日本女性

【チェンダーオ清流土管温泉】

 チェンマイから北へ1時間半ほど走ったチェンダーオといえば、タイで三番目に高いチェンダーオ山と、その麓に穿(うが)たれたチェンダーオ洞窟(鍾乳洞)寺院で知られる。

 周辺の山間部には、タイでも珍しいパロン族を初めとする多種多数の山岳民族も暮らしている。

山

洞窟寺

 さて、移動するたびに姿を変えてゆくチェンダーオ山の不思議な勇姿に見惚れつつ国道107号線を進み、洞窟寺への曲がり角からやや左手にそれた細道に入ってゆくと、突き当たりに「野生生物リサーチセンター」がある。

 その左手の小さな渓流川原に見えるのが、このところ外国人ツーリストの間でも急速に人気が高まっている「清流土管温泉」である。

 もともとは、対岸集落で暮らすカレン族の人々が発見し、源泉から竹筒を引いて山仕事の帰りに「掛け湯」を浴びたり、洗濯、竹の子ゆがきなどに利用してきたという。

 ところが、日本人高齢者向け保養施設が建設されたり、地元の女性と結婚してこの一帯や近辺に住み暮らす日本人が増えて、この泉質のいい温泉を有効利用できないかという相談がまとまった。

 互いに知恵と金を出し合い、先ずは川原を平らにならした。

 次にコンクリート土管を購入運搬して、苦労の末に据え付けに成功。これまでの竹筒を長持ちする塩ビパイプに変え、湯温の調整もできるように工夫して原型を形作った。

 今からちょうど16年前のことである。

土管看板

カレンおばば

 この情熱を支えたのはむろん、この恵まれた自然の中で「日本式露天風呂に浸かりたい」という極めて素朴な願望であった。

 ところが、このささやかなプロジェクトに賛同し協力してくれた地元カレン族の人々、そしてリサーチセンターのスタッフなども完成した土管温泉がいたく気に入り、今度は彼ら自身の力で一つ、二つと土管が設置されるようになる。

 現在では、狭い川原に8個もの土管が居並ぶようになった。

 中には、すでに外側が苔むした土管もあるほどだ。

 そうして最近では、フェイスブックやインスタグラムなどのSNSを通じてその魅力が喧伝され、地元の各山岳民族はもとより遠方からのタイ人、そして海外からのツーリストが混じり合って野性的な温泉を楽しむという実に国際的な光景が見られるようになってきた。

      *

 ところが、「onsen」がタイ語化するような人気は出ても、もともと温泉に馴染みのなかったタイ人や山岳民族では、その管理にはまだ目が行き届かない。

 そこで、土管周辺にゴミが落とされたり、すぐそばの清流で遊んだ際に体や水着に付いた砂を落とさずに浴槽に入ったり、浴槽底に溜まった湯垢で底がぬるぬるしたりと、様々な問題も出て来ている。

 そこで最初にこの土管を設置した高齢の日本人たちは、今でも入湯を兼ねてゴミ拾いや土管清掃に精を出し、そのあとで温泉で汗を流すという実に日本人らしい心遣いで、地元の人々と協力しながらこの温泉の人気ぶりを支えているのである。

川からの土管


ファランビキニ

山岳民族

 さて、下手な能書きはこのくらいにして温泉を楽しむことにしよう。

 嬉しいことに入場料は無料、その代わり着替え室などはないからバスタオルなどを持参して短パンや水着、各自工夫の浴衣(よくい)などに着替えることになる。

 タイの共同浴場では、全裸になることは厳禁なのだ。

 川原に降りる場所に「本日の湯温表示ボード」が設置されているものの、複数ある土管浴槽の湯温は調節機能の都合でまちまちである。

 タイ人は日本人の好むような熱い湯が苦手だから、総じてぬるめ。

 だから、それぞれの浴槽に手をつけて好みの湯温を探す必要がある。

 土管の縁をまたいで、底に溜まった湯垢が浮かないようゆっくりと体を沈める。

 ああ、極楽、極楽。

       *

 タイの温泉は火山性ではないから、硫黄の匂いもなく泉質が柔らかい。

 あふれた湯は川に流れるから石鹸やシャンプーの仕様は控えたいが、掌に湯をすくって何度か顔を洗えば脂も抜けてしまう。

 上体を反らしてくつろぐと、頭上を覆う巨樹の枝葉から優しい木漏れ日が漏れる。

 対岸にはひなびたカレン族の集落。

 視線を落とすと小魚の銀鱗が光る透き通った清流。

 川面に映る青空は、チェンマイとは大違いの抜けるような青だ。

 チェンダーオというタイ語は、「星の町」という意味。

 夜空の壮観は言うまでもないだろう。

 体がほてってきたら、小魚の見える清流の浅瀬に腹這いになって身の引き締まる冷水に浸る。

清流つかり

清流

 仰向けになると、抜けるような青空と白い雲、そして木々の緑。

 体をひねって川原に目をやれば、大樹の下の緑色がかった空間に素朴な土管が並び、微笑みを交わし合う国籍と民族の異なる人々を包み込んでいる。

 平和である。

 日本を離れた身で、これ以上の何を望むというのだろう。

 いつ果てるとも無い放心のときが続く。

 すでに、土管と清流の間を何度行き来したことか。

 ああ、このまま居残って無数のきらめく星を眺めつつ眠りに落ちたならば、どんなにか幸せなことだろう。 

 

 

 

よろしければ、取材費サポートをお願いします。記事をより楽しく、より充実させるために活用させて頂きます。