一病息災

2019春

 私は左利きです。字だけは「書き順があるから」と入学前に右に直されました。でもクレヨンや絵筆は左。箸や針や包丁も左です。小さい頃からちょっとしたことにやりにくさを感じることが多かったのですが、それは自分が不器用なのだと思っていました。ところが大人になって日用品や街の設備などが何でも右利き用にできているのに気付きました。例えばセロテープの刃や自動販売機など、右手を使えば「あら、やりやすい」。不器用さは利き手弱者だからだったのです。

でもそれは一方で個性にもなりました。仲間と食事をする時、「ユウコさんはこっちだね」と左端は私の優先席になります。初対面の席でも印象づけることができ、イケメンが覚えていてくれて二次会で譲ってもらうのはちょっといい気分です。

 さて、そんな状況はいつの間にか「自分と他者の違い」を受け入れる意識を根付かせてくれました。それは人とコミュニケーションをとるのに大きな力となっています。私が利き手に敏感なように、この人は私には気づかないことに気を配っているのかもと思うと自然と謙虚になれます。「ふつう」「あたりまえ」は人によって違うのだ、では目の前の人と共感できることはなんだろうと相手の存在が大事なものに感じられ、良い関係に繋がっていくように思います。

 以前からよくお子さんについて「この子、左利きみたいなんです」という相談を受けてきました。30年前は「からかわれたらかわいそう」「祖父母から直せといわれて」という内容でした。最近はマイノリティへの意識がずいぶん変わり「問題ないならこのままで」「直す必要はありますか?」とありのままの姿を認める方向になってきています。

 親は我が子に苦労はさせたくないし、より優れた姿にしてやりたいと思うものです。左利きの大変さも体験させたくないでしょう。確かに左利きは不便です。でも、どうにか折り合いをつけてやっていけます。この「不便さに折り合う力」というのも人生においてなかなか役に立つものです。思うようにいかないことは山のようにあるのですから。

 「一病息災」という言葉があります。「一つくらい持病がある方が体調に気をつけるので、却って長生きする」というような意味があります。生き方にも同じことが言えるような気がします。なにかしらウイークポイントがある方が、人の痛みや陰での努力を感じとる心の柔らかさを持つことができるのではないかとぼんやり考えています。

 元来負けず嫌いでお山の大将になりがちだった私が、人と関わる喜びを感じながらこの仕事を続けられるのも、きっと左利きと丸い体型のおかげだなあと運命に日々感謝しているところです。

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