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「gnosis」(グノーシス )

「gnosis」神秘的直感(古代ギリシア語)
グノーシス、それは人ではなかった。
グノーシス的な意味をネットで調べると「 gnosis・神秘的直感(古代ギリシア語)」とあり、何かとても深い理由があるのではと思った。その結果をここに表示した。  

それはさながら百科辞典の様相を呈し硬い内容で、これをブログ内容にしたら誰も読まないだろう、と内心おもいつつ敢えて、というか強行に文字列を羅列した。

ましてや休み明け、今朝から仕事だ、という人もいる。久しぶり雨が朝から降っている。私の家の住む千葉の田舎は雨だが、山間部とくに箱根など昨日のニュースでは雪だった。
幸いにして正月元旦に雪はなかったので車もスムーズに動いたようだった。
ところで「初詣」は日本の正月風物詩定番となっているが、どんな意味があるのだろうかと老婆心的に考えてみた。
ギリシア的タイトルのこの「グノーシス」と、どこかで何かがつなかっている、と勝手に解釈してみたのだが。
(むかしの正月頃にアップした自著記事再現)

洋西洋の文化文明はある一点から始まり、長い時間をかけて今に至った、という人間と地球の歴史事情が読める。
そして現在の世界的ハイテク文明を支えている大元の物理科学は古代ギリシアにある。その古代西洋にはナニが考えられていたのか、という観点を探ると、「グノーシス」があり原始宗教が鼓動していた。
少々強引でアバウトな説明論だが、いちいち詳細に書いても、読まないだろうし・・・。

※グノーシス主義またはグノーシス(ラテン文字転写:Gnosis)は、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った古代の宗教・思想の一つである。物質と霊の二元論に特徴がある。普通名詞としてのグノーシスは古代ギリシア語で認識・知識を意味する言葉であり、グノーシス主義は自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向を有する。またグノーシス主義は、地中海世界を中心とするもの以外にイランやメソポタミアに本拠を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化のシュンクレティズムのなかから生まれてきたものとも云える。代表的なグノーシス主義宗教はマニ教であるが、マニ教の場合は紀元15世紀まで中国で存続したことが確認されている。(出典: ウィキペディア)

昨年、ケータイを変えたので、パソコンの内容もそれに倣って一部変更して書いている。いま世間ではスマホが全盛で、ひどいはなし、高校生が通学時にこれをやっている。道路を走る車の往来に無頓着で、人が死なないのが奇跡と不思議に思う。
それで、それは社会的資本主義的結果であるから、文科省とか衆参の先生方とか官房長官談話だとか、そんな低次元の話は抜きにして日本全国9000万台スマホ普及率は日本経済の見逃せないセールスポイントで、通学路高校生を規制するのはいたって難しい。

その実情にあわせて私個人もスマホに変えた。まったく無節操というか時勢に流されるタイプというか尻軽というかポリシーがない、アイディンティティー欠落人間というか、まそんなタイプに属すると再認識した。じゃかえてなにすんの?と問われたらねやっぱりね、ここに書いた記事を街頭、アウトドアまで一緒に移動して読んでもらいたいという一心だった(おおうそ)。

確かに、実践してみると出先で読めて尚且つ、誤字脱字の訂正がその場の手中でできるという優れものだった。
後は、この月払いがいくらの請求明細で届くか、という最大の関心事だ。ほとんど通話回線をつかっていないので最低セット契約で、安くなっている分、新規にスマホ接続となると法外な料金請求がくるのではと、内心びくびくだ。ま9000円程度だったら眼をつぶろう。

「ええー、9000円」でじたばたしてるの?という風聞が耳もとで囁いている。
でないものはでない!!!
その勢いというか、SNS接続が最近多くて一簣之功(いっきのこう、さいごの一詰め)の対応に苦慮している。というのは、ツィッターもフェイブックも年数は長いが、ほとんど「いいね」「何してる」をしていないので、シェア共有友がほとんど存在しないい。見てわかる通り数名しかいない。
最近多いのが「三宅」さんで、いろいろ送ってくれるが、それに応えていない。その縁から「原田」さんと最近、友達承認してもらった。二人ともその業界では知名度があるようだ。

その数日前に「佐野」さんのページを拝見したが、難しい物理理論を女性が書いていたので、当サイトに引用させてもらった。最近、さまざまな分野で女性の活躍が顕著だ。男とは違った視点とスピード感があって好感が持てる。小池氏の影響か?

それで、前からもっていた疑問の話だが、もともと、インターネットの性質上、個人が大前提で、大人数で集まってパソコン展開する、という構成はあり得ない。ないことはないが、海外を相手にした会社の会議だったりする。

そうではなくて、ツィッターとかフェイスブックなど無理やりシェアして友達の輪を拡大しているように感じる。悪い例だが事件かなにかあったとき「なになにさんは、ツィッターをやってました」と、そのページを紹介するが後味のいいものではない。

その実績誇示だとは感じるが、そこまで追いかける必要も無い。その反対作用というかパラドックスとして、SNSは、意図的に共有項を作るとか与えるとか、そうした工夫をしないと世界規模で拡大することはない、と私は思った。

その点、「グーグル」はもっか自動運転車に傾注しているので、本文を全うしていると思うが、では、これらの若手起業によるIT産業は、本来なんのために「雨後の竹の子」のように林立したのだろうか、という原始にもどった質問を提示してみたいのだが、それに答えるべきサイトはどこにもないだろうと。
これまでの事例からして、彼らが社会的に、その企業存在有益性を正当論法によって弁明したケースを見たことがない。

昨年、「パナマ文書」暴露で、旧来起業のタックスヘイブンと、振興IT起業の数の多さが露見したが、あるサイト記事を読んで知ったが、起業するには莫大な資金が必要で、そのスポーンサーパトロンと手を組むには、その世界と、ねんごろ、になることが大前提で、そこから切符を買ってIT列車に乗り込む、という事例を知った。すなわち、その切符販売している国家が、すでに決められていて、古い話でいえば「黒船」軍団がいまだに世界を制圧しているという歴史的事実だった。(続きはいずれ別の期日に書くとするか?・・・?)

そんなわけで、こちらから進んで「いいね」!!!とか「いまなにしてる?」とか、やらない。そのやらないことを、これを読んでいる該当皆様にはここで謝っておこう。

「グノーシス」の定義

1966年4月にイタリアのメッシーナ大学でグノーシス主義研究者たちの「国際コロキウム(シンポジウム)」が開催され、そこでグノーシス主義とは何であるかという学術的な定義について一つの提案が行われた。
これを「メッシーナ提案」と通称する。半世紀近くの時を経てグノーシス主義に関する研究も進展したが、グノーシス主義を語る上でメッシーナ提案は研究者たちの共通基本認識として前提となる。
この提案では、紀元2世紀から3世紀頃のキリスト教グノーシス体系を「グノーシス主義(Gnostizismus)」と定義し、これを含めたより広い意味での「秘教的知識」の歴史的カテゴリーを「グノーシス」と定義した[1]。この提案によれば、「グノーシス」とは「グノーシス主義」を「典型」とする非常に範囲の広い意味を持つことになり、これはハンス・ヨナスが提唱したように、「精神の姿勢・現存在の姿勢」であるという解釈が概ねにおいて承認されたものである。マニ教や、カタリ派、ボゴミール派などは当然として、それ以外にも、時代や地域を越えて、「グノーシス」は人間の世界把握の様式から来る宗教または哲学的思想として普遍的に存在するものとの考えが示された。しかし必ずしもこの用法が定着したわけではなく、一般に「グノーシス」ならびに「グノーシス主義」という言葉は同義語として用いられている。したがってこの記事では広い意味での「グノーシス」として、グノーシス主義という言葉を用いる。

物質からなる肉体を悪とする結果、道徳に関して、二つの対極的な立場が現れた。一方では禁欲主義となって顕われ、他方では、放縦となって現れる。前者は、マニ教に見られるように禁欲的な生き方を教える。後者は、霊は肉体とは別存在であるので、肉体において犯した罪悪の影響を受けないという論理の下に、不道徳をほしいままにするタイプである。4世紀の神学者アウグスティヌスがキリストに回心する前に惹かれたのは、前者の禁欲的なタイプであったと言われる。

反宇宙的二元論

グノーシス主義において一般的に認められるものは、「反宇宙的二元論(Anti-cosmic dualism)」と呼ばれる世界の把握の仕方、世界観である。反宇宙的二元論の「反宇宙的」とは、否定的な秩序が存在するこの世界を受け入れない、認めないという思想あるいは実存の立場である。

反宇宙論

グノーシス主義は、地上の生の悲惨さは、この宇宙が「悪の宇宙」であるが故と考えた。現象的に率直に、真摯に、迷妄や希望的観測を排して世界を眺めるとき、この宇宙はまさに「善の宇宙」などではなく「悪の宇宙」に他ならないと考えた。これがグノーシス主義の「反宇宙」論である。

二元論

宇宙が本来的に悪の宇宙であって、既存の諸宗教・思想の伝える神や神々が善であるというのは、誤謬であるとグノーシス主義では考えた。ここでは、「善」と「悪」の対立が二元論的に把握されている。善とされる神々も、彼らがこの悪である世界の原因であれば、実は悪の神、「偽の神」である。しかしその場合、どこかに「真の神」が存在し「真の世界」が存在するはずである。
悪の世界はまた「物質」で構成されており、それ故に物質は悪である。また物質で造られた肉体も悪である。物質に対し、「霊」あるいは「イデアー」こそは真の存在であり世界である。このように、善と悪、真の神と偽の神、また霊と肉体、イデアーと物質と云う「二元論」が、グノーシス主義の基本的な世界観であり、「反宇宙論」と合わさって、このような思想を、「反宇宙的二元論」と呼ぶ。

研究史、異端 vs.異教
グノーシス主義の研究史を通じて、この思想の理解については2つの根本的に異なる立場が存在している。一方はグノーシス主義をキリスト教とは別個の、オリエントに起源を持つ「東方」の宗教であるとし、その非キリスト教的側面を強調する姿勢である。もう一方はグノーシス主義をキリスト教内部の異端、あるいはギリシャ哲学に影響を受けた宗教哲学の出発点としてキリスト教史のなかに位置づけようとする姿勢である。今日では、グノーシス主義をキリスト教とは別個の宗教思想であると考える立場が主流である。

グノーシス主義に関する初期のキリスト教文献、初期教会教父たちによる種々の異端反駁文書の中において、グノーシス主義はキリスト教内部の異端思想として扱われている。リヨンのエレナイオス、オリゲネス、エウセビオスなどがグノーシス主義を主要な対象として、正統信仰擁護の著作を残している。彼らの著作から、初期の聖書解釈やキリスト教神学の成立にグノーシス主義の影響が多大であること、そしておそらく彼らの時代には、グノーシス主義的なキリスト教文献は正統信仰の著作を量において上回っていたと考えられている。

ルネサンスの時代には、新プラトン主義と『ヘルメス文書』がヨーロッパで流行した。今日では『ヘルメス文書』に含まれるいくつかの著作はグノーシス主義のものであったことが明らかにされている。19世紀後半から20世紀半ばには、コプト語で書かれたグノーシス文献が相次いで公刊され、研究資料はだいぶ整えられた。

資料の充実と前後して、近代的なグノーシス研究も開始された。その契機となるのはバウルの『キリスト教グノーシス、あるいはキリスト教宗教哲学の歴史的展開』である。これに続いたのがハルナックの教会史的グノーシス研究で、彼はグノーシス研究に史料批判の手法を持ち込んだ。これら初期のグノーシス研究はキリスト教の教会史からグノーシス主義を捉えるもので、その思想をキリスト教のヘレニズム化・「東方」化したものと考えていた。

それに対し、ブセットは1907年、『グノーシスの中心的諸問題』を著し、このなかで彼はグノーシス主義をキリスト教の教会史のなかにとどめずに、その外側にあるオリエント的な宗教思想として捉える見解を示した。
これを継承したのがライツェンシュタインであり、彼はグノーシス主義をキリスト教以前の別個の宗教で、当時の様々な秘儀宗教に影響を与えたとした。この後のグノーシス研究で最も影響が大きかったと考えられるのがハンス・ヨナスで、彼はグノーシス主義が厳格な二元論的世界観に基づいていることを明らかにし、さらにグノーシス主義を古代末期に最も影響を持った主流思想であったと位置づけた。

1950年に『ナグ・ハマディ写本』の最初の総括的研究報告が発表されると、グノーシス主義についての理解は大きく転回した。まず文書のなかにキリスト教的なものと非キリスト教的なものが混在しており、これはおそらくグノーシス主義とキリスト教が本来別個であったことを示していると考えられている。
さらにキリスト教に取り入れられたグノーシス主義は初期キリスト教思想の形成に大きな役割を持っていたことも確認された。同時にグノーシス主義はユダヤ教の神話やギリシャ哲学とも密接な思想的相互交流をおこなっており、その思想をかなり取り入れていることも明らかとされた。

東西のグノーシス主義

グノーシス主義は、エジプト、シリア、パレスティナ、小アジア、ギリシア、ローマなどで興隆した「西方グノーシス主義」と、イラン、メソポタミアなどで成立した「東方グノーシス主義」の二つの大きな宗派に分かれる。これらの宗派は、より多数の宗派に更に分岐するが、地理的な差異以外に、救済思想・神話構成においても、区別が存在する。

西方グノーシス主義

ウァレンティノスの宗派が代表的であるが、グノーシスの立場に立つ者と、そうでない者を峻別し、宗教原理よりして、グノーシスの立場に立つ者は、禁欲を旨とし、世俗的な快楽を避け、生殖に通じる行為を一切してはならないとした。新プラトン主義の哲学者であるプロティーノスの「一者」よりの流出説を採択して、善なる永遠界は流出によって生じたが、その過程において「ソピアー神話」が示すような過失があり、この結果、「悪の世界=この世」が生まれたとした。

西方グノーシス主義は哲学的・思想的であり、信徒には高い知性を持つ者や、中流階級の者が多数属した。高潔な理想を説き、みずからも禁欲を守り、生殖を避けた結果、西方グノーシス主義は外部要因(キリスト教のローマ帝国での国教化等)以外に、内部の思想原理からしても、永続し得ず、4世紀から5世紀頃には、その宗派は消えてしまった。

東方グノーシス主義

マニ教が代表であるが、西方グノーシス主義諸派よりも少し遅れて興隆した。従って、西方グノーシス主義諸派の理論を取り入れる余地が多数あり、また、ペルシアのゾロアスター教などの二元論的宗教の影響の元にもあった。
イラン、インドの古くから存在する神々やその神話をも取り入れ、グノーシスの立場に立つ者を二つの段階に分けた。これはマニ教に特有の信徒制度である。

創世神話においては、プロティーノスの流出説も採用しているが、ゾロアスター教の流出説も援用しており、その結果、絶対善が原初に存在したとするのではなく、善の原理と悪の原理が二元的に原初より存在したとする思想を持つ。二つの信徒階級を定めた結果、救済宗教として広く一般の人が入信することとなり、西方グノーシス主義の知的エリート主義を乗り越えることができた。生殖も一般信徒は可能であったので、宗教として永続し、マニ教は15世紀まで、マンダ教は、二千年のときを経過して、現在も存続している。

マニ教 -マニを開祖とする救済宗教。紀元3世紀のサーサーン朝ペルシア時代に起こり、西は、メソポタミア、パレスティナ、エジプト、北アフリカ、東は、インド、西域、中国にも伝道され繁栄した。中国で、15世紀頃に最後の教団が確認されるが以降、消滅した。

マンダ教 -イラクに現在も存在する宗派。イスラム教の『クルアーン』に記されている正体不明な民族または宗派は自分たちであると主張し、イスラームの側でこれを認めた為、イスラーム世界のただなかで存続した。

グノーシスの諸派

西方グノーシス主義
 
サトルニロス セト派(Sethians) ケリントス(Cerinthus) シモン・マグス(Simon Magus)(2世紀) - (魔術師シモン)「使徒行伝」(8:3-)に言及がある人物とは別人だが、混同される。サマリア人。 ウァレンティノス(Valentinians) - 大ウァレンティノスともいわれ、西方グノーシスの代表的な理論家。多数いた弟子たちは各地でグノーシスの伝道を行った。 プトレマイオス - ウァレンティノスの弟子。エイレナイオスはその『異端反駁』において、主にプトレマイオスのグノーシス主義を批判している。従来のグノーシス主義の研究においては、このエイレナイオスの書物の批判で引用された「プトレマイオスの説と称されるもの」がグノーシスの理論の代表とされた。
バシレイデース(Basilidians)  オフィス派(Ophites) - 「旧約聖書・創世記」に出てくる蛇(ギリシア語でオピス)は人間を堕落させたものではなく、至高者が人間に知識を授けるため遣わしたものと考えるので、このように呼ばれる。

ナハシュ派 -ヒッポリュトスが名付けた。オフィス派と同じものではないかと云われている。「ナハシュ」はアラム語で蛇の意味である。

カイン派(Cainites)

カルポクラテス派(Carpocratians) ボルボル派(バルバロイ派)(Borborites)  

グノーシス主義的宗派

グノーシス主義は、精神の姿勢(Geisteshaltung)が問題となり、現存在における世界の現象解釈と了解によって教えが成立するとされる。そのため、二元論的宗教のなかで、古代のグノーシス主義と直接的・間接的に関係のあるものも、広い意味ではグノーシス主義となるが、それらは判断について諸説がある。

マルキオン(Marcion) -小アジアのシノペに生まれた。『ヘブライ聖書』(『旧約聖書』)とその神ヤハウェを否定し、ルカによる福音書を中心に独自の正典を編纂した。創世神話がなく、グノーシス主義ではなく、キリスト教の一派であるとの解釈がある。

ボゴミル派(Bogomils) -12世紀頃、ブルガリアで勢力のあったグノーシス主義的二元論宗派。キリスト教の分派とも考えられる。

カタリ派(Catars) -アルビ派またはアルビジョア派とも呼ばれる。11-13世紀に南フランスにおいて勢力を持った。『ヨハネ福音書』を正典として認め、独自の聖書訳を持っていた。ボゴミル派あるいは小パウロ派の影響のもとに成立したと考えられる。当時、フランス北部を支配していたフランス王と教皇庁の合意で、アルビジョワ異端十字軍が結成され、1世紀近い戦いの後、信徒は虐殺され、宗派として消える。キリスト教のグノーシス主義的分派と云うべきである。

要するに、
「グノーシス主義」はキリスト教異端思想としての認識を、「グノーシス」はキリスト教とは別個の異教、あるいはより広い宗教思想という認識を代表するものであるといえる。この提案では前述の研究史で見られた2つの立場が併存している。

クルト・ルドルフ『グノーシス』、pp.57-58。 クルト・ルドルフ『グノーシス』、p.58 以下この節は全体的にクルト・ルドルフ『グノーシス』pp.1-50に依拠する。 19世紀以前には『ヘルメス文書』は新プラトン主義の祭儀文書と考えられていた。
(資料 ウイキペディア)

七輪五徳セットは必要不可欠の関係性
きのうの記事では米歌姫の「七輪」騒動でアメリカの超人気歌手アリアナ・グランデを紹介したが。(アリアナ・グランデInstagram) https://www.instagram.com/p/BrF4bbiAvxA/

その日は東京にでかけた。
朝から雪・雪・雪。さてどうしょう???
車は断念、電車でとおもって駅に着くが、雪のため~とアナウンスがあったが、なんとか動いていた。
30分遅れで渋谷についた。
車窓からの雪降る景色をみながら「七輪」とはいったい何語か、ととんでもない疑問を抱いた。
「七輪」とそれにセットされている「五徳」は、さらに難解な意味が含まれているのではないかと、雪景色などまるで無関心に、そのことを考え続けた。
以前、「陰陽五行説」の中に「木火土金水の五行があり五行思想とは五徳でもあり儒教にその思想がこめられる」という記述があったのを思い出す。
古代ギリシアの世界観と古代天文学と占星術とこよみ~

古代ギリシアの世界観

ギリシア神話の世界観では世界は円盤状になっており大陸の周りを海が取り囲み、海流=オーケアノスがぐるぐると回っているとされた。それ故、神話においてオーケアノスの領域という言葉は、しばしば「地の果て」という意味で用いられる。

また、地上の全ての河川や泉の水は、オーケアノスの水が分かれて地下を通り、地上に現れると考えられていた(右の古代のアナクシマンドロスの世界観を絵にした地図で見る通り、世界は、大洋=オーケアノスが周囲を取り囲み、真ん中に、エウローパ、アシアー、リュビアーの三つの領域・大陸があることになっている)。

ギリシア神話で大地を取り巻く大河,また大洋(英語オーシャンoceanの語源)さらにこれらを擬人化した神。
ウラノス(天)とガイア(地)の子で,ティタン神族の一人。女神テテュスとのあいだに,3000の河川と3000の娘(オケアニデス)をもうけたという。

天文学と天体観測と占星術

占星術または占星学は、太陽系内の太陽・月・惑星・小惑星などの天体の位置や動きなどと人間・社会のあり方を経験的に結びつけて占う(占い)。古代バビロニアを発祥とするとされ、ギリシア・インド・アラブ・ヨーロッパで発展した西洋占星術・インド占星術と、中国など東アジアで発展した東洋占星術に大別することができる。

『宿曜経』、七政四餘(七政四余)

ギリシアに起源をもつ西洋占星術は、その思想がシルクロードを経由して、インドに入り、インドの占星学となり発展し、さらに中国に入り、七政四餘という実用的な占星学に発展した。この七政四餘は、後に、紫薇斗数推命、明治以降の子平といった占術にも発展した経緯がある。つまり、七政四餘は西洋の宇宙物理学的、合理的な思想と、中国の哲学的、実用的な思想が統合された珍しい占星学ということができる。国内では、この七政四餘を使える占い師は、ほとんど皆無の状態である。なぜならば、西洋占星術の基礎と東洋占星術の基礎の両方要求され、柔軟な思考の持ち主でないと習得は難しいとされる。診断は、古典的な技法でおおむね当たる部分は採用し当たらない部分は波木流の技法を採用して行います。
(参考 記事)

これで一通りの西洋思想体系は判った(えっ、判らない? )

それが次にどのような課程で日本に流れ着いたか、先に進む~
「五徳」(ごとく)とは炭火などの上に設置し鍋やヤカンなどを置くための器具。「五徳」という文字から儒教における「五常の徳」を挙げる向きもあるが、語源は次のとおりである。

古来、日本では、囲炉裏において鍋や釜で煮炊きをするときは自在鉤と五徳のいずれかを用いた。初期の五徳は三本足であり、環を上にして用いた。これは古くは竈子(くどこ)と呼ばれたもので、古代の鼎に由来するものである。現代でもよく知られる形状の五徳は、桃山時代、千利休の指導下で茶釜などの開発に当たった釜師たちによって生み出された。すなわち茶道の始まりと共に室内で用いる小型の炉「茶炉」または「風炉」が現れ、このとき、竈子を従来とは逆向きに設置し、爪を上にして使うようになった。
この過程で「くどこ」の読みも逆さまにされ「ごとく」と呼ばれるようになった。「五徳」は当て字である。

開発されて間もないころは、様々な形のものがあり、釜師・辻与次郎の手によって「まむし頭」「長爪」「牛爪」「方爪」などといった爪を持つ五徳が作られた。

この参考記事は、鵜呑みにはできない。
また、>私が面白く思ったのは竈子(くどこ)の歴史今昔である。釜には竈子の鼎(かなえ)、つまり三脚が付いた釜があり、その現物が展示されていた。善教房絵詞の現物も展示されており、室町期の釜を使った調理状況が分った。竈子の下に薪がくべられ、釜が煮立っており、まな板の上で鴨が包丁で切られている絵図。横には兎が縛られており、棚には魚が載っているという臨場感ある絵物語である。

傍で数珠を手にした坊主が寝転がって、生き物を殺し料理するのを眺めて待つ姿。殺生や淫行を禁じる戒律を有すという仏教ながら、破戒僧が跋扈するする世の情景を描いている。宗教の唱える話と行状の矛盾を室町期の世人も良く気付いていなさったということであろう。ここの宗教団体その辺りの教条を訊いてみたくなった。
http://houan7010.blog.fc2.com/blog-entry-1003.html <
(参考記事引用)
※(五徳に鼎に倣って三本足、という説も意味不明)

「くどこ」という字句の誤った解釈

「竈子」 別名 釜子 読み方:カマコ(kamako)
近世の鉱山で、粉砕鉑の竈焼(溶解)に従事した火夫。
かまど(竈)は、穀物や食料品などを加熱調理する際に火を囲うための調理設備。

日本では釜で沸かした湯で邪気を払う「湯立神事」のため、かまどを設ける場合もある。愛知県の奥三河地方や長野県の伊那地方には鎌倉時代より伝統的な祭り「花祭」が伝承されている。祭りの際はかまどを築いて湯を沸かし、クライマックスでに扮した踊り手が舞う中、湯が振り撒かれ、邪気を払う。
(資料ウイキペディア)〆

この資料を参考にすれば「くどこ」のさかさ読みが「ごとく」であるという根拠は皆無だ。
さらに言及するなら、「釜土」(かまこ)で炊いた白湯の中に生笹竹を浸して、その熱湯を身体に降り注ぎ「禊払い」をするという神事は、古くからある清め儀式であり、場所によってはいまでも伝統継承している村落もある。(奥三河地方や長野県の伊那地方には鎌倉時代より継がれる伝統的な祭り)

これも古い参考文献で「いのこ」というのがあ。

「亥の子石」

旧暦10月の亥の日の夕方から翌朝早朝にかけて、地区の子供たち(男子のみの場合もある)が集まり一軒一軒を巡って、歌を歌いながら平たく丸いもしくは球形の石に繋いだ縄を引き、石を上下させて地面を搗く。石の重さも1kg~10kg程度と地方により異なる。
地方によって歌の内容は異なるが、亥の子のための歌が使用される。歌詞は縁起をかつぐ内容が多いが例外もある。子供たちが石を搗くとその家では、餅や菓子、小遣いなどを振舞う。振る舞いの無い家では悪態をつく内容の歌を歌われることもある。石のほか藁鉄砲(藁束を硬く縛ったもの)を使う地方もある。藁鉄砲を使う事例により、東日本における旧暦10月10日に行われる同様の行事、十日夜(とおかんや)との類似性が指摘できる。(ウイキペディア)

解説、この「亥の子」で地面を搗くという形態は古代中国の古い伝統土木工事の方法で、「境界境」壁を築くための工法で「万里の長城」がこれで創られた。


ウイキペディア


家の「かまど」、またその「たたき」など地面を踏み固めるのに使う技法工法である。

次・・・

五徳と妖怪

『土蜘蛛草紙絵巻』(部分)

源頼光の前に異形の妖怪どもが現れる場面。左上に五徳を頭に被った牛様の妖怪が見える。13世紀(鎌倉時代)の作。東京国立博物館所蔵。

『不動利益縁起絵巻』(部分)

陰陽師・安倍晴明(右中央)と対峙する物の怪ども。鉄輪(五徳)を頭に乗せている物の怪が一番奥に見える。14世紀(南北朝時代)の作。東京国立博物館所蔵。

『泣不動縁起絵巻』(部分)

不動利益縁起と同じ内容である泣不動縁起(なきふどうえんぎ)の絵巻物。室町時代の作。清浄華院所蔵。

鎌倉時代の『土蜘蛛草紙』には、付喪神(妖怪の一種)の原型ともいえる描写があり、その様々な妖怪の描写の中には「五徳と牛が合体したもの」が描かれ、以降も室町時代や江戸時代において、絵巻物や浮世絵などで、五徳の妖怪や、五徳と牛が一体になった妖怪が描かれた。五徳の足の爪(かえし)の形状の種類にも牛という言葉が使われており、五徳を牛の頭部や角に見立てたことが窺える。

また、五徳猫は、江戸時代中期の浮世絵師・鳥山石燕の手になる妖怪画集『百器徒然袋』に見られる詳細不明の妖怪で、三ツ爪五徳(鬼爪五徳)を頭に被って囲炉裏の火を起こす姿で描かれる猫又の一種である。

呪詛(じゅそ、の道具)
呪いとは、人または霊が、物理的手段によらず精神的あるいは霊的な手段で、悪意をもって他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらせしめようとする行為をいう。 特に人が人を呪い殺すために行うものは、古来日本では呪詛(じゅそ)

葛飾北斎の『北斎漫画』より、「丑の刻参り」の描き方を示した一図

神社の森にて、蝋燭を立てた鉄輪(五徳)を頭に乗せて呪詛を行う白装束の女(中央)と、応えて姿を現した牛様の妖怪(中央)。

鳥山石燕 『今昔画図続百鬼』の内「丑時参 (うしのときまいり)」

貴船神社の神木を前に、蝋燭を立てた鉄輪(五徳)を頭に乗せて呪詛を行う橋姫と、付き従う牛様の妖怪。※この図柄は省いた

平安時代にはすでに行われていたといわれる「丑の刻参り」(恨みを抱く対象者に災禍を与えるために行う呪詛の一つ)において、鉄輪(かなわ、五徳)は儀式の上で用いられる道具である。
施術者(呪詛を行う者)は白装束を身に纏い、冠のように頭に被った鉄輪に蝋燭(ろうそく)を立てた姿となって、丑の刻(午前1時から午前3時頃)に神木のある場所に出向き、結界を破るため、呪詛対象者に見立てた藁人形に五寸釘を打ち込んで、牛などの姿をした妖怪を呼び出したといわれる。

(記事引用 ウイキペディア等 〆)

それらを総合的に判断すれば「五徳」が「火神」を伺わせまた五行陰陽説や神事由来の言葉であることが判る。

あとがき
色々かいたが、古代より継承してきた、それら信仰的宗教また道具は、この日本において、人々の中から、また生活の中から消滅しつつある。その代替として日本人は、何を拠り所にして生きるのか、たまさかそれが手の平スマホであっては、もはや帰るべき家(母)はない。


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