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【読書】 無文字社会の歴史

歴史の視点は縦方向には強いが横方向には弱い。これは西洋史を中心として見てきた世界史にも言える。黒人アフリカの歴史が世界史において申し訳程度にしか扱われていないことが証左である。人間が過去を認識する時、対象が認識上の主体に近いほど歴史的に働くが、遠いほど歴史の問題は地理的な隔たり、つまり文化空間の差異の問題に置き換えられる。

文字を持たない社会は、口頭による伝聞が主になる。歴史伝承の中でも特にイデオロギーの表現としての面が強くなるのは、集権的政治組織をもつ社会の場合、現王朝による支配の由来を物語る部分である。

非現実的要素まで含めた歴史伝承が、それを生み保持している社会による現存制度の説明ないし正当化の一表現であるという点を主張したのは神話を「社会憲章」とみたマリノウスキーとその流れをくむ英文化人類学者たちである。
そに見方にとって社会の起源を語る伝承は「現存政治上、儀礼上の諸関係の形式化された表現以上の何もにでもなく、現存する状況の説明として、人間によって発明されたもの」

歴史伝承の客観性とは何か?「観察者」がもつと自認する「客観的」で「普遍的」な基準も、視点を変えれば「社会の内部に存在するイデオロギー的歴史」の一部をなしている。ヨーロッパが探検航海者がアフリカを「発見」して以来、文明の周辺あるいは底辺に未開な「文明」として位置付け取り囲んでいる。
コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したという言説に何の疑問も抱かないような歴史観がそれを物語っている。

文字がなく歴史もない暗黒大陸の烙印を押されただ「見られるもの」として生きることしかできなかった黒人アフリカの人々が、自分たちも世界の中に確かに主体的に存在しているのだと主張する中で発表されてきた歴史研究は、よく見れば結局、既成の歴史上の価値観の枠の中で既成の権威を支えにしながら、ヨーロッパ文化に対するアフリカ文化の位置を相対的に引き上げようとしたにすぎないものが多かったように思える。

対象とされる異文化の内側に入る努力をすることによって己の持っていた概念と研究対象が持つ概念の隔たりを知り、その隔たりを比較可能な形に高めることによって普遍的なものを模索する道が拓ける。
それはあくまで多様性から出発すべきであって、例えば近代西洋の知的環境で作り上げられた概念やモデルを異文化の対象の上に押し広げて「普遍化」して事足りることであってはならない。

無文字社会を研究する意義は、これらの研究が真の意味での「世界」史のダイナミズムを理解する手がかりになりうる可能性を探ることにある。「未開」と言われてきた社会も「文明」社会と同じ歴史の深さをへてきており、これらの社会も「文明」社会と常に同時代を生き、直接間接的に関係をもってきた事実がある以上、地理的な文化の差異を直ちに歴史的な発展段階の前後関係に置き換えることの非はいうまでもない。これは「伝統的」という言葉使いにも現れやすい。「近代化」された社会と「伝統的」な社会はそのまま「文明」社会と「未開」社会の対比の視点に容易に陥るのである。「伝統的」がそのまま「固定的」と理解され、特定の社会の条件のもとに作られたものが、その後変化してきたにも関わらず、固定されたものとして認識されることの弊害。

つまるところ無文字社会のような「未開」とされる社会を「文明」社会の過去の姿であり時代を経るにつれて「未開」の社会「文明」社会のようになるのであるというような進化の流れとしての認識が間違いであるということ。
このような視点の誤りを指摘した上でも、無文字社会の研究は適切な差異の視点を持ち続けることにより見える「普遍性」により、歴史の動態を理解するモデルとして意義を持ちうるのである。

これを超越しようと試みた概念が「冷たい社会」と「熱い社会」である。レヴィ=ストロースが提唱したこの概念は「冷たい社会」=内的調和がとれ出来事を構造の中に吸収しようとする社会であり、時間軸に沿ってみればその歴史は反復的である。そこでは「歴史が構造に従属している」これに対し「熱い社会」は出来事が構造を変えていくような累積的な歴史を持つ社会のことである。
これらは実存する社会に実際に対応する概念ではなく、実存する社会をより理解しやすくするための極限概念である。その点で柔軟性があり、歴史に発展段階の問題とは直接結びつきを持たない。

年代づけというものがもつ意味を無視して、西暦、世紀、千年紀などの尺度をア・プリオリに絶対年代の尺度でもあるかのように、無文字社会の歴史も含めた「世界」史に当てはめることに対する無感覚さの前で、私は立ち止まる必要性を感じる。

文字、および文字にくらべられる機能をもつ記号を発生期の状態で概観すると、そこには二つの性質が見られる。一方を「秘儀生」、もう一方を「規約性」と呼べるかもしれない。秘儀性の強い文字、つまり文字を記したり読んだりすることが特定の少数に限られ、文字が多少とも呪術・宗教的な世界に関わっている文字のこと。例えば、殷の甲骨文字、マヤの暦記号、エジプトの神聖文字など。
規約性の強い文字、つまり法的な取り決めや目録、統計、契約などを記した文字のこと。例えば、バビロニアの楔形文字、フェニキア文字、インカの結縄(キープ)など。

レヴィ=ストロースによれば文字は人類の知識に貢献したのではなく、権力による人間の支配に役に立ったという認識を展開する。文盲を無くす運動は権力による市民の統制の強化と不可分の関係にある。なぜなら、法を適用するために全てのものが読むことを知り法を知っていなければならないからである。しかしこの議論には多くの誤りや混乱があることも指摘しておく。

文字がすぐれて人間の「立ち止り」の産物であり、意志的、個別的な表明の結晶であるとすれば、無文字性と呼ぶべき部分は、その基底部をなす、無意識的、集合的ないわば文化の下部構造に対応するといえる。

フィールドワークは、決して文献研究によってあらかじめ作られた枠組みに沿っての単なる現地での資料集めの作業ではあってはならないのである。

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