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エンターテインメントとしての「ジャッジ」

 冬季北京五輪は、いままでにないくらい「ジャッジ」に焦点があたっている。

 スキージャンプ混合団体の「失格問題」

 スノーボード男子ハープパイプの平野歩夢選手の「2本目の採点」

 ショートトラックの「疑惑の判定」

  

   あらためて、「ジャッジ」とは何かを考えさせられている。

 「ジャッジ」の基準とは何なのだろうか?

 そもそも、基準通りに「ジャッジ」することが、競技者、関係者そして観戦する僕らにとって、納得のいくものになってるのだろうか?

 納得のいかない「ジャッジ」になっているのであれば、「ジャッジ」の基準を変えていなかければならないのではないだろうか?
 

 そんなことを考えていたら、Jリーグ史上「最悪の審判」だった家本さんのことを思いだした。

 今回は、家本さんのエンターテインメントとしての「ジャッジ」について紹介したい。 

 

  「本日の主審は家本政明さんです」

 Jリーグの試合でテレビの実況が伝える。
 10年前だったら、眉をひそめて「この試合は荒れるな~」と思ったものだ。

 思い起こすのは、家本政明氏が主審を務めた2008年のゼロックススーパーカップ。

 前年のJリーグ&天皇杯覇者の「鹿島アントラーズ」と前年の天皇杯準優勝チーム「サンフレッチェ広島」の一戦。

 当時、リアルタイムで見ていた試合で、イエローカードが11枚、退場者が3名も出るという、非常に荒れた試合だった。

 Jリーグはもとより、ワールドカップやプレミアリーグなど欧州の各リーグも見ているが、現在に至るまでここまでカードが乱立した試合を見たことがない。

 おまけに、試合はPK戦となったのだが、PKをファインセーブしたはずの鹿島のゴールキーパー曽ヶ端選手のプレーが、広島のキッカーの選手が蹴る前に動いたということで、2度やり直しさせられ、結果、広島が勝ってしまう・・・という最悪の結末に。


 スタジアムが騒然とした雰囲気になり、家本氏もその後何試合か出場停止をくらうのだが、それくらいひどいジャッジだった。

 
 サッカーの試合においては、試合の流れに応じたジャッジが求められる。

 厳密な基準に従いファウルの笛を吹けば、もしかしたら1分間に数回、試合を停めなければならないかもしれない。

 だが、それはサッカーそのもののエンターテインメント性を失わせるものだ。

 この試合を家本氏はこう振り返っている。

 このとき、僕の頭の中には、「選手のやりたいことをできるだけ引き出そう」とか、「サッカーフェスタのような皆が喜べる、楽しめる試合にしよう」といった、サッカーの本質や人々の喜びと向き合う意識は全くありませんでした。「警告や退場の基準をしっかりと示さなきゃ」とか「ファウルも細かく丁寧に取らなきゃ」、あるいは「なめられないよう強く、厳しくいかなきゃ」といった、全く不要でおかしな考えをもつことしかできていませんでした。 

【手記】“日本一嫌われた審判”家本政明が綴る半生 ゼロックス杯の悲劇「僕は評価と規則の奴隷」だった
Numberweb https://number.bunshun.jp/articles/-/846863?page=2 より引用

 だが、いつの間にか家本氏は、選手の、サポーターの共感を得て、名審判と呼ばれるようになっていった。

 それは、家本氏が、ゼロックススーパーカップの悲劇を反省し、家族や様々な人との出会いの中から、フットボールの歴史や競技規則を学びなおすとともに、コミュニケーション、心理学、哲学など様々な分野に挑戦し、自己研鑽を重ね、レフェリースタイルを再構築していったからだという。

 迎えた2019年、家本氏は、2度目のゼロックススーパーカップの笛を吹くことになった。
 その試合はとてもスリリングなものとなり、Jリーグチェアマンほか関係者から「とても面白い試合だった」と賛辞を受け、2008年の呪縛が解けたという。

 その後のレフェリースタイルについて、家本氏は言う。

 「ゼロックス杯の呪縛」から解放された僕は、「皆がフットボールを楽しめるレフェリング」「フットボールの競技力が向上するレフェリング」「顧客の創造ができるレフェリング」を追求すべく、試行錯誤しながら毎試合に臨んでいました。
 問い続け、考え続け、仮説を立て続け、実際に試合でいろいろと挑戦し続けていく中で、見えてきたことがあります。それは何かを「始める」「やる」前に「やめる」「捨てる」ことが大事だということです。
 例えば、些細なことに過剰に反応するのをやめる、簡単に笛を吹くのをやめる、独りよがりの正しさや正確性の追求をやめる、といったことです。
 やめた引き換えに、アドバンテージを積極的に採用する、選手の気持ちを考える、丁寧なコミュニケーションで選手と向き合う、見ている方が、今なにが起きているのか解るような行動を取る、といったことを心がけていきました。
 この意識と行動によって、ファウル数は極端に減りましたし、ノーカードの試合も増えました。そのことで、プレーが止まらない時間がかなり増えて、多くの方がサッカーを楽しみ、サッカーに集中できる環境を創りだせるようになりました。その結果、観戦の満足度も劇的に高まっていきました。
 

【手記】“日本一嫌われた審判”家本政明が綴る半生 ゼロックス杯の悲劇「僕は評価と規則の奴隷」だった
Number web
   https://number.bunshun.jp/articles/-/846864?page=4  より引用

 気が付けば、Jリーグ最多の516試合で審判を務め、選手にも、チームにも、サポータにも愛される存在となった。

 そして、2021年12月4日、川崎フロンターレVS横浜Fマリノスの試合をもってJリーグの主審を引退。

 これからは、サッカーの魅力を高めていく活動をしていく予定だという。


 

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