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【読書】 知りたくなる韓国

14世紀末まで高麗という王朝があった。高麗を倒して誕生したのが朝鮮王朝。およそ1400年から1900年までの500年間続く。長い。朝鮮王朝になると日本史にはさっぱり登場しなくなる気がする。

朝鮮王朝は中国の冊封体制下に置かれていた。さすがに地続きでは抵抗も難しいか。

高麗を倒しても中国に認められなければ正式な王としては成り立たない。朝鮮王朝は第三代の時にやっと正式に認められた。

中国の冊封体制下にあった朝鮮では漢字を重んじておりハングルは蔑んでいた。ハングルを偉大な文字として扱い始めたのは20世紀になってから。

朝鮮王朝は大きく「良」と「賎」の2つの身分に分かれていた。賎は実質の奴隷。良の中でも特に身分の高い両班は科挙による試験はあるが、代々両班の家系が科挙を免除されて受け継いでいた。両班は学問に励むことを美徳としすぎたため商業、貨幣経済が発達しなかった。

朝鮮王朝は500年続いたが強固な国家だったわけではない。詳細は省くが権力争いと王自身の不健康な生活による短命などで権力者が安定しない感じ。

ちなみに1866年に鎖国政策を進めそれに伴ってキリスト教の弾圧も行った。数千名の朝鮮人のキリスト教信者とフランス人宣教師9名を殺害した。朝鮮でもキリスト教弾圧はあったんだ。

鎖国政策をとったうえでアメリカ商船を沈めるなど攘夷運動が活発化。(この辺も日本と似てる)報復のためにやってきたアメリカ軍も撃退。鎖国政策も継続される。一方日本は不平等条約を結ばされ開国に舵を切った。結果として日本の方が先に近代化することになった。

さて朝鮮王朝時代は日本との関係において大きく取り上げる事象はなかった。19世紀後半は欧州がアジアに植民地を求めて手を伸ばしてきた時代である。日本はそれに対応するために防波堤として朝鮮も近代化し自立して欲しかったがそう簡単にはいかなかった。特に清の影響が大きく朝鮮内部だけで近代化や独立は果たせそうになかった。それが破られるのが日清戦争である。日清戦争後の下関条約では「第1条 清は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す。」が条項内に明記された。こうして日本は朝鮮王朝を清との関係から引き離した。

日清戦争後、朝鮮は近代化の道を歩み始めるが清の影響が弱まると次はロシアが影響力を強めてくる。日清戦争後は日本とロシアの思惑と影響下で朝鮮はゴタゴタすることになる。とりあえず清の元から独立したことで朝鮮王朝は、中国の皇帝の下につく王を戴くのではなく自ら皇帝を戴く大韓帝国になった。

ロシアと日本の朝鮮半島での勢力争いは日露戦争で決着が着く。ポーツマス条約で日本が大韓帝国に対して執る「指導、保護及監理の措置」を阻害しないことを約束した。

日本における次の課題は大韓帝国を併合するか否か。日本の朝鮮半島に対する目的は欧米列強から朝鮮半島を植民地にされないようにすること。仮にそんな事になれば朝鮮半島を橋頭堡にして日本まで手を伸ばしてくるのは時間の問題になるからである。しかし併合すると大韓帝国内部の問題も引き受けなくてはならなくなり、それも面倒。よって当初の予定は大韓帝国を近代化させ自衛力を身につけた上で同盟を組もうと考えていた。実際に近代化に対しては、教育、産業、司法など様々な分野での近代化を進めていった。

併合慎重論をとっていた朝鮮総督府初代代表の伊藤博文の暗殺で方針が併合に傾いていく事になる。伊藤博文を暗殺したのは安重根。現代では英雄扱いらしい。

伊藤博文が暗殺された事により併合積極派の山縣有朋が権力を握る。欧米列強に取られる前に自分たちのものにしてしまおうという思惑。とはいえ三国干渉の時のように後々難癖をつけられてもたまらないので、日韓の「合意」が重要であった。その際に日本側が提示した条件で重要なのが「純宗・高宗やその親族に日本の皇族に準じた地位を用意する」というもの。(第二次世界大戦後の日本の天皇の地位保証とイメージが被る)。その他に大韓帝国から朝鮮へ国号を変えることなどを盛り込んで併合条約を締結した。

第一次世界大戦後、ウィルソン大統領による民族自決の原理が提唱される。朝鮮でもその影響で独立の機運が高まる。学生たちが役所や警察署を襲い日本側がそれを鎮圧した(3・1独立運動)。

第二次世界大戦後、日本の統治下であった朝鮮半島をどうするかアメリカとロシアで利害を調整した結果、北緯38度で二分する案をお互い受け入れた。終戦直後の8/16には朝鮮における治安維持と正規軍の編成、食料配給の維持などの制作発表を行い朝鮮半島の独立を試みたが、アメリカとロシアは受け入れず結果として南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国が成立し、朝鮮半島は分断された。日本の植民地時代を終えた先はアメリカとロシアによる分断統治だった。

終戦後の世界的な課題は共産主義対自由主義の冷戦構造。朝鮮半島は北をソ連に南をアメリカに分断された事で、イデオロギーの対立が明確になりその状況を冷静に掴んでいた李承晩が南単独での独立を目指す事になる。
1948年に選挙を実施。憲法を制定。李承晩を初代大統領に選び「大韓民国」を樹立した。

終戦後の朝鮮の勢力図は圧倒的に北が優位だった。大韓民国は基本的に農業が中心で産業、軍事力共に北に対して劣っていた。こうした力関係を背景にして北は朝鮮半島の統一を目論み、1950年大韓民国に対して戦線布告(朝鮮戦争)。首都ソウルを3日で陥落させた。

朝鮮戦争は北朝鮮軍が一気に大韓民国を占領。アメリカ主導の国連軍が反撃し中国国境付近まで撃退。中国軍の反抗により38度線まで後退しそこで膠着。といった流れ。朝鮮戦争の日本への影響はのちの自衛隊の元となる警察予備隊の組織化、特需による好景気が大きい。

1951年に休戦(終戦ではない)。韓国は朝鮮戦争を機にアメリカと相互防衛同盟を組みアメリカ軍の韓国への駐留を受け入れる。

朝鮮戦争後の韓国は内政が混乱。李承晩が野党勢力を弾圧。改憲や不当選挙を繰り返しついにはハワイに亡命し客死。その後は議院内閣制を採用したものの朴正煕率いる軍事クーデターにより1年で幕を閉じる。朴正煕は議院内閣制を大統領制に戻し反対勢力を弾圧、統制、粛正していく。

冷戦下のアメリカとしては対ソ連・中国のための防波堤として韓国と日本には軍事・経済防衛体制を築いて貰う必要があった。そうした背景をもとに1965年日韓国交正常化が実現する。日本は韓国に対し「経済協力金」の名目で5億ドルを供与。この時の日韓請求協定の第2条で「両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が(中略)完全かつ最終的に解決された」ことを確認した。これにより徴用工の問題はお金の上では解決した事になった(ことになっている)。

朴正煕が1979年に暗殺される。次に大統領に着いたのは崔圭夏。しかし軍部の全斗煥が裏で権力を握っていた。崔圭夏が大統領を辞任した後は全斗煥が大統領に就任。憲法を改正し大統領の任期を7年に延長。軍事独裁の色が濃くなり民主化の芽を拘束、連行、拷問により摘んでいく。このような横暴に対して国民が反発。盧泰愚を後継に指名し全斗煥は辞任。

盧泰愚の時代になって民主化を国民に約束し、大統領の任期も5年再選不可に改憲した。ようやく韓国の民主化の道が見え始める。

韓国の政治形態で特徴的なのが司法。司法積極主義に立つ憲法裁判所が大統領、国会、政党、有権者と並ぶ政治における重要なプレイヤーである。朴槿恵大統領を罷免したのは憲法裁判所。日本の最高裁判所において法律の条項を違憲・無効にしたのは1947年の創設以来10件なのに対し、韓国の憲法裁判所では創設30年で282件を違憲・無効にしている。

司法が政治に対して積極的であることがいいことかどうかは判断が分かれる。おそらく良し悪しであるが。「政治の司法化」「司法の政治化」は心に留めておくと良い。

日韓関係の話題で避けて通れないのが慰安婦問題。これは第二次世界大戦中に日本軍の性奴隷だった慰安婦らに対してどのように償うか、償ったかの問題である。2015年に安倍首相は謝罪と資金の拠出を実施している。さらに和解・癒し財団のために10億円拠出。1993年には河野談話で「軍の関与」「本人の意思に反した募集」を認め償い金の拠出と謝罪をしている。(2015年以降の慰安婦問題はどう解決していないのか?)

徴用工の問題は2018年に韓国の最高裁判所が新日鉄住金に対して賠償を命じる判決を下したことからの問題。日本としては日韓請求協定で決着している立場なので協定の解釈問題ということになるか。

韓国の経済を見てみる。特徴は1993年のアジア通貨危機による経済危機によってIMFの介入を経てもなお財閥が生き残っていること。そして輸出に偏重していること。サムスン、現代、LGなど主要財閥10グループがGDPの75%を占めている。

社会環境は超競争社会でありOECDの調査では日本以上の長時間労働である。受験が基本的に大学受験しかなく(小中高はほぼ無い)、大学に受かって卒業することが高級取りの最低ラインになっているため大学受験が非常に激しい。教育に費用をかけるので老後の資金がなく、年金制度も十分ではなく、子の支援がなければまともな老後が送れない社会になっている(寿命は日本並みに長い)。しかも大学に受かって卒業しても長時間労働が待っているので高給であっても労働環境が厳しい。

教育の費用が高すぎることは結婚と出産のリスクを上げており韓国は日本以上の少子高齢化社会になっている(機会平等のための教育が行き過ぎると社会構造を不幸にするのはなんとも皮肉である)。子供を産んでも教育費の支出の多さから教育貧困層を生み出している(結果的に貧困の再生産になっているか)。

将来に対する不安と社会への不満から「ヘル朝鮮」という言葉が生まれる始末である。

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