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芳一琵琶の「壇ノ浦」

耳なし芳一、壇ノ浦物語 

むかしむかし、あるところに・・・

御伽噺を語るときの導入の定型句で「むかし、むかし」~と語り部が喋りはじめると、そこからは異次元の世界へと入っていく。その代表的な話として遠野物語があった。
1910年の明治43年、柳田国男が岩手県遠野町に言い伝えられていた民話を掘り起こした。それは佐々木喜善の語り部によって遠野盆地に伝えられていた。いまでも村人によって語り伝えられ信じられている。

同系の話として「耳なし芳一」というのがある。平家物語を琵琶で弾き語るというくらいだから、同様にその話もむかしむかし、の説話なのだろうか。

記憶は定かではないが、これを題材とした映画を観た、記憶がある。水面に浮かぶ舞台上で、その「芳一」が琵琶を弾いていた。そして書き忘れた「耳」を怨霊が奪うという画像は鬼気せまるものがあった。
その映画、昔の作としては、よく出来ていたといまでも思う。波立つ水面の青が印象的で、そこに浮かぶ琵琶演奏の舞台のコントラストが見事だった。なぜか、そのシーンだけは今でもはっきり覚えている。(※映画 耳無し芳一は別項で)

「耳なし芳一」 
 阿弥陀寺に芳一という盲目の琵琶法師が住んでいた。芳一は平家物語の弾き語りが得意で、特に壇ノ浦の段は「鬼神も涙を流す」と言われるほどの名手だった。

 ある夜、和尚の留守の時、突然一人の武士が現われる。芳一はその武士に請われて「高貴なお方」の屋敷に琵琶を弾きに行く。盲目の芳一にはよくわからなかったが、そこには多くの貴人が集っているようであった。
 壇ノ浦の戦いのくだりをと所望され、芳一が演奏を始めると皆熱心に聴き入り、芳一の芸の巧みさを誉めそやす。しかし、語りが佳境になるにしたがって皆声を上げてすすり泣き、激しく感動している様子で、芳一は自分の演奏への反響の大きさに内心驚く。芳一は七日七晩の演奏を頼まれ、夜ごと出かけるようになる。

 和尚は目の悪い芳一が夜出かけていく事に気付いて不審に思い、寺男たちに後を付けさせた。すると芳一は一人、平家一門の墓地の中におり、平家が崇拝していた安徳天皇の墓前で無数の鬼火に囲まれて琵琶を弾き語っていた。
 寺の者たちは慌てて芳一を連れ帰り、和尚に問い詰められた芳一はとうとう事情を打ち明けた。和尚は怨霊たちが単に芳一の琵琶を聞くことだけでは満足せずに、芳一に危害を加えることを恐れ、これは危ない、このままでは芳一が平家の怨霊に殺されてしまうと和尚は案じた。和尚は自分がそばにいれば芳一を守ってやれると考えたが、生憎夜は法事で芳一のそばについていてやることが出来ない。
 かといって寺男や小僧では力不足である。芳一を法事の席に連れていっては大勢の怨霊をもその席に連れて行ってしまうことになりこれでは檀家との間にトラブルを発生させる危険性がある。
 
 そこで和尚は芳一を一人にするが怨霊と接触させない方法を採用することで芳一を守ることにした。和尚は怨霊の「お経が書かれている身体部分は透明に映り視認できない」という視覚能力の性質を知っていたので、怨霊が芳一を確認できないように法事寺の小僧と共に芳一の全身に般若心経を写した。
 ただしこのとき耳の部分に写経し忘れたことに気が付かなかった。また音声によって場所を特定されることを防ぐために芳一に怨霊の武士に声をかけれられても無視するように堅く言い含めた。

 その夜、芳一が一人で座っていると、いつものように武士(平家の怨霊)が芳一を迎えに来た。しかし経文の書かれた芳一の体は怨霊である武士には見えない。
 芳一が呼ばれても返事をしないでいると怨霊は当惑し、「声も聞こえない、姿も見えない。さて芳一はどこへ行ったのか・・・」、という独り言が聞こえる。
 そして怨霊には、耳のみが見え、「芳一がいないなら仕方がない。証拠に耳だけでも持って帰ろう」と考えた。耳だけ持ち帰ることが結果的に芳一にどのような損傷を与えるかに思いをいたせず、結果的に頭部から耳をもぎ取ってそのまま去って行った。
 朝になって帰宅した和尚は耳をもぎ取られ血だらけになって意識のない芳一の様子に驚き、一部始終を聞いた後、芳一の身体に般若心経を写経した際、小僧が耳にだけ書き漏らしてしまったことに気づき、芳一に、小僧の見落としについて謝罪した。
 
 その後、怪我は手厚く治療されこの不思議な事件が世間に広まって彼は「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。琵琶の腕前も評判になり高所得を得ることが出来、何不自由なく暮らしたという。結果的に芳一に降りかかった禍は彼の名声を高めることに寄与したことになる。
 耳なし芳一(みみなしほういち)は、小泉八雲の『怪談』にも取り上げられ、広く知られるようになる。八雲が典拠としたのは、一夕散人(いっせきさんじん)著『臥遊奇談』第二巻「琵琶秘曲泣幽霊(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)」(1782年)であると指摘される。

■ 翻刻「琵琶秘曲泣幽霊」
-富山大学蔵本『臥遊奇談』より、ハーン「耳なし芳一」原話-
近 藤 清 兄*
聖霊女子短期大学紀要第48号(2020)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/swjcb/48/0/48_49/_pdf

 筆者(翻刻者、近藤)は最近ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が米国時代に収集したクレオールことわざ辞典の研究に携わり、その過程で小泉八雲の他の作品にも改めて関心を深めることになった。ここに紹介するのは八雲の『怪談』で有名な「耳なし芳一」の原話の一つである、怪談本『臥遊奇談』(1782)中の一話「琵琶秘曲泣幽霊」(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)である。
 底本としたのはハーンの旧蔵書コレクション「ヘルン文庫」(富山大学図書館)中のものである。

掲載許可を下さった同図書館には感謝を申し上げます。
 同文庫は Web 上で閲覧可能で、URL は次の通り。
・ヘルン文庫 - | 富山大学附属図書館中央図書館 University of Toyama Central Library
 http://www.lib.u-toyama.ac.jp/chuo/hearn/hearn_index.html
・臥遊奇談
https://toyama.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_
item_detail&item_id=7485&item_no=1&page_id=32&block_id=36
 本稿は初めまったくの個人的趣味の範疇にあり、公刊する予定は特になかったのであるが、あきた文学資料館名誉館長・秋田県生涯学習センターシニアコーディネーターの北条常久先生(元本学教授)が同センターにおいて 2019 年度「あきたスマートカレッジ」の一つとして講義された「小泉八雲「怪談」と日本人」(8月 17 日(土))に関連して、本稿の原形となった翻刻メモを先生にお見せしたことから、本稿にもなにがしかの社会的意義がないこともなく思えたので、参考資料として公刊をこころみることにした次第である。
 長谷川洋二(2014)の本の存在は北条先生の御教示によって知った。この場を借りお礼を申し上げる。
 実は、中田賢次(2000)によれば、この作品を含む「これらの原拠は、講談社学術文庫『怪談・奇談』に、布村弘氏の翻刻により収められている」(p.617)ということなのであるが、これを求めて見ることがそのときにできなかったこともあり、今回近藤が自身で翻刻を試みてみた次第である。
引用掲載








ウィキペディア参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E3%81%AA%E3%81%97%E8%8A%B3%E4%B8%80



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