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テレビとネットのトレンド

あすの「テレビ報道」の仕方
「テレビ報道」ネット隆盛だからこそ必要な理念
この先ページビュー至上主義の誘惑に勝てるか 東洋経済
https://toyokeizai.net/articles/-/341012
奥村 倫弘 : 東京都市大学メディア情報学部教授 著者 2020/04/06 15:00
広告費ベースでネットメディアの後塵を拝すこととなったテレビは今後、報道・ジャーナリズムの分野においてどんな役割を果たしていくのか。新聞、ネットメディアの現場を知り尽くす筆者が、情報流通あるいはビジネスの視点から、テレビ報道の方向性を指し示す。

Windows95が発売された1995年をインターネット普及の元年とすると、2020年は25年目の節目となります。現在25歳よりも若い世代は、インターネットが登場する前の世界を知りません。時期的に言えば、今年の新入社員もそうですね。テレビがニュースをどのように伝えていたかは、想像するほかないでしょう。

しかし、その姿を想像するのは難しくありません。なぜならテレビという受像機を通じて伝えられる「放送局が制作したニュース」の姿は、今と比べてもさほど変わっていないからです。その一方で、同時配信が始まり、テレビの広告費がインターネットに抜かれるようになると、テレビ業界もインターネットビジネスへの依存度を高めていかざるをえないでしょう。その未来を占ってみたいと思います。

いずれは避けられないネットシフト
過去20年間、テレビや新聞の危機が何度も叫ばれてきました。経営危機に陥ったマスコミ各社が消えてなくなってしまうだとか、インターネットによって誰もが発信できる時代に報道機関の意義が消え失せてしまうのではないかといった論調でした。そうした危機意識を背景に、報道に携わる人たちは、インターネットの時代に合わせて報道を進化させてきました。

報道現場の若い人たちの中には、「データジャーナリズム」や「データビジュアライゼーション」といったテクノロジーをニュースに取り入れようと努力している人がいます。校正作業の自動化やAIアナウンサーの取り組みを進めている人もいます。それはそれで「テクノロジーを取り込みつつ進化している」と評価できるでしょう。一方で、それらの取り組みはテレビ業界のビジネスを安定させる効果を持つわけではないことに注意が必要です。

私は、報道を進化させるだとか、ジャーナリズムを活動として維持発展させていくことだとかを考えるときに、「手法」だけでなく、「理念」と「体現者」、そしてそれを支える「ビジネス」も同時に考えるべきだと思っています。理念はともかく、ビジネスについては現場のジャーナリストの少なくない人たちが違和感を覚えるかもしれませんが、ジャーナリズムが人の営みである以上、ジャーナリズムに携わる人の生活を支えるという視点は重要です。それなくしては、体現できる行為者は存在しないからです。

インターネットニュースの過去は、必ずしも輝かしいものではありませんでした。取材もしない中身のない薄っぺらな記事、感情に訴えかけて共感と閲覧数だけを狙う記事、釣り見出しの数々……。ぽっと出の新興メディアならいざ知らず、新聞協会に加盟する伝統メディアまで、背に腹は代えられないとばかりに、こんな“報道”に手を出しました。

テレビの総接触時間は、2019年に153.9時間とカテゴリーの中では最長ですが、パソコンやスマートフォンなどのデバイスを合算したインターネットの接触時間は205.4時間に及び、すでにテレビは追い抜かれている状況です(図)。2019年にテレビ広告費が、インターネット広告費に追い抜かれたのは周知のとおりで、民放連は「マスメディアの中で最後まで持ちこたえていたテレビも、インターネット広告にパイを奪われる傾向が顕在化しつつある」という見方を示しています。(出所)『GALAC』2020年5月号

加えて、2020年から同時配信が始まることを考えると、テレビ業界がインターネットに進出して行かざるをえない状況を後押ししています。やがて環境への変化を求められるのは、テレビ業界の「ジャーナリズム」ではなく、「ビジネス」のほうなのです。

過去に繰り広げられたネットメディア競争の中で、私たちは1つの貴重な教訓を学びました。「持続できる健全なビジネスがあってこそ、健全な報道が成立する」ということです。テレビ業界は、新聞業界に比べると変化は穏やかなほうで、今日明日にも経営危機に陥るような瀬戸際感はありません。確かに、今すぐ直ちにテレビ局の経営が傾くような状態にあるわけではありませんが、中長期的にみると、テレビ業界が決して安泰でないのもまた事実でしょう。

「ページビュー至上主義」の誘惑に勝てるか?
ドラマはともかくとして、報道番組の現状はどうでしょうか。テレビ局が取材したあらゆるニュースがインターネットに存在し、それらの記事すべてがポータルサイトに配信されているわけではありません。有料か無料かを問わず、新聞社のようにほとんどすべての記事・コンテンツがインターネットで見られる状態にありません。このような状況をみると、テレビ業界の報道コンテンツのインターネット対応は、手つかずにあると言えます。

かつて新聞業界も同じようなスタンスでした。新聞業界が部数を失い始めた2000年初頭、インターネットとの距離を取りつつ、「本業」である紙の凋落を食い止めようとしていましたが、そうとも行かず「ウェブ・ファースト」を合言葉にネット第一優先の経営へと変化させたのです。

新聞業界がインターネットの時代に入って事業化を模索してきたのは、主に次の3つ。すなわち、(1)広告モデルによる記事のマネタイズ、(2)有料課金モデルの導入、(3)プラットフォーム事業の展開──でした。ライバル社が消えるのを待って最終的には残存者利益を狙っているように見える新聞社もありますが、ここでは例外としましょう。

広告モデルによるマネタイズは、UGC(User Generated Contents)やCGM(Consumer Generated Media)と呼ばれるユーザー自らが情報を発信するメディアの数が爆発的に増えた結果、昔のように簡単なものではなくなりました。広告に注力しすぎると、「視聴率至上主義」と同じような「ページビュー至上主義」に陥る恐れがあります。

有料課金モデルは、日本経済新聞を筆頭に朝日新聞など各社が力を入れていますが、いわゆる速報記事はコモディティー化しており、値が付きません。ネットメディア界隈では、一般的なニュースは無料で、個人の趣味や嗜好に合っていたり、よほど深いレポートを掲載したりしていない限り、記事を買ってもらえないことがやや常識になりつつあります。

また、地上波テレビは、歴史的に無料でニュースを提供してきたわけですから、課金に見合ったコンテンツ制作のノウハウ作りやマインドセットの変更はかなりの努力を要するでしょう。テレビ業界が制作した共通プラットフォームにはTVerがありますが、報道の共通プラットフォームはまだありません。これについては後述しますが、可能性は残されているといえるでしょう。

パブリッシャーかプラットフォーマーか
1995年にインターネットが登場して以来、報道の世界で大きく変わったのは、「理念」や「手法」ではなく「流通」、つまり「ビジネス」のあり方でした。これは誰の目から見ても明らかな変化です。新聞販売店を通じて配達される新聞紙は日常生活で目にすることはなくなり、代わりにヤフーやLINE、ツイッターやフェイスブックといったニュース配信プラットフォーマーが流通の要衝を押さえました。

この流通の変化によって、マスコミの中でも最も大きな影響を受けたのが新聞業界でした。インターネットの黎明期からテキストコンテンツとHTMLの親和性は高く、テキストコンテンツを中心に事業を展開してきた新聞業界がまず初めに変化の波に直面したというわけです。

新聞業界は、自分たち独自の横断的なプラットフォームを持ちたかったと言われています。読売、朝日、日経の販売協力から始まった「あらたにす」(2008~2012年)の取り組みがそれです。なぜ新聞業界独自の配信プラットフォームが実現できなかったかは、下山進著『2050年のメディア』(文藝春秋)に詳しく書かれていますが、決して技術的なハードルが問題だったわけではありませんでした。業界内の人間関係の信頼構築に失敗していたのです。放送業界はこれを他山の石とすべきです。

そういう文脈で、ラジオ業界の動きは参考になるかもしれません。ラジオ業界については、日本のインターネット事業者がほぼノーマークだったこともあり、独自の変化を遂げてきました。その代表的な例が、ご存じのラジコです。このアプリがあったことで、ラジオ業界は奇跡的な大同団結を実現しつつあります。

ラジコには民放連に加盟する101のラジオ局のうち、93局とNHK、放送大学がこの音声プラットフォームに参加しています。1日のユニークユーザーは120~130万であり、有料会員(月額350円)は65万人を超えているといいます(2019年9月現在)。インターネット広しといえども、日本のほぼすべてのラジオ局の番組が聴取できるアプリはラジコしかありません。ラジオ業界が構築したこのプラットフォームを、IT業界が崩すことは難しいでしょう。

情報は集まることで力を持ちます。ユーザーは特定の新聞や雑誌(というパッケージ)を読むという習慣を超えて、新聞社や出版社の枠組みを超えて、最も速く、最も詳しく、最も大事なことを伝え、最も楽しい話題を提供してくれる1本1本の記事を求めるようになりました。

それを再構成する形でユーザーに提供しているのがヤフーであり、LINEであり、スマートニュースなわけです。一度広いユーザーリーチを持つ盤石な基盤さえ築いてしまえば、IT企業との権益を気にすることなく、自分たちのビジネスを展開できるようになります。

テレビ業界を俯瞰してみますと、テレビ局が制作したドラマはAmazonプライム・ビデオやNetflixなどに提供していることから、一見インターネットへの取り組みが進んでいるように見えます。しかし、これは外資系のIT企業が展開するプラットフォームと日本のテレビ局であるパブリッシャーという構造ですから、ヤフーやLINE、そして新聞社などと関係と形は同じです。

もっとも、TVerというテレビ業界が打ち立てたプラットフォームは存在しますが、品ぞろえにおいて外国勢に大きく水を開けられ、結果としてユーザーシェアにおいて太刀打ちできない状況が発生しています。このままパブリッシャーとしてビジネスを推進していくのか、ラジコのような業界共通プラットフォームを構築していくのかで、未来は大きく違ってくるでしょう。

いずれにせよ、過去25年にわたって新聞業界とニュース配信プラットフォーマーの間で展開された歴史の中に、テレビ業界は学ぶところが少なくないと思うのです。

テレビ報道の未来、その先にある試練
そういう意味で、テレビ業界はまだ余裕があると言えるでしょう。しかし、テレビ局のライバルは他局ではありません。新聞社もライバルは他紙ではありませんでした。新聞、テレビ、雑誌など伝統メディアのライバルはインターネットメディアなのです。

テキスト系ニュースにおいて、読者のニーズは政治や国際報道といったハードニュースではなく、エンタメや面白ニュースにあることが明らかになり、新しく勃興したネットメディアやブログに読者を取られてきました。映像系ニュースにおいてはユーチューブが隆盛を誇っており、映像制作に携わったことがなかったユーチューバーが人気を博しているのはご承知のとおりです。

テレビ業界においては、「報道のバラエティー化」「情報番組の報道化」などという指摘がなされてきました。そのため、インターネットにおけるニュースの概念の変化を、情報バラエティーや報道番組の制作者は敏感に感じ取っていると思います。ツイッターでトレンド入りしたネタを報道番組で取り上げることも珍しくありません。よく言えば、視聴者ニーズを的確に捉えているということですし、悪く言えば視聴者迎合です。

視聴率視聴主義から逃れられないテレビ局は、ページビュー至上主義の誘惑に勝てるのでしょうか。ページビューに左右されない報道を、テレビ局はインターネットの世界で打ち立てられるのでしょうか。私は少し懐疑的です。

「マスゴミ」「偏向報道」「報道のバラエティー化」などと、さまざまな批判にさらされながらも、インターネット以前の時代より脈々と続く報道の価値や理念が業界内で根本的に損なわれたわけではないこと、逆に抽象的な意味でジャーナリズムに求められる期待の声が高まったことは、逆に評価されるべきだと思います。

しかしいずれ、テレビ局の経営が芳しくなくなってくるとしたら、おそらく間違いなく問題になってくるのが報道部門の存在意義です。ドラマやバラエティーとは違って採算性に乏しいからです。報道を本業とする新聞社においてさえ、全国の取材拠点を全廃すべきかどうかが議論されるご時世です。報道局の規模縮小を唱える声が、とくに社内において大きくなっていくことは容易に想像がつきます。

今なお継続中の「IT革命」は「情報革命」ではありません。「情報“技術”革命」です。ビジネスの“負け”を読者・視聴者迎合コンテンツで取り返そうとするならば、コンテンツは劣化していかざるをえません。健全な報道を将来的に損なわないためにも、余裕のある今のうちに報道の理念とビジネスの構築を技術の視点からも推進していく姿勢が求められています。





良薬は口に苦し Jade 🇩🇪北ドイツの住人
https://note.com/jademix/n/nbf9f408b403c

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