする判決を言い渡した。

この前年、同じく薬物担当の警察官が売人への情報漏洩で逮捕され、免職となっていた。同事件の取材で知り合ったその元警察官に連絡をとったところ、今回の容疑者を知っているという。電話の主は、札幌市内の警察署で同僚だったことがあるというその人を「一匹狼のような感じ」と評した。

「ほかの人間とあんまりツルまないんで、何やってるのかよくわからないところがありましたね。一見、チンピラみたいな風貌で悪そうだけど、ほんとに悪いことするようには見えなかった。芯の通ったところもあって、上司に噛みついたりもしてました。ただ、その割には仕事の実績が上がらないんで、みんな『よくやるよねー』『頑張るねー』なんて冷ややかに見てましたね。昇任試験もなかなか受からず、ずーっと巡査部長」。

なるほど、出世と無縁の一匹狼。人知れずストレスが積み重なり、つい薬に手を出してしまった。そんなところだろうか。と思っていたら、それどころではなかった。

逮捕1カ月後の11月初旬、札幌地方検察庁が巡査部長を起訴した。その起訴状に「甲と共謀の上」との記述。共犯者がいたということだ。

さらに1カ月を経た12月中旬、道警が彼の再逮捕を伝えた。巡査部長は最初の逮捕後に保釈され、再び覚醒剤に手を出していたのだ。
これは常習だ。捕まってもやめられなかったところをみると、すでに依存症と言ってよい。それもかなり重度の。

かぶりを振りながら警察発表に眼を落とすと、あることに気がついた。最初に逮捕されたときと2度目に逮捕されたときとで、自宅住所が違う。巡査部長は10月の逮捕当時、妻子とともに札幌市北区の戸建てに住んでいた。この5年ほど前には同手稲区の住宅街に家を持っていたことがわかっているが、再逮捕時の住所はそこでもなく、同豊平区のマンションになっている。妻は仕事を持っており経済的に自立していたというから、本人は別宅でも構えていたのだろうか。

結論を言えば、そのマンションは巡査部長の実家だった。妻は事件直後に愛想を尽かし、事実上家庭が破綻していたのだ。ここで、月額1000円で契約している「ゼンリン住宅地図」のアプリを開いてみる。道警の『報道メモ』に記された豊平区の一画に、巡査部長と同姓の世帯は5軒ほど。おそらくはこのいずれかが薬物再使用の現場だ。さほど広い地域ではないため、一度現場を歩けばある程度は絞り込めるだろう。そう思いつつ、念のため地元の警察OB団体「警友会」の名簿を手繰ってみる。その手が「豊平支部」のページでぴたりと止まった。

再使用現場と同じ住所に、巡査部長と同じ苗字。また二世かよ、と天を仰いだ。

中略

薬物は元巡査部長が手配し、その代金をもっぱら女性が支払っていたという。逮捕当日は、元巡査部長が覚醒剤入りのレターパックを郵便局留めで受け取り、事後に合流してホテルに泊まる約束だった。逢瀬は叶わず、1人は郵便局の前で、もう1人は少し離れた駅の構内で、ほぼときを同じくして警察に身柄を拘束されている。

坂田正史裁判官の質問では、多くの傍聴人の記憶に残ることになるやり取りがあった。

裁判官「警察官と2人で覚醒剤を続けることに、躊躇や後ろめたさみたいなものは」
被告女性「はい。後ろめたさは、とてもありました!」
裁判官「彼のほうは」
被告女性「なさそうでした! 『おれと一緒にいたら捕まらない』と、私を安心させようとしていました!」
裁判官「なぜ捕まらないと」
被告女性「何度も『おれはサツだぞ』と。『サツだからこそ、調査が入ったらすぐわかる。だから安心しろ』って!」

2人が出会うきっかけとなった、薬物売買の掲示板(墨塗り処理は筆者)

面会でも天真爛漫な彼女 「名前、記事に書いて」。歳の離れた刑事とともに薬物に浸っていた日々を、元風俗嬢は天真爛漫な語り口で振り返る。その姿は、小学校のホームルームで発表に立つ学級委員長のようだ。

初公判の翌日、その人が勾留されている女性専用の拘置施設を訪ねた。面会を申し込めば、意外とあっさり会えるのではないか――。予感は的中し、彼女は見知らぬライターの訪問を屈託なく受け入れた。透明な遮蔽版の奥、小窓のついたドアを開けるなり「おはようございます!」の挨拶。少し気圧されながら用件を告げると、まっすぐこちらを見て言った。

「名前、記事に書いてください!」虚を突かれた、とはこのことだ。

眼の前でにこにこ笑うその人は、まだ23歳。実刑判決を受けたとしても、遠からず社会復帰してどこかで生活していかなければならない。実名報道はその際、大きな妨げとなる可能性がある。名前の公表は、控えたほうがよい。その考えを伝えると、いかにも残念そうな声が返ってくるのだった。

「そうですかあ…。あ、本名が無理なら※※でも! それか、**はどうですか! 私、自分の仕事に誇りを持っているので!」

訊けば、※は逮捕前に勤務していたススキノの性風俗店での源氏名、**は一度だけ主役を張ったアダルトDVDでの芸名、だという。

「検索してみてください、すぐわかります! あ、でも彼は嫌がるんですよねー、AVとかソープの話。会ったときから、なんかお父さんみたいな感じの人で…。裁判では『もう会わない』って言ったけど、また会いたいです!」

おいおい。まったく反省してないぞ。「また会ったら、また薬やっちゃうでしょう」と諌めると「ですよねー!」と飽くまで屈託がない。「キメた状態でエッチするのがいいんですよ! あの人の奥さんと子供が留守のとき、自宅に呼ばれてやっちゃったこともありますよ!」

立ち会う女性刑務官の無表情には、感心するばかり。こちらは終始クラクラしっ放しだ。瞬く間に規定の30分間が過ぎ、席を立つ間際に彼女は言った。

「また来てください! なんでも話します! …できれば名前、発表してください」。それから彼女の刑が確定するまで、さらに8回の面会を重ねた。ぎこちない筆跡の書簡も、計4通届いた。その声と筆とを借り、再現してみたい。刑事と風俗嬢との逢瀬の日々を。

元巡査部長は「お父さんのような存在」だった
当人は「早くススキノに戻りたかった」と言う。

AV撮影で東京を訪れたときに覚醒剤を知った風俗嬢は、最初の薬物使用で執行猶予判決を受け、札幌に戻って依存症回復施設に入所した。禁欲的な生活は長く続かず、わずか1カ月で施設を脱走、古巣のススキノで再び性風俗店に職を得て、その3日後に覚醒剤使用を再開するに到る。インターネットの掲示板で売買の情報を集め、海外サーバーを経由したメールサービスで売り手と連絡をとりさえすれば、薬は簡単に入手できた。(部分記事引用以下割愛)



#今わたしにできること





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