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【書評】ワーニャ伯父さん(チェーホフ著 光文社古典新訳文庫)

11代伝蔵の書評100本勝負16本目
 チェーホフはずっと気になっていました。高名なプロからの評価が高かったから。数年前にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロは影響を受けた作家の一人としてチェーホフを挙げていますし、シェークスピアの翻訳で知られる小田島雄志はチェーホフを愛し、大学院生時代、彼の名をもじって「池永保夫」というペンネームを使っていたそうです(誰も気が付かなかったらしい)。
 しかしながら今回ようやく手に取ったのは、別の理由があります。先般観た「ドライブマイカー」が大きな契機になりました。
 この映画の主人公、家福悠介(西島秀俊)は演出家兼俳優で、「ワーニャ伯父さん」を演出家として公演予定です。公演に向けての役者選びから稽古シーンそして舞台そのもののシーンやセリフが「ドライブマイカー」の展開とリンクしていきます。
 「ドライブマイカー」をご覧になった方は分かると思いますが、この映画は観客に考えさせ、想像させる映画です。謎の多い映画でもあります。その大きなヒントが「ワーニャ伯父さん」そのものにあると思い、本書を手に取りました(因みに読んだテキストは光文社古典新訳文庫版です。kindle limited です笑笑)

 「ワーニャ伯父さん」の舞台はセレブリャコフ家の屋敷だけです。大きな展開があるわけではなく、登場人物の愛憎劇をその中心としています。戯曲を読む時には特に登場人物が重要ですから、まずはそれを簡単にメモしてから読み進めました。
 戯曲を読むときにはいつも思うのですが、戯曲は舞台での公演を前提としていますから役者のセリフつまり、音声が重要です。だから黙読するといまひとつ物語に入り込めないのです。特に「ワーニャ伯父さん」は大きく劇が動くわけではなく、舞台も基本1箇所です。前述したように登場人物の愛憎模様をセリフだけで読み取るのはしかも黙読で読み取るのは難しいと思いました。
 「ドライブマイカー」の謎解きのために読み始めた「ワーニャ伯父さん」ですが、むしろ「ドライブマイカー」終わりの方の舞台シーンが「ワーニャ伯父さん」の謎に光を当ててくれます。それは「ワーニャ伯父さん」でもっとも有名なシーン(らしい)ソーニャの長い独白です。チェーホフの師匠であるゴーリキーは「女のように泣いた」そうですが残念ながら僕は泣けませんでした。それでもソーニャのセリフ「そうしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、辛かったって。すると神様はあたしたちのことを憐んでくださるわ」や「あたしたち、息がつけるんだわ、…。あたしたち息がつけるようになるわ」は映画のシーンと共に思い返されました。
 
「ドライブマイカー」の最後のシーンはドライバーである渡利みさきが買い物を終えて車に乗り込み、走り出すシーンです。ハンドルを握ったみさきの柔和な笑顔はこれまでに見せたことのないもので、「ワーニャ伯父さん」におけるソーニャの最後のセリフ「あたしたち、息がつけるようになるんだわ」と繋がるような思います。
 どちらが先でも構わないと思いますが、「ドライブマイカー」を観ることと「ワーニャ伯父さん」を読むことはセットのような気がします。そして機会があれば舞台「ワーニャ伯父さん」も是非観たいと思いました。


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