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唯我独尊・・・無我

篁 牛人と辻村史朗の共通項

まったく無名、放浪画家の唯我独尊 「篁 牛人」商業主義とは無縁 媚びず、飾らず、躊躇わず渾身の陶芸家 「辻村史朗」
賞賛、絶賛するのにどんな形容詞があるか、いろいろあたってみたが、このネット上に、そんな美辞麗句はどこにもなかった。

むしろ、時世に媚びないことこそが、いまでは無実化しており、いやな表現をすれば絶滅危惧なんだろう。

OPENERS丸の内にギャラリースペース「白 marunouchi」がオープン。陶芸家・辻村史朗氏の展覧会を開催|白 marunouchi - Web Magazine OPENERS(ウェブマガジン オウプナーズ)

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辻村史朗 SHIRO TSUJIMURA BIOGRAPHY 東京日本橋  かみ屋  “小屋を造ることも、絵を描くことも、焼物をすることも、 売りにゆくことも、自分にとっては同じ一つのことなのです。”— 辻村史朗「器と心」
辻村史朗は奈良の大自然の中で、日々物づくりと向き合っている。土を捏ね、ロクロを回し、焼く。キャンバスに絵を描き、墨をたっぷりと含んだ筆で紙の上に描く。師は持たず、ただただ今も昔も人が美しいと思うものを作りたい。その一心である。
焼物を焼けば、日本の歴史上比類なき作陶家の一人であることは広く知られている。油絵も、画家を自称する多くの人たちよりも、はるかに沢山の絵を描き、どの書家よりも多くの墨と紙を使う。
30歳を前に自ら建てた寺の廃材を利用した家は、世界中の建築家が見学に訪れるほど人々に愛されている。近所の肉屋で自ら目利きした肉を焼けば、世界の一流料理人たちが目を丸くする。
勲章や人間国宝といった名声にも興味はなく、師匠もいなければ、弟子もいない。二人の息子である唯(長男)と塊(次男)が父の姿をみながら学んだだけである。例外として、細川護煕は押しかけで辻村からロクロを学んだ。昨日よりも良いものを作りたい。そんな思いが辻村を突き動かしている。辻村史朗の暮らし、生き方そのものが人々を魅了する。
京都・祇園のギャラリーショップ「昂(こう)KYOTO」の店主、永松仁美さんの連載です。京都の日常から [vol.3] 婦人画報 BY 永松仁美 2020/01/27
力強く存在感ある作品を生む。大自然の懐で作陶に勤しむ、辻村史朗さんのストイックさ。あの日、「持って帰れよ」と言っていただいた粉引き(こひき)のワインカップ。両手に収まるサイズのその器は、たくさんの思い出と感謝が詰まった私の宝物です。

阪急うめだ本店「辻村史朗 五十年の歩み展」 | ・ライフスタイルニュース

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16年前、いまの仕事のスタートを切ったころのお話です。まだまだ迷いのなかにあった私に、料理人である友人が連れて行ってくれたのが、奈良の山深い場所にある陶芸家・辻村史朗さんのご自宅兼アトリエでした。

作家が日々、どんな環境で生活しているのかを見ておいたほうがいい。日常を過ごす作家の姿を垣間見るということは、その人の作品作りの核、精神性に触れるということ。私が目指す未来に向けて、知見を深めるためにとても大切、と友人が与えてくれたその機会は、ありがたくも私の人生のターニングポイントとなりました。

画像解説 史朗氏がすべて自らの手で作った無骨ながら趣のある茶室(左)。季節を感じながら、道なき道を通って訪れた客が、この茶室でお茶を一服いただくと、緊張を解き放たれるから不思議です。昂 KYOTO ADの後に記事が続きます
Drink, Food, Soil, ご自身の作品で、来客にお茶を振る舞われる史朗氏。お茶は気を衒(てら)わずに自由に飲んでもらって、おいしさを感じてもらえれば嬉しい、というのが持論です。

波乱に満ちた人生は、まるで映画のよう──。洋画家志望の青年が陶芸家に
「座って、とりあえず。まずは飯(めし)を食べてから!」と辻村先生。先生のアトリエに着くなり、ご挨拶もそこそこに、ご相伴にあずかることに。

それは初めてお伺いしてから変わらぬ、いつもの光景です。16年前も同じようにお食事をいただきながら、先生のこれまで辿ってこられた道のりについてお話いただいたのを昨日のことのように思い出します。私にとってそのひとときは、これ以上ないような至福の時だったのです──。

奈良で牧場を営む家庭に育った19歳の青年は、洋画家を志して上京した東京で、同じく秋田から美術家を目指していた少女と恋に落ちます。自己の追求のために禅門をたたいた青年は、その後、独学で器を作り、京都大原の道端でゴザの上に並べて売っていたそうです。

そんな時期に、偶然か必然か、京都で屈指の目利きといわれる美術商と出会い、その方より多くの薫陶を受け、陶芸の世界にのめり込んでいかれたそう。その波乱に満ちた人生は、まるで映画のようです。

トラックにテントを積んで野宿をしながら、奥さまと二人で見つけた奈良の山深いこの地。何もなかった山を自分たちで切り開き、自らの手で家を建てることに。同じ陶芸の道に進んだ二人の息子さんはそれぞれ独立され、いまはお二人で住まわれています。

Cook, Chef, Cooking, Room, Food, Restaurant, Baking, Cuisine, Cookware and bakeware, 陽の当たる小さな小さな台所にて。史朗氏を陰で支える三枝子さんの姿はいつも美しく、太陽のようです。

5年ほど前、辻村先生に、墨で描かれた窓の絵をいただきました。毎朝、その「窓」を眺めながら、先生にいただいたワインカップに珈琲を入れてまったりとしつつ、初めて先生のアトリエに伺った「あの日」を思い出しています。それまでは「作品」しか見ることのなかった自分が、ありがたくも恵まれた環境のおかげで、作家の人となりを一歩踏み込んで知ることができる──そんな現存する作家のいまを伝える面白さにあらためて気付かされ、興奮し、自分の仕事の方向性に光明が差したと思えた「あの日」を。

L'Etre et le Neant 辻村史朗さん : L'Etre et le Neant

L'Etre et le Neant



振り返れば、辻村史朗という作家から教えられたことは、“身の丈を知ってこそ、ブレないセンスは生まれる”ということ。
そして、その境地に立つことで見えてくる驚きに感動し、楽しむ、ということでした。そうおぼろげには分かってはいるのですが……、いやはや、私にはまだまだ到達できない領域です。これからも日々精進してまいります。


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