恋愛についての現在の所感

 24歳にもなると、ろくな恋愛の話を聞かなくなった。

 マッチングアプリを嗜む友人たちと話す機会があった。出会った東大男に「お茶大は男を不快にさせない程よい学歴だ」と言われた、という話があがり、本当にそんな奴がいるのかと心底驚いてしまった。そんな友人たちも出会った男たちを属する企業名で呼ぶなどしていた。他の情報が少ないとなるとどうしても地位が選好ルールの優位に立ってしまうのだろう。また、すぐ出会えて脈がなければ次、となると選ぶ側としての意識が強化されて、どこまでも上から目線になってしまうものなのかもしれない。
 結婚を意識し始める歳になった。結婚したくて恋人がいない人は山ほどいて、需要も供給も膨大だ。いくらでも相手を選べて、付き合おうと思えば付き合える、そんな世界観が私の近くにもやってきた。

 マッチングアプリをかなり熱心に布教されたが、個人的には正直食指が動かなかった。
 潔癖なわけでもないし、人と出会うのが嫌いというわけでもない。ただ、出会いの一つ一つのありがたみが薄れて、ポケモンや妖怪ウォッチになっていく予感がして嫌だった。
 たくさん候補があった方が視野が広がる、という話はある。しかし、私は多くの選択肢から一つを選ぶのが嫌いらしい。たとえば洋服を買いに行った時、それなりにいいけど買うかどうか迷うものがいくつもある、となった場合は一つも買わない。絶対欲しい!と思ったものしか買わない。就活も内定を一つしか取りたくなくて、一つ取った瞬間終えた。
 たくさん選択肢があると、一つ一つは大事なはずの相手を何かの天秤に乗せるようで、それがどうしても気後れするのだ。なんでも他のなにかよりはいいところがあって、困るところがあって、比べることはいくらでもできる。そうやっていると、本来好きだったものすら私の中で色褪せてしまう気がする。

 24歳の恋愛は売り手市場、買い手市場になっていた。おそらく私を選んでくれる人はそれなりにいるし、私が選びたくなる人もきっとそれなりにいる。しかし、そうなればそうなるほど気が進まない。私の現在の恋愛へのモチベーションは人生で稀に見る低さである。

 誰かのことを好きになるのに、他の人と無意識であっても比べたくない。一本釣りしたいし一本釣りされたい。夢見がちすぎるかな。

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