見出し画像

快適なおうち 5(ユウト 密会の果て)

第5回<ユウト>

 ユウトは誰もいない公園のベンチにマナベミユと座り、マナベミユの生い立ちについて聞いていた。出身地のこと、両親が離婚して父親に引き取られたこと、その父親の転勤のせいでたびたび転校することになり苦労したこと、必死に勉強してなんとか大学受験に合格し、家を出てこの街で暮らし始めたこと、そして今の会社に入社したこと……。ユウトは常に彼女の話の聞き手となり、「そうなんだ」とか、「それは大変だったね」と相槌を打った。大学時代の話に及んだときに、ビデオの話が出るのではないかと期待したがそのようなことはなく、ただマナベミユのだらだらとした話が続くだけだった。
 ユウトは、マナベミユがあまりにも一方的に話すので、話を聞くことに疲れていた。一つの話が終わったかと思えば、またすぐに次の話が続く。聞いているこちら側が、息継ぎもできないような具合だった。ユウトは気怠さを覚え始めていた。リカコにはこういうところはない。リカコは言葉数は少ないが、こちらを気遣いながら会話ができるタイプである。スマホを見ると、六時前だった。ユウトは話し続けるマナベミユの会話を遮った。
「ごめん、オレもう帰らなきゃ」
「あ、そうですよね。すみません。私、話しすぎですよね」
「いや、大丈夫。悪いね。じゃあ、また明日会社で」
 ユウトは立ち上がり、公園の出口に向かって歩き出した。すると背後から、「あ、カツラギさん」と呼び止められて振り返る。マナベミユが、物憂げな表情でユウトのことを見つめていた。ユウトは、ヤバい、マジで誘ってる? と少し警戒しながら、後に続く言葉を待ったが、マナベミユは俯いて何も言わない。
「どうしたの?」
 少し苛立ちながら、歩み寄って問いかけた。マナベミユはまだ俯いている。ユウトが、「真鍋さん」と名前を呼ぶと、ようやく顔を上げ、
「あの、私、カツラギさんのことが好きなんです」と、ユウトをじっと見つめながら告白してきた。
 ユウトは驚いた。思わず、手にしていたスマホをぼとっと地面に落としてしまった。「す、好きって……」ユウトは動揺しながら、落ちたスマホを拾った。
「本気なんです、私。カツラギさんのことが……」
 マナベミユは切羽詰まった様子で繰り返してくる。ユウトはスマホについた土を払いながら、
「あ、気持ちは嬉しいんだけど、オレ、結婚してるしさ、あの、オレ……」と言うと、
「わかってるんですごめんなさい、私こんなの駄目なことだってわかってるんですけど、でも実は同じ部署になったときから好きになっちゃって……」とマナベミユは続けた。
 ユウトは、これは面倒なことになったと思った。マナベミユの誘いに乗ってここまで出てきたのがまずかった。マナベミユは、今、オレのことを好きだと言っている。オレは? ユウトは考える。オレは大体結婚してるし、それにマナベミユに興味を持ったのは、山本が、AVに出てるって言ってたからで……。さまざまな考えが頭の中に浮かんでくる。マナベミユは、潤んだ目でユウトのことを見つめている。オレはオレは……。
 頭の中で、マナベミユとビデオの女が被る。ブラジャーからはみ出す、大きな乳房。髪色は今とは違う。化粧も違う。ユウトはゆっくりマナベミユに歩み寄った。マナベミユの顔をまじまじと見つめる。不安そうな表情である。ユウトは、ベッドの上でマナベミユの服を脱がせるところを想像する。明かりは消さない。シャツのボタンを外し、あのビデオと同じように、ブラジャーから豊満な乳房を引っ張り出す。そのとき、この女はどんな表情をしているのだろう。初めての男の前で恥じらうのか、それとも無表情なのか。いずれにせよ、その表情の裏側にはきっと、自分のからだに対する自信がべったりと貼りついているのだろう。それは、悪いことではないと思う。むしろ、いいことなのかもしれない。ユウトの頭の中で、ビデオの女の激しい喘ぎ声がよみがえる。だが、その自信は、このオレにとっていいことなのだろうか。
 ユウトは深呼吸を一つすると、マナベミユの肩に優しく触れた。マナベミユは頬を紅潮させる。ユウトはマナベミユの目をじいと見つめ、一息に言った。
「じゃあおっぱい見せてよ。AV出てたでしょ? オレ知ってるんだよ」
 途端に、紅潮していたマナベミユの顔色がさあと青ざめた。図星だ、とユウトは思った。
「隠し撮りふうのやつ出てたでしょ? おっぱい大きいよね。人に見られるのが好きなんでしょ。今ここで、シャツめくって見せてよ。オレのこと好きだったらできるよね? そしたら、付き合ってあげてもいいよ。あ、てか、そこの便所、一緒に入っちゃう?」
 ユウトは薄汚れた公衆便所を指さして言った。マナベミユの目に涙が浮かんでいる。ユウトは、「俺のスマホでも、からだ撮らせてよ」と言い、マナベミユの肩から腕にかけてべっとりと撫でた。掌に、小さな振動が伝わる。マナベミユが小さく震えているのだった。この反応が本当のものなのか、ユウトには判断がつかなかった。本当にAVに出ていた女がこんな殊勝な反応をするだろうか。演技なのかもしれない。そう思うと同時に、ユウトはその震えに少し興奮を覚えた。
 ユウトが、「ねぇ」と詰め寄ると、マナベミユはからだを引いてユウトから身を離した。そして目の淵に涙を溜めると、俯いて大粒の涙を地面に落とした。「あ、あれは……軽い気持ちで……」とぼそぼそ言うマナベミユの足元に、ぽつぽつと黒い染みが増えていく。ユウトは少したじろいだが、無表情のままマナベミユに近づき、その顔を覗き込むようにして言った。
「でも、すっごい気持ちよさそうにしてたよね。腰の動きがすごくて、経験人数すごそうっていうか。慣れてるって感じだよね。最後、ああッ、イクッ! て叫んでたじゃん? あんな動物の雄叫びみたいなの、演技じゃないと言えないと思うんだよね。オレあんなの、実際に聞いたことないよ。ハハッ。てか前から思ってたんだけど、たまにさ、会社で席立ってから、なかなか戻ってこないときあるじゃん。あれって、もしかして、ビルの中で隠れて変なことしてたりする? 仕事中、オレのこと見てたら、ムラムラしちゃって、我慢できなくなって、トイレに駆け込んじゃってるとか? 戻ってきたら制服のスカートからシャツ飛び出してるときあるよ。オレ、てっきり社内で付き合ってる人がいて、こっそりそういうことでもしてるのかと思ってたけど……オレのこと想像してたのかな。ちょっと、触らせてあげようか。てか、触りたいんだろ?」
 ユウトはマナベミユの手をとり、ズボンの上から自分の性器に押し当てた。そしてその手をゆっくり上下に動かした。マナベミユが目を見開いて手の動きをじっと見つめている。後半口にしたことは出まかせだった。だが言っているうちに、本当にそうだったのではないかと思えてきて、止まらなくなった。
 マナベミユは、「いやっ」と叫ぶと、ユウトの手を振り払った。濡れた真っ赤な目でユウトを睨みつけた。そして、何か話し出そうともごもごと口を動かしたが途中でやめ、平手でユウトの頬を思いっきりぶった。パシッ、という音が辺りに鳴り響いた。ユウトは思わずよろめいた。マナベミユは溢れる涙を手で拭うと、ユウトをその場に残し、駆け出して行ってしまった。
しばらく、ユウトはその場に立ち尽くしていた。頬がじんじんと痛む。遠くから、カァカァと、烏の侘しい鳴き声が聞こえてくる。
 認めたよな? ユウトは熱を持った頬に触れながら、先ほどのマナベミユの言葉を反芻する。「軽い気持ちで」とマナベミユは言った。軽い気持ち? ユウトは、ため息をつく。別に、自分の裸体を使って生きていくのだ、という意思や、世間に何を言われても気にしない強さを持っているのであれば、軽い気持ちでもなんでも構わない。だが、そうでもないのに、簡単にセックスを撮影させてしまうマナベミユの迂闊さは、どうしても理解できない。マナベミユのDVDが、工場の中で大量に生産されていくさまが浮かんできて、ユウトは目を背けるように、その想像を頭の隅に追いやった。
 ユウトはスマホをズボンのポケットに戻すと、駅に向かって歩き始めた。マナベミユは今日オレがしたことを人に話すだろうか? いや、話せるわけがない、と思う。そうすると自分がビデオに出ていたことがバレてしまうのだ。でも、と思う。彼女が、消したくても消せない過去を抱え、これからどう生きていけばよいのかと、真剣に考えているのが本当だとしたら。
 マナベミユの泣き顔を思い出す。そして自分と散歩をしながら彼女が浮かべた、嬉しそうな笑顔を。ユウトは少し胸が痛くなった。自分はいけないことをしてしまったのではないだろうか、と思った。マナベミユに突き刺した針は、思ったよりも深くまで達してしまったのではないか、と。しかし同時に、仕方がないじゃないか、という自分の声も聴こえてくる。マナベミユが本気で自分のことを好きだったとしても、その気持ちに応えてやることはできない。オレには無理だ。マナベミユその人だけではなく、彼女の過去も受け入れることができない。仮に、自分の愛した女がビデオに出ていたと知った場合でも、それまでと同じように愛し続けることはできないかもしれない、と思う。自分の器は、それほど大きくはないと、自分でもわかっている。だから、仕方がないじゃないか。マナベミユに頬を打たれたとき、ユウトは正直、ほっとした。痛みを感じながら、これで、マナベミユは自分のことを見限ってくれるだろうと、安堵した。
 ユウトは駅前のコンビニにふらりと入った。欲しいものは決まっていた。菓子パンコーナーの端に、リカコが好きな饅頭が並んでいるのを見つけ、手に取る。

次回へ続く
#小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?