映画「オッペンハイマー」の年代別感想

映画「オッペンハイマー」の正体は暴かれたか?
この見出しで書くのは三度めです。最終回です。
私なりの感想を書きまたが、じゃ社会はどう捉えているか気になりましたので、探ってみました。
このnote検索で」「オッペンハイマー」と関しての見出し記事が150本ありました。全部は読み切れないので、比較的中立的な文言の記事を選んで、ここで紹介いたします。

■une _pen映画批評“オッペンハイマー“ 米国で本作が作られた意味を考える
起爆ボタンが押され「爆発」。劇場はシーンと静まる。スクリーンいっぱいに広が炎。火の織りなす「不気味さ」と「美しさ」の共存した不思議な映像。
「バックドラフト」で感じた「火=生き物」のような怖い魅力がそこにはあった。そして駆け抜ける大轟音。生きた心地がしない。
「ああ、原子爆弾とはこういうものなのか」
理屈ではなく身体で感じとり、そして「記憶」する。人類にとって、この映像体験には意味がある。間違いないだろう。部分引用

une_pen さん 150-本 1月前3~4月 から抽出した1本記事



この「オッペンハイマー」はアメリで作られた史実にのっとったエンターテイメントであることを念頭に置く必要があると思った。なぜなら、巨大スクリーの動画と、微々に細に手を加えたサウンドトラックに、誰もが感嘆している。監督の狙い通りだった。まして、核爆発という前代未聞は、人類史上で最初で最後の本物実験であることに間違いなかった。

感想はそれ以上でも以下でもない。

一寸の虫に宿る五分の脳回路


自撮り



道路を歩く「ナメクジ」歩行進捗は遅々として進まないように見えるが、たった10分のタイムスパンでは、確実に移動していた。

今朝、いつものようにゴミ出し登板なので、近くの集積場に袋を持って歩いていた。ほどなくすると、道路の一部が光っているのが見えた。ナメクジの足跡だった。多分、この後雀か何かに捕食されていなくなる、そんな運命なんだろうと、その記録をスマホに残した。

生きているのか死んでいるのか、判らないくらいのモーションで、これではスズメが発見するのは難儀だろうと思ったが、朝の通勤で、運転手がそれを発見するのは、ほどんどあり得ないし、まして引き殺した、としても誰の咎を受けることはない。
先日みた「蛙歩行」注意喚起と同様、弱者救済には、ことのほか神経が届いていると漠然と思った。

ここで、そのナメクジや蛙の脳を解剖して、将来のAI開発のためのメカニズムを分析するという井戸端テーマではない。

その弱者が生き延びる確率゛あるとしてら、いまどきとっくに絶滅しているであろうが、そのナメクジは、ではどうやって千年も万年も生き延びて、私の前に現たのか、不可解だし、それを解いてくれる生物学者はみあたらない。

この場合の弱者は、敗戦国日本だと誇大妄想すると、私は変人扱いされる。そうした映画「オッペンハイマー」論調が気になった。


廃屋

仕事中で通りかかった(築90年の朽ちた廃屋) 見事な造形美にこれは一種のアートだとおもった



自撮り絵 印に茎を置いたナメクジ足跡


ナメクジ 体長2.5センチ 五秒以凝視しないこと


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