世界観
近頃は、便利屋のような仕事をしている。配属された部署の仕事が臨時的に少なくなっているため、他部署を手伝っているのだ。仕事を一つ覚えるたびに点と線がつながり、マイルストーンやアルゴリズムが見えるようになってくる。倍率を頭の中で変えて、状況をマクロに見たりミクロに見たりするのが好きだ。
俯瞰癖は物心ついた頃からある。幼稚園の頃の、今日は何があった? と親に聞かれてその日の友達との交流をつぶさに答える習慣を未だに続けているせいだろうか。
どう世界を見ているか、という問いに対して、私はかなりはっきりと固まった答えを返せる。
塔の中にいるイメージだ。
塔からは下の町がよく見える。ズームして、人々の会話もある程度聞くことができる。気が向いたら、マジックハンドでこっそりものを置いて反応を見ることもある。
高校生くらいまではクラスの輪に入るのが苦手で、いつも喋らない子として知られていた。ただ、喋らない分、休み時間に他の人たちの会話を聞くのが本当に好きだった。今でも、複数人いる場では会話を傍聴し、助け舟を出したり気になるところを突っ込むスタイルが多い。少人数の会話は、自分の好きな話ばかりしてしまったり、自分の気になることを気ままに尋ねてしまったりするのであまり得意でない。
塔の部屋で眼下の光景をスケッチするのが好きだ。
状況は連続的に移り変わるし、私には把握できない部分もあるので、そっくりそのまま写しとるわけではない。何回もいろんなところを見て、自分なりに整合性を持たせてモンタージュする。
小説も漫画も(必要に迫られてではあるが)脚本もたくさん書いてきた。人と人との関係性の可能性を思うのが好きだ。モデルを作って脳内でシミュレートして、気に入ったら形にしてみる。
下の町から塔が見えているかはわからない。塔の中に人が住んでいることくらいは把握されている気がする。塔を覗き返されることは滅多になく、あっても適当に別のものを見せておくかカーテンを閉じてしまっている気がする。ていうか、突然塔の方を指さされるとびっくりして窓から見えないところに逃げてしまう。個人的には塔ごと透明になればいいなと思う。
中三の時、小学校の同窓会に呼ばれた。私は中学から私立に進学して皆と疎遠だったけれど、話したこともない人の誕生月も、クラスの目立つ子が大泣きした失敗も、変な給食もたくさん覚えていて、思い出を共有できるのを楽しみにしていた。
結論から言うと何もかも覚えているのは私だけで、寂しい思いをした。
私のなかでは進学した瞬間時が止まっているけれど、皆はそのまま地元の中学に進学して、流動的な日々を過ごして、昔の些細なことは毎日流れ去っていたのかもしれない。これは、私が初めて塔の中にいることでの寂しさを実感した思い出である。
塔に他に人がいるのかは断定できない。
前いた会社にすこぶる記憶力のいい男の子がいた。伝聞だが、研修で一回会っただけの他部署の上司の名前を全て記憶していたらしい。暗記ゲーの資格試験を彼と私が同日に最速取得し、2人だけ別のe-learningをやっていたことでなんとなく意識していた(彼も気にしていたという)が、直接話したことはない。彼も塔の住人なのかもしれないし、別の役割を持っているのかもしれない。
塔から出たいとは思わない。小説や手紙でよその地名を見るのは好きだが、行きたいと思うことはほとんどない。塔の部屋とそこから見える景色が好きで、他に興味のある事柄はあえて言うなら音楽くらいだ。
他の人がどう世界を見ているのかは少し気になる。私が気づいていないだけで、皆塔スタイルなのかもしれない。ADVみたいな人もいるかもしれないし、そもそも世界に全く人がいない人もいるかもしれない。
これぞ、という世界観のある方、気が向いたら教えてください。
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