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「人権」という不平等な権利―加害者を優しく保護する権利


#PS2023 #加害者 #人権 #アカハラ

加害者は常に有利で保護されていると身に染みている。

学校内で行われる暴力・恐喝・名誉毀損・性犯罪は、「いじめ」とやわらかく言い換えられる。
性犯罪は「わいせつ」「いたずら」と曖昧な表現だ。
メディアは頑なに犯罪名を報道することを恐れているのか、加害者を擁護しているからなのか。

パワハラ・セクハラも加害者が「そんなつもりはなかった」「ふざけただけだ」、これでなかったことになる。五ノ井里奈さんが受けた性被害も同様、「そんなことはしてない」でうやむやになりそうだった。
常に加害者は逃げ道があり、被害者は泣き寝入りしなければならない。

被害者が加害事実を証明するなら、メモを取り、発言を録音し、報告するためにトラウマになった出来事を繰り返して説明しなければならない。
無理やり閉じ込めた思い出したくない出来事をほじくり出すので、夜も眠れず不安定な精神状態で過ごすことを強いられる。
加害者に「そんなつもりはなかった」と否定されれば「なかったこと」「あなたの思い過ごし」ですまされる。
加害者の人権保護が行き届いたので、無罪放免になるのだ。

人権は誰にでも平等に保障されているので、加害者の発言と人権は尊重されなければならない。

ワタクシが経験したアカデミック・ハラスメントを例に出そう。
W教授の人権に配慮した素晴らしい処分だった。

W教授は常々大学院生に「研究指導のため」という名義で人格否定をしていた。研究テーマと関係ないのに、女性大学院生に性風俗の本を読ませ感想を言わせていた。研究テーマが性産業なら納得ができるが、ただニヤニヤしているだけだった。

ある日のディスカッションでは「僕はポルノを世話して欲しい」と発言したが、周りはいつものことと無視していた。
しかしW教授は自分の知らない言葉を聞くと激怒し始め、「俺の知らない言葉が出てきた。気持ち悪い。そんな話は聞かない」と終始怒鳴り続け、ディスカッションが成立しなかった。
ワタクシは心の中で「アカハラ委員会に訴えよう」と決意、彼が怒鳴り続けている間反論しながらメモを取っていた。

アカハラ委員会に報告し、聞き取り調査が始まった。窓口担当者、相談者、事実の聞き取りと3回同じことを言わなければならなかった。特に相談者は「本人から聞かないとわからないものね」と他人事のように話に聞き入っていた。

アカハラ委員会の決定した処分は「W教授がワタクシに謝罪する」、たったこれだけのこと。
ワタクシは説明のために労力を使い、勉強する時間や機会を奪われた。
それなのに「すみません」のたった一言で物事が終わるのだ。

謝罪の場が設けられ、責任者から「これからW教授が謝罪するからその気持ちを受けてほしい」と説明があった。ワタクシは慎み深く温厚な性格だ。
だからこう言った

「プライベートな時間を使い、労力も使った。勉強する時間も割いた。腹立たしい気持ちはまだ治らない。それをたった一言『すみません』で済ませるのか。謝ればそれで全て解決するのか。」
「謝罪は受けない。この不愉快な気分を存分に味わえ。それがワタクシへの配慮だ。」

今後希望があるのかと聞かれたので、「W教授に院生室に来て欲しくない。彼はいつでも何時間でも滞在する」と返事をした。担当者の答えは「それはW教授の行動制限になるからできない」。
加害者の人権に配慮した優しい回答だった。
だから「禁止ができないなら希望ならいいだろう。W教授が院生室に来ないことを希望します。配慮してください」と伝えた。

自分のやらかしを謝罪で済むと思ったのだろうW教授は、別室で待機していたが出る幕がなかった。
用意された部屋を出て行くワタクシの後をついてくる足音は聞こえたが、振り返らず無視した。

無視した理由は、ここで何か言うとワタクシが加害者になる。
自分の加害を認めて謝罪するW教授の心を踏みにじることになるからだ。
W教授の大切な人権を蹂躙したと大学側が判断するのは明らかだった。

その後W教授は何のお咎めもなく転勤して定年を迎えた。彼のアカデミック・ハラスメントは経歴に少しも影響しなかった。

アカデミック・ハラスメントを実名で公表しないのは、ワタクシが加害者になる、たったこれだけの理由だ。
こんな男のために自分のささやかな安定した生活を壊されるのはごめんだ。
理性でも配慮でもなく、ワタクシは加害者の人権保障について知っている。

これは10年前の話だが、被害者に配慮する世の中になったか。
答えは「否」、ますます加害者の保護を手厚くしている。未成年でも被害者の実名を公表し、受けた暴行を細かく報道する。しかし加害者の実名には全く触れない。理由は「若者の未来を奪いたくない」である。さらに少年法で加害者を保護する。加害者の人権擁護は揺るぎない。

他の犯罪も同様、子ども・障害者・障害児・高齢者に対する暴力は「虐待」、家族内殺人は「心中」と言い換えられる。
これも加害者を擁護するためとしか考えられない。虐待という名の暴力を立証するためには、発見者や当事者が何度も同じことを違うところで繰り返し説明しなければならない。
その労力と時間を費やしても、加害者が「そんなつもりはなかった」と言えば「なかったこと」になる。

加害者はいつも巧妙だ。加害者が組織の汚点を隠したい上司に相談すれば、「そんなつもりはなかった」ですまされる。
被害者が受けた暴力・名誉毀損・人格否定は「なかったこと」になる。加害者を擁護する組織が、「そんなつもりはなかったって言ってるし、悪いと思ってるから」と被害者にことをあらだてないように丸め込む。
被害者が加害事実の証拠集めをした時間も労力も、被害を受けた心も身体も「なかったこと」「謝罪した」で済まされる。どう考えても加害者の人権が厚く保護されているとしか考えられない。




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