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駄作は誰も影響しない

三人寄ってお喋り井戸端テーマは「文殊」も知らないシークレット

「教会公証人のニコラ・バイイも、ジャンヌを有罪とするに足る証言、証拠を見つけることができなかった。」とは、昨日の「ジャンヌ・ダルク」裁判逸話の一説ですんが、フランスと日本の地球半分隔てても、やっていることは、そう変わらない。

今朝のネタ探しで、
是枝裕和『怪物』日本映画初、カンヌで「クィア・パルム賞」受賞 第76回カンヌ国際映画祭~

第76回カンヌ国際映画祭授賞式が現地時間27日にフランスで行われ、コンペティション部門出品作『パーフェクト・デイズ(原題) / Perfect Days』で主演を務めた役所広司が男優賞に輝いた~

など朗報が二ュースで配信されますが、一般人にとってそれは何の影響も、もたらさない。

我が家の個人的な話しでも、土曜だったのでいつもの客人がやってきて、普段のパターンですが、オンナ同士の会話が延々とエンドレスをする中でその中の「クィア・パルム賞」とか、「Perfect Days」でとった役所広司の演技力とか、まったく話題に上がらない。
いや無理にしろ、という話しでもないので、そのまま放置(自分はそこにいなくで自室でパソコン)ですが、それが全部耳に入る。

盗聴なんてもんじゃありませんし、その話題は犬猫にも影響しないので、ま~ね、それでいいのでしょう。換言すると、それが現実一般的社会の具現化なんですね。

また、目の前にあるパソコンにしても、最近「アドセンス」広告変更設定を促してくる。
この20年、その広告で1円も稼いでないし、そんな設定もすっかり忘れていて、そちらサイトの事情で再設定しろ、という。

いやいや、やろーとしても、最初に旧いパスワードを要求してくる。判らないので、そのメールで変更しようとすると、今度はアドレスメール認証が必要という話しで、あっちもこっちもデータ不明なのに、その無いものを出せと悪魔の要求。もうすっかり気は失せている。そして万事休す、です。

もともと、そんなものどうでもいいと思っているので、まったくやる気がない。これがすべて、やる気のないものに誰も報いもない。あとは自滅するしかない。

最近そんなことばかりです。読者の皆さんだって同じ問題を抱えていることでしょう。

その解決方法~、「いま」を清算処分して、里山古民家暮らし、「現在」を開拓する、それしかない。
とそこで、今度は「田舎壁」にブチ当たって挫折です。コロナ騒動がやっと去ったのに、いまだにマスク健在なのは、そうした「なにを信じて生きればいいのか」という庶民のささやかな「レジスタンス」、なのでしょう。いや日本の事ですが話がフランスですから。

だとしても、時代を遡れば、その本家本元であっても、よってたかって「火炙り処刑」するという概念は、人間の本性を現している、そんなことを考えてしまいます。いまは平和ですが。

この不平等感はなにか、また何でもないのに、そう思い込むという「マイクロチップ埋め込み説」(ある晩、寝ている間に誰かが私の左腕根本に高性能極小マイクロプロセッサ―をひそかに注入たというアレ)の被害妄想感覚みたいなものですかね。(内容は違うが実際埋め込みは実現している)

ですから、その歴史があったその時代を再検証してみたのです。かの「ジャンヌ・ダルク」17歳が収監室内で、男から強姦されたというネタは、どこまで信じていいやら、その理由で再度「男装」にもどしたという複雑な経緯は、やはり必読なんでしょう。(話があまりにも面白そうなで誰かが作った話し、というのも消すに消せない)。

神の声を聴いたと公言するジャンヌの登場は、長年にわたるイングランドとフランスとの戦いに宗教戦争的な意味合いを帯びさせ始めた。(そもそも普仏戦争というフランス、旧ドイツの戦争は世界を巻き込んだ)。
しかしながら、ジャンヌの存在は大きな危険をもはらんでいた。シャルル7世の顧問たちは、ジャンヌの宗教的正当性が疑問の余地なく立証されたわけではなく、ジャンヌが異教の魔女でありシャルル7世の王国は悪魔からの賜物だと告発されかねないことに危機感を抱いた。

ジャンヌを異端とみなす可能性を否定してその高潔性を証明するために、シャルル7世はジャンヌの身元調査の審議会と、ポワチエでの教理問答を命じた。そして1429年4月にジャンヌの審議にあたった委員会は、ジャンヌの「高潔な暮らしぶり、謙遜、誠実、純真な心映えのよきキリスト教徒であることを宣言」した。一方で教理問答に携わったポワチエの神学者たちは、ジャンヌが神からの啓示を受けたかどうかは判断できないとした。ただし、ジャンヌの役割の聖性を創りあげるに足る「有利な憶測」をシャルル7世に伝えた。これらの結果だけでシャルル7世にとって十分なものだったが、顧問たちはジャンヌを王宮に呼び戻してシャルル7世自らがジャンヌの正当性を正式に認める義務があるとし「証拠もなく彼女(ジャンヌ)が異端であると疑い、無視するのは聖霊の否定であり、神の御助けを拒絶するも同然」だと主張した。
ジャンヌの主張が真実であると認定されたことは、オルレアン派遣軍の士気を大いに高めることにつながった。3月22日、ジャンヌはシャルル7世が派遣したジャン・エローに依頼してオルレアンのイングランド軍指揮官(サフォーク伯ウィリアム・ド・ラ・ポール、ジョン・タルボット、トーマス・スケールズなど)に向けた降伏勧告文を口述筆記させた(実際に書簡が送られたのは4月24日から27日の間)。
イングランド軍が包囲していたオルレアンにジャンヌがラ・イル、ジル・ド・レらとともに到着したのは1429年4月29日だった。
当時オルレアン公シャルルはイングランドの捕虜となっており、異母弟ジャン・ド・デュノワがオルレアン公家の筆頭としてオルレアンを包囲するイングランドに対する攻略軍を率いていた。当初デュノワはジャンヌが作戦会議へ参加することを認めず、交戦の状況もジャンヌに知らせようとはしなかった。しかしながら、このようなデュノワの妨害を無視して、ジャンヌは多くの作戦会議に出席し、戦いにも参加するようになった。

神の声
のちにジャンヌは異端審問の場で自分は19歳くらいだと発言しており、この言葉の通りであればジャンヌは1412年ごろに生まれたことになる。さらにジャンヌが初めて「神の声」を聴いたのは1424年ごろのことで、当時12歳だったと証言している。このとき一人で屋外を歩いていたジャンヌは、大天使ミカエル、アレクサンドリアのカタリナ、アンティオキアのマルガリタの姿を幻視し、イングランド軍を駆逐して王太子シャルルをランスへと連れていきフランス王位に就かしめよという「声」を聴いたという。
聖人たちの姿はこの上なく美しく、3名が消えたあとにジャンヌは泣き崩れたと語っている。部分引用(ウイキペディア)

「奇跡の少女ジャンヌ・ダルク」

この尋問はジャンヌに仕掛けられた神学的陥穽だった。教会の教理では神の恩寵は人間が認識できるものではないとされていた。

ジャンヌが尋問に対して肯定していれば自身に異端宣告をしたことになり、否定していれば自身の罪を告白したことになるのである。公証人ボワギヨームは、法廷でジャンヌがこの返答をしたときに「この質問を彼女にした尋問者は呆然としていた」とあとになって証言している。
20世紀の劇作家ジョージ・バーナード・ショーはこの問答記録を目にしたときに深い感銘を受け、ジャンヌの裁判記録を『聖女ジョウン』として戯曲に仕立て上げた。

さらに数名の法廷関係者がのちに、裁判記録の重要な箇所がジャンヌに不利になるよう改ざんされていると証言している。

裁判出席者の多くが強制的に召集された聖職者だった。審問官のジャン・ル・メートルも意に沿わぬ裁判に集められた一人で、中にはイングランドから死をもって脅された聖職者もいた。
また、異端審問裁判で定められた手順では、ジャンヌは教会の罪人として修道女など女性の監視のもとで監禁されることになっていた。しかしながらイングランドはジャンヌを世俗の罪人として扱い、イングランドの男性兵卒をジャンヌの監視役の任に就けた。
コーションはジャンヌが望んだ、当時開催されていたキリスト教の最高会議であるバーゼル公会議や教皇への請願など、自身が主導する審理を妨げるような要求をすべて却下した。

裁判で明らかになったとされているジャンヌに対する12の罪状は、改ざんされた裁判記録と明らかに矛盾している。

ジャンヌは文盲だったため、自身が署名した供述宣誓書が死刑宣告にも等しい危険な書類だったことを理解していなかった。
異端審問法廷は裁判の公式記録に基づいた宣誓供述書ではなく、ジャンヌが異端を認めたという内容に改ざんした宣誓供述書にすりかえて、ジャンヌに署名させていた。

ブルーノ火炙り刑
「1600年(日本では慶長五年)の2月17日、ジョルダーノ・ブルーノの火あぶり刑」の事件は、いまの時代で考えると、とても常識では理解できない歴史世界の話だ。

このブログでも歴史的な逸話、エピソードなど数多く書いているが、紀元前5世紀のピタゴラス時代の話となると、その地球的空間を想像することなど、まったくできない。できないが、あたかもそこで暮らし、生活しているような文言で文を書く。

哲学者「タレス」が考え事をして歩いていて井戸に落ちた、というエピソードがある。では紀元前6世紀のギリシアの井戸のサイズはどのくらい大きいのか、深さはどのくらいあったのか、そして地下水は沢山あったのか、それとも渇水期だったのか、それで命があったりなかったりする。

日本の戦国時代の話にしても、今のような生活インフラはなかったのは当然で、では実際の暮らしはどうだったのか、という疑問が付き纏う。

私が、常々考えているのは、1000年前の鎌倉時代に、有効住居生活面積が、どのくらいあったのか、という疑問。
昔から国家の計は「治山治水」にあり雨水はどのように処理していたか、である。今は、全国的に田畑は整備され、道路と田は、僅かな高低差で分離され、車がスムーズに走れるが、これが辺り一面の湿地帯だったら人は一歩も外に出て、歩くことができない。山の中腹にへばり付き、そこで一生を過ごす、という生活だ。よくテレビでやっているアジアの山村僻地では、実にそんな暮らし方である。

したがって、ギリシア哲学者「タレス」が落ちたという井戸のサイズを測ってみたいし、ガリレオの天文より処世術を学びたい。

それでも月には「かぐや姫」は住んでいないという現実を知っているだけに、それらの理由は詮索する必要もないのだろう。

筆者注 あとがき

まったく。まとまらない文節になってしまいました。でもそれが現況です。

かりにこれがプロの書き手なら、即却下して世に出さないでしょう。そうして良作のみを世に晒して、クオリティーの高さを維持するわけです。そのやり方で、絵画世界で君臨したのが「ピカソ」であると云われます。それを比較したら私は、一介の駄作作家ですから、いたって平気なのです。

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下記、楽曲、


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