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ブックカフェの中心で図書館への愛を叫ぶ

こんにちは。つぐみBooks&Coffee店主のシノです。
2020年3月まで地方公務員として図書館に勤め、司書としてその運営に携わっていましたが、現在は退職してブックカフェ開業の準備中です。あ、もしも当店に興味を持っていただけた方がいらっしゃいましたら、お店の自己紹介記事もご覧いただけると嬉しいです!

そして、お店の自己紹介の次がさっそく図書館への愛を叫ぶ記事でどうしたことかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、退職したことを後悔しているとか、未練があるとかではないのでご安心ください。いや……そんな心配は無用でしたね。退職にあたって、こんなタイミングで公務員辞めるとか……みたいなご意見も想定内だったのですが、私があっけらかんとしているからなのか、もともとそういうことをしそうな奴だと思われていたのか、周囲の誰にも言われません。あれ?私、常識的で真面目な人間――公務員になったからには当然のように定年まで勤め上げる――を気取っていたつもりだったんだけど……違った?

自己認識と周囲の評判にちょっと乖離がある可能性が浮上してまいりましたが、どちらかと言えば好都合なので、結果オーライですね。そう、以下は、私の思う自己紹介です。「図書館と私」というテーマで書き始めたら、もはや私の半生でした。



図書館が大好きです。

存在というか、概念のレベルで好きです。


初恋は小学校の図書室。ベタというか、テッパンですね。私のいた小学校は全校生徒が100人前後の小さな学校でしたので、図書室もそんなに大きくはなかったのでしょう。それでも、小学生の私には十分大きいですし、部屋中に本棚があり、天井まである本棚には本がたくさん詰まっており、その本はどれでも手に取って良いという惜しげなさ。「いつでも来ていいよ。どれでも読んでいいんだよ」というその姿勢は、もう包容力のかたまり。大盤振る舞い。そして、そのオープンなサービス精神とはウラハラに、小学校の中とは思えない厳かな静けさと滲み出る知的な空気感。うわ……文字にすると尚更かっこいい。ドッジボールに恐怖しか感じないタイプの小学生だった私は、休み時間はもっぱら図書室か教室におり、校庭から聞こえる賑やかな声を遠くに聞きながら、本を読むか絵を描いていたような気がします。

当時の私はこまったさんのシリーズが大好きで、何度も何度も借りていました(にも関わらず、お菓子づくりへの興味は一切といっていいほどありませんでした)。あと『ながいながいペンギンの話』は本を抱きしめているのが好きでした。表紙の色や適度に写実的なペンギンの絵、いい感じの厚さなどの本のつくり、そしてそれを持っている自分、に満足していたような気がします。……こう書いてしまうと、なんだかイヤな子どもですね。まぁ小学生の私が私史上一番へそまがりでカタブツ(漫画は読み物として邪道、とか)だった気がするので、たぶん実際にイヤな子どもだったんでしょう。あ、モンスターホテルのシリーズも好きだったなぁ。『はだしのゲン』は並んでいるのを見るだけで怖かった。うーん、他にも思い出のある本や、時々無性に読みたくなって借りていた本が何冊かあったような気がするのですが、思い出せず、司書としてとても悔しい。小学生の私、もう少し何かヒントを……!!

そんなこんなで小学校の図書室への想いを募らせ続けても、小学校には6年生までしかありません。卒業して中学校へ。

中学は諸々の事情で中学受験――面接でヒヨドリの話をして面接官の先生とめちゃくちゃ盛り上がったことだけは覚えている――をして中高一貫のキリスト教系私立学校に通わせてもらったのですが、部活が忙しかったのと、他に興味の向くことを見つけてしまった(小学生の私が知ったら卒倒するほど漫画を読み倒したり、パソコンで絵を描いたり、HTMLでホームページを作ってみたりしていた)のと、理由は思い出せないのですが「何か」があって図書館に入りにくい……と思ったが最後、この6年間、ほとんど学校の図書室には寄り付かなくなっていました(ということを今思い出しました)。ステップフロアのような?半分吹き抜けになっているような二階があって、かっこいい図書室だったような気がするんですけどね……記憶はおぼろげです。
この学校に通った意味はもう「親友に出会うためだった」に集約されているので、その一点において尊さはマックス。ありがとう母校。人生には理不尽なことがたくさんあると教えてくれた中学の時の運動部も、発声練習と「外郎売り」だけは今でも役立っている高校の時の演劇部も、「私」になるには必要なことだったのだろうと、今なら思えます。ありがとう母校。余談だけど。
 代わって、この頃から、市の図書館の記憶が残り始めるのですが、お恥ずかしながら主な入館理由は「雨宿りのため」でした。開館時間中は学校と部活でほとんど来られないし、図書館で借りてまで本を読む時間もなかったので、館内閲覧の時間はほとんどなかったのですが、時々雨宿りのために立ち寄って、お迎え待ちの合間に棚をうろうろするくらいだったような気がします。そのくせ、足元がカーペットだったので、「うわーこのままここで寝たい」と思っていました。図書館という空間にいるだけで幸せだったということですね。……と言いつつ(話が一転二転、上げたり下げたりしてすみません。さらに、悪口みたいになってしまうので詳細は控えますが)この時にあまり好印象ではなかったからこそ、「市の図書館がこのままではいけない。これは私がなんとかせねば」と思ったのでした。おこがましい中学生ですね。若かりし私、思考回路が上から目線で、わかりやすく性格が悪い(今もだろ、って?)。

さあ、上から目線の思考回路により、就職の第一希望は「この図書館への配属」に決定です。図書館に勤めるのだから、大学は司書資格を取れる学校にしよう。そこまでは、けっこう早い段階で思い至っていたと思います。
ちなみに、私の通っていた高校には「指定校推薦」という制度(どこにでもあるのでしょうか?)があって、日頃の学校生活とテストの点数がそれなりに良ければ「学校同士で連携しているからそこに推薦してあげるよ」ということだったと思うのですが、なんかイヤで。名だたる学校――試験で入るにはかなり努力しなければならない――が指定校になっていたのですが、言えばそういう学校に行ける成績や素養を兼ね備えた子たちは「たしかに」という子たちがいるのです。わかる、なんていうか、似合う。さらに行きたい学校だったとしても、「指定校の中から選んだ」ということ自体がなんだかひっかかるし、なぜ高校がそこに入るのをお膳立てしてくれるのか。それだと自分の実力で入学したって思えない上に、大学生活が高校に報告されるのと引き換えだなんて、それならそのお膳立てはいらない。かといって指定校推薦がある学校に一般入試を受けて入る(ということは指定校推薦で選ばれた母校の同級生が間違いなく一人いるということでもある)のもなんかイヤだ。高校生の私もかなりめんどくさいですね。もうこの天邪鬼な気持ちに折り合いをつけるには、指定校じゃない学校の中から「司書資格」が取れて、「心理学か社会学」の学部がある学校を選ぶしかない。
という訳で、自分の「なんかイヤだ」という曖昧な感情に素直になった結果、実際に私が通うことになった大学を見つけたんですね。仏教系の学校だったんですけどね(笑)キリスト教系高校の指定校推薦を蹴って仏教系大学に行くという、この徹底した反抗ぶり。と言っても、わざわざ仏教系を選んだ訳ではなくて、「司書」「心理学」「立地」などの条件を重視し、宗教的な部分を考慮しなかっただけの結果です。特定の神様への熱心な信仰心はありませんが、それぞれの神様や宗教の考え方や捉え方には興味があるし、八百万の神様って考え方はとても好きです。妖怪も好きです。

脱線してしまいましたが、結論から言えば、本当にこの大学を選んで良かったと心から思っています。興味ある授業ばかりでしたし、ゼミの先生(現役精神科医なのにめちゃくちゃお茶目で、そんなこと言っていいんですか!?みたいなこと平然と言っちゃう。卒論を読んで「シノさんは文章で生きていけそうですね」と言ってくれたのもめちゃくちゃ嬉しかった)も好きでしたし、ここで類友()に出会わなければ今の私がカメラを持っていることはなかったでしょう。そして一人暮らし(木造アパート2階の狭い部屋を「基地」と呼んでいました。今でもそらで住所が言えます)も未経験のままでしたし、あのお蕎麦屋さんでアルバイトもしていないし、そこの常連さんだった自家焙煎珈琲屋さんのご夫婦とも、日本画家の先生ともお会いすることはなかったのだと思うと、この選択は私の人生において、本当に大きな選択だったなぁとしみじみ思うのです。

そして、この大学での司書資格取得のための講座でお会いした先生には大変励まされましたし、なんといっても大学の図書館が最高でした(図書館の話に戻ってきました!)。ずっといた。図書館に。そもそも4年間ほとんど週6登校していて(取りたい授業全部取ってた。コマが被ってどちらかしか選べなかった授業を諦めきれずに翌年履修したこともあり、単位は売りたいほど持ってた)、資格関連の授業はだいたい6限目とか7限目なので、通常の授業が1限からあると、ほんとに一日中大学にいるような状態で。空いているコマはほとんど図書館で過ごしていました。もちろん自分の専攻の本を読んでいることが多かったのですが、時々ぶらぶらしながら目についた本とか手にとるじゃないですか。ある日、いつものように館内をぶらぶらしていて、普段あまり立ち寄らないフロア――その日は天気が悪かったのか、記憶ではかなり薄暗い――に来てみたら、ちょっと棚から飛び出していた(ような気がした)『黒魔術大全』みたいな怪しい本があったんですよ。ちょっと笑うじゃないですか。魔術学科はないですよ?誰が読むんだろう(私でした)と思いながらその分厚い本を手にとって、適当に開こうとしたところ、ふぁ、とページが割れたんですね。あの、何か挟まっていた時の、特定のページが自然に開くアレです。私の前に読んだ人が挟んだしおりか、所蔵した時からスリップか読者ハガキが入りっぱなしだったか、まぁよくあることです。覚悟もせず、開くままに開いたそのページに挟まっていたのは髪の毛の束でした。「^q^うわあああああwwww」と顔文字付きで草が生えてしまうような気持ちでしたが、当時は館内で絶句するしかありませんでした。学内に黒魔術やってるやつおるぅぅ。みたいな。かといって大学の職員の人にもなんて言っていいのかわからないし、自分でその髪の毛をどうにかするという選択肢はないし、もうそのまま静かに本を閉じて棚に戻すしかありませんでした。今、あの本はどうしたんだろうなぁ。何の黒魔術のページだったのかくらい見ておけば良かった……。は、うっかり変なエピソードを思い出してしまいましたが、他者と一つの本を共有するからこそ、そういう思いがけない発見(笑)があるというのも図書館の面白いところかもしれませんね。私は本を読みながら書き込みをしたり線を引いたりは一切しないのですが、図書館の本にまでそういうことをしてしまう人が一定数いる、ということを認識したのも大学の図書館だったように思います。怒りというより「こ、こんなことをする人がいるのか……?(しかもなんでこの文に線を引いた……?)」と愕然としたというか、驚きが大きかったのを覚えています。自分の本にしていることをいつものクセでうっかりしてしまったのか、図書館の本であろうと関係なくそういうことをしていいと思っているのかはわかりませんが、それを大学で見ていたからこそ、公立図書館で見つけても「やっぱりいるんだなぁ」くらいで済んだのではないかと思います。そうでなければ「ありえない!けしからん利用者だ!」ってなりかねなかったかも。もちろん汚損は汚損なので、図書館の本への書き込みはやめていただきたいんですけどね。

ま、そんなこんなで大学の図書館を満喫し、余りに余るほど単位も持っているので、卒論さえ書き上げれば無事卒業です。卒論のテーマは寺山修司の『田園に死す』。この話始めるとまた終わらなくなるので割愛しますが、卒論期間はもはやトランス状態でした。こたつに住んでた。こたつと大学(ゼミと図書館)とバイトをぐるぐるしていた。歯ブラシくわえたまま寝てた。あれは若かったからできた生活だったかもしれませんね。ちょっとおかしくなってて楽しかったなぁ。所定の様式で20枚以上、みたいなところ100枚くらい書いてて、読んで欲しいと言って送りつけられた親友やゼミの先生はチェックのたびにそれを読むんだから、大変だっただろうな……感謝しかない。

しかし、卒業できたとしても、地元の図書館で働くためにはまず市役所に就職しなければならない、と知ったのは大学2年か、3年の時だったか……。東京の図書館は司書を専門に募集しているが、地方自治体に司書の募集はほとんどない。大本命の市役所も言わずもがな、司書での募集なんてある訳なかった。要するに、一般行政事務職員として就職し、運が良ければ図書館に配属されるが、一生図書館に配属されない可能性もある、ということです。これは就活を控えた大学生の私には結構な衝撃でした。地元の図書館を良くしたいと思う。しかしそこで働ける保証はない(この時は職員全員正規職員だと思っていたので、行政嘱託という選択肢に気づいていませんでした。もちろん募集がなければ行託にだってなれないし、待遇面などの差もあったのだけれど……当時は「非正規」という存在自体への理解が薄かったとしか言えない)。東京の図書館なら司書としての募集がある。採用されれば間違いなく図書館で働ける。しかし、だからこそすごい競争率だし、そもそも全国で年間1万人司書資格を取っても、司書として働けるのは100人くらいだと授業で聞いている。これは大変だ……どうしよう。
ちなみに、就活生の私は、これまた真面目かつ堅物に「実際に働きたくない会社は受けない」という意思を貫きつつも、一応一般企業の就活もしていたのでした。履歴書のコピペなんて絶対にしない。この会社で働く自分を思い浮かべて本気の志望理由を書いたし、たぶん全部で10社も出してないけど書類で落ちた会社はほとんどなかったと思う(ひとつもなかった気がするけど、忘れてる可能性が高い)。試験で落ちたところはいくつかあったような気がするけれど、面接が市役所の試験日と被って断ったこともあった気がするな……面接をしたのは3,4社かなぁ。最後は2社くらい内定をもらったんだったか……就活のことはよく覚えてないみたいですね。しかし、大本命の地元市役所の結果発表前までに内定受諾の提出期限が設定されていて、市役所への就職が決まる前に内定を蹴らざるを得ず(あの「内定をお断りする」心苦しさは、もう思い出したくない)、無職か大本命かという状態で、無事に市役所からの内定をいただいたのでした。

就職して最初の配属は「教育委員会」。これはきっと図書館だ!面接で図書館への熱い想いを語った甲斐があった!やったぁ!と喜んだのも束の間、実際に配属されたのは博物館を兼ねた学習施設でした。しかも若葉マークのペーパードライバーには難易度高めの変な場所にある、市内の施設の中でも自宅から遠い位置にある施設です。立地と「図書館ではない」ということに落胆した新社会人の私でしたが、これもまた結果から言えばめちゃくちゃいいスタートで、天職かな?っていうくらい楽しい(ことばかりではなかったけど)面白い職場でした。生涯学習講座を担当させていただき、多くの講師の先生、生徒として参加してくれたアグレッシブな市民の皆さんとも交流できました。さらに博物館機能を持っていたので、土器の修復から資料の撮影、現存する市内の文化財の道案内まで関わらせてもらい、本当に貴重な経験をさせてもらったなぁと思います。スタートがここでよかった。次は市民課という、ザ・公務員という感じの部署で、ここでも本当に貴重な経験と勉強をたくさんさせてもらいました。そして図書館に配属されてからも、利用者に求められた情報が、それは文化財の管轄だとか、それなら市民課が案内していたあの資料が使えるとか、あの棚にそういう資料があったような……というレファレンスの回答に繋がるので、図書館職員であっても他部署経験者であることは大きいなと実感していたのでした。司書採用じゃないからこその利点も、間違いなくあります。

さあ!ついに!お待ちかねの!図書館への配属です!!ドンドンパフパフ〜!!

就職7年目にして、念願の図書館に配属されました!!!

図書館への内示が出たあの日のことは一生忘れられない……ものかと思っていたのですが、ぶっちゃけ思い出せません。市民課の仕事は毎日時間との戦いみたいなところがあるのですが、教育委員会への出向が決まってからも、教育委員会の中のどこへ配属されるか決まるまでタイムラグがあり、そんなものにやきもきしてもたもたしていたら時間との戦いに負けるのです。もちろんやきもきはしていたはずなのですが(新規採用の時の肩透かしの前例があるので)期待しすぎるのはやめようと自分に言い聞かせていた気がします。決まった時は、ただホッとしたんじゃなかったかな……。

実はうちの自治体、私が大学生をやっているうちに市町村合併していて、“市内”の図書館が2館になっていました。さらに、私が中学生の時にどげんかせんといかんと思っていた方の図書館はリニューアルされ、すでにあの時の面影はほとんどなくなっていました。とはいえ、就職の第一希望「この図書館への配属」をついに果たしたのです!いたのは1年でしたけどね。図書館にいた3年のうちに配置換えがありまして、2館とも経験できたんですよね。3年、あっという間でした。

そう、せっかく念願の図書館に配属されたのに、私は市役所を辞めたのです。

名残惜しかったのも事実です。図書館に通うことでお給料がもらえるなんて、最高の仕事だと思いました。来館者が多くても、少なくても、その空間にいられるだけで幸せでした。もちろん、利用者が少なくたって勤務時間内に本を読んでいられる訳ではありません。やることは山のようにあります。やらなければならないことの他に、限られた空間を有効に使うために何ができるか、限られた予算でどんな本を購入するかなどを考えていると、あっという間に時間は過ぎてしまうんですよね。

そんなこんなで、もっといろんな人に図書館の良さを広めたいけれど、図書館の中にいると経常業務に追われてできることが限られてしまう。常連の来館者や、時々でもホームページを見てくれるような、そもそも自分から図書館の情報にアクセスしてくれる人――それはもう本当にありがたい――よりも、図書館に来たことがない、図書館に行こうと思ったことすらない、という人たちに、「図書館行ってみようかな」と思ってもらえるように働きかけたい。とりあえず一度足を運んでみてほしい。肌に合わない場合もあるから絶対利用しろって訳じゃないけど、図書館が選択肢にあるのとないのとでは、絶ッッッ対にある方がいい。そう、やっぱり選択肢は多い方がいいと思うし、図書館が選択肢にあるのは強いと思う。だから、使うか使わないかは置いておいて、なるべく多くの人の手持ちカードに「図書館」を加えておいてほしいのです。

図書館の価値は、利用者数や貸出し数などの数字だけではとても推し量れないのですが、利用者が増える、貸出し数が増えるということは、やっぱり図書館の立場を肯定する後押しになるんですよね。利用者は図書館から得るものがあるはずだし、図書館は利用者の後押しがあってこそ主張できることがある。だから、やっぱりまずは、たくさんの人に図書館を利用してもらえるようにしたい。

その思いが強くなった時、もしや、「図書館」という手札を大勢に配りたいのであれば、図書館の外にいたほうが実現するのでは?と気がついてしまったのです。

図書館の中にいてもかなり自由にさせていただいていたし、周囲の職員の皆さんにも色々と協力していただいていました。けれど、結局は「公務員」「図書館職員」という立場に自分が縛られてしまう。図書館が特定のお店を宣伝することは立場上許されないかもしれないけれど、特定のお店が図書館を宣伝するのは全く問題ないじゃないか。しかも、お店なら違うお店の宣伝をしたっていい。そっちの方がみんなが良くないか?そう思い至ったのです。


だから、図書館から出ることを決めました。


そして、今。

これから。

組織に所属しないという立場になった以上、全てを自分の責任として引き受けられるようになったのだという喜びが大きいです。平の職員だった時は、自分の失敗の責任を取る価値のない自分の首が憎かったというか、私の失敗の責任が管理職である上司にかかるというのが、すごく気がかりだったのです。ですがもう、そんなことで二の足を踏まなくて良くなったのです!嬉しい!これで存分にあばれられる!図書館も関わってくるような楽しいことをいっぱい企画したい!ひいては本の良さをもっともっと、みんなに知ってほしい!!!


ブックカフェの中心から、図書館への愛を叫び続けようと思います。



み ん な 図 書 館 行 こ う よ !!!



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