焼き付けたいもの
生きることと死ぬことは同義。
死ぬことについて考えるときがある。
というか、ほぼ毎日考えている。
希死願望とかではなくて。
よく聴くアーティストさんの曲の歌詞に
〈どんな最期迎えて死ぬんだろう〉
というのがあって、まさにそんな感じ。
自分は、いつ、どんなふうに死を迎えるのかなーって。
そんなことを考えるとき、ありきたりだけどやっぱり、今の大切さを感じるのです。
だってほんとうに、明日、自分が死んでしまうかもしれないから。
わたしの大切な存在も、死んでしまうかもしれないから。
だから、焼き付けたいと思う。
わたしが焼き付けたいのは、散歩中の犬の後ろ姿だったり、光の差し込むいつもの窓辺だったり。
あたりまえ、という顔をしてそこにある日常。
特別なものではない、でもいつか必ず、失うときがくるもの。
あたりまえって、なんて傲慢な言葉なんでしょう。
今得ているものは、すべて、奇跡の重なりでそこにあるのに。
こぼれていく時間に振り回されて、過去や未来にこだわってしまうこともあるけれど
さまざまな雑音に囚われることなく、今だけを生きていきたいものです。
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