忘れられないバーシー@ラオス🇱🇦
ラオスに住む古い友人達に会いに行った。
古い友人といえど、一緒に過ごしたのはたったの2週間だけだったし、その2週間が私にとってはものすごく大きなものだったけど、相手側は覚えていてくれているか分からないし…。まぁラオスに降り立って空気を感じるだけでも良いかと思って航空券を取り、当時滞在していたホテルを予約した。
結果的に、この一泊二日がまた忘れられないものになってしまったし、たった一泊にしたことも、ラオス語の勉強をして行かなかったことも、お土産にお菓子だけしか持ってこなかったことも、めちゃくちゃ後悔することになった。ただ、それだけ再会が嬉しかった。
2週間滞在していた時、私たちは毎日のように一緒にメコン川沿いを散歩し、メコン川に落ちる夕陽を見ながらビールを飲み、遠くまでバイクで出掛けては、パンクして帰れなくなったりして、そこでもまた呑気にビールを飲んだりしていた。
久しぶりに会えた友人の目には、最初から涙が浮かんでいた。会う直前に、ラオス語を話せる日本人の友人からミニラオス語レッスンを受けていた私も、何一つ言うことができなくなった。友人は「私たちのことを覚えていて嬉しい」と言ってくれた。おめかしして来てくれていたのも分かった。
そして、あの時と同じようにメコン川沿いを散歩し、あの時行ったBGMのうるさすぎるレストランでビールを飲みご飯を食べた。友人のうちの1人が、歩く時いつも1番後ろについてくれるのも、転けそうになったら支えてくれるのも、トイレに必ず着いてきてくれるのも、重い荷物を持ってくれるのも何も変わっていなかった。私は胸がいっぱいで、楽しみにしていたラオス料理を全然食べられなかった。帰り道、歩きながら腕を組んできた友人は、「日本に連れてって」と言っていた。ラオス語の分からない私に、ご機嫌な様子でずっとラオス語で話しかけていた。
次の日は、一緒にお寺に行った。あの時と同じようにバイクの後ろに乗せてもらった。見様見真似でお祈りをしながら、2人がこれからも健康でいてくれることを願ったら、涙が出そうだった。前を見ると友人も鞄からティッシュを取り出し涙をサッと拭いていた。
お別れの時、空港まで来てくれた2人に、何か身につけるものをプレゼントしたくて、空港に売っていた「LAOS」と書かれたお土産用のブレスレットを買い、腕に結んであげた。ラオス人はきっと買うことのないブレスレットなはず笑 すると2人は、用意していた糸を取り出して、バーシーをしてくれた。バーシーはラオスの儀式で、結婚式やお別れの際に健康や子孫繁栄を願ってお祈りをしながら腕に糸を巻いてくれるものだ。
前回の滞在時も、帰る時に用意してくれていて、私は両腕にたくさんの糸をつけて帰った。今回は、会えたその次の日がお別れだったにも関わらず、持って来てくれて、当たり前のようにその儀式をしてくれた友人達を見ながら、涙が溢れて止まらなかった。友人の1人は私と同じように涙を流し、もう1人は「ボーペンニャン(大丈夫)ボーペンニャン」と何度も言ってくれていた。私にとって、この場所が本当に大切だと再認識することができた。
2人は今どんな生活をしているのだろう。コロナ禍をやり過ごすのは、きっと簡単じゃなかったはず。今、幸せに生きているかな。涙する私に、もっと長く滞在すれば良かったという私に、「また来てくれればそれで良いから」と言ってくれた2人に、絶対何かお返しがしたい。そしてそれより先に、自分の口で、ラオス語で喋りたい。
生きていれば、こんなに感動することもあるんだと思った。海外にいたとしても、いつもこんな出会いができて、こんな想いができるわけじゃないと分かっているからこそ、この一瞬一瞬が忘れられないものになり、ずっと大切にしたいと思った。
前回ラオスから出る時も、胸がギュウウっと締め付けられるようだったのに、今回もまた同じだけ胸が痛くて寂しくなった。でもまた会えるから。その日までお互い健康で、いられますように。
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