旧隣家

【クンター流カレン族生活体験 その③】

<不思議感覚、割り竹の家>

 四歳と六歳の男の子は、楽しそうにピョンピョン飛び跳ねている。体格のいい日本人のお父さんは、怖々そろそろと歩いている。タイ人のお母さんは、「まるで実家みたいだ」とすっかり寛いでいる。カレン族伝統の割り竹床に対する反応は、人さまざまだ。

 わがカレン族生活体験民泊小屋〈オムコイ・バンブーハウス〉は、文字通り竹でできた家である。

 と言っても、竹を丸ごと組み立てているわけではない。先ずは胴回り30~40センチの孟宗竹の節を抜き、全体に不連続な縦の切れ込みを入れてから一カ所を縦に割って徐々に開いていくと板状になる。魚の開きならぬ「竹の開き」である。これを床材として並べ敷き詰めると床になるし、壁材として並べ立ててゆくと壁になるという寸法だ。

 床支えの梁は、山から切り出してきた直径6センチほどの丸材である。壁の内側の抑えには同じ丸材を、外側からの抑えには幅3センチほどの細長い竹板を使う。これらを釘で打ち付けていけば、床と壁は瞬く間に完成する。

 と言いたいところだが、竹の幅はそれぞれに違うし、一直線に裁断されているわけではない。そこで、できるだけ隙間ができないように取っ替え引っ替え、削ったり叩いたりしながら一枚一枚嵌め込んでゆくのだから、なかなかに大変な作業なのである。   

 伝統的なカレン族の家は、この壁の上に竹の棒の梁を渡し、バイトォンと呼ばれるチークの葉っぱを竹ひごで結わえたものを敷き重ねて屋根を葺く。だが、最近では手間がかかり耐久性にも劣るというので、ほとんどがトタンやスレート屋根に取って代わられている。

 いや、そもそも割り竹の家そのものが急速に減少してきているのだ。近所で割り竹・葉っぱ屋根の小屋に住んでいるのは、ひとり暮らしをしている義理の叔母くらいなものである。

カレン小屋

伝統的カレン小屋

 初めてこの村にやってきて、嫁と家族が住む割り竹の家を見たときは心底驚いた。壁が隙間だらけで、そこから太陽の光が燦々と差し込んでいるのだ。母屋の床は板張りで囲炉裏のある台所だけが割り竹床だったのだが、歩くとびよ~んびよ~んと上下に揺れる。油断すると踏み抜きそうになる箇所もあった。

 だが住めば都とはよく言ったもので、実際に暮らし始めてみると住み心地はさほど悪くない。何よりも、屋内に居ながらにして風雨を文字通り肌で感じることができる。日本では天然記念物に指定されている世界最大の蛾ヨナグニサンを初めとして、セミ、カブト虫、巨大キリギリスなどあらゆる虫が出入り自由だ。

 囲炉裏からの煙は脇の寝室をもろに直撃するけれど、床にあぐらをかけば尻がしっくりと馴染むし、竹の隙間からは煙草の灰やゴミも落とせる。

 まあ、日本で趣味としていたアウトドアライフの延長みたいなものだ。ついには、新しい母屋が完成した昨年の10月まで5年近くも割り竹の家で暮らしていたのだから、我ながら恐れ入る。

 この半高床式のボロ家を改築して、宿にしようと言いだしたのは嫁のラーだった。

 それまでも、友人知人、ブログや本の読者などが時おりわが家を訪ねてくれていたのだが、客間などないから近くのリゾートや当時やっていた麺屋の小部屋に泊まってもらうしかなかった。しかし、それだと本物の村の暮らしを体感してもらうことはできない。

 そのうちに、リゾートからわが家に来る途中無灯火のバイクにはねられる人などが出て、いっそのこと宿にして同じ敷地内に泊まってもらった方が安心だし、朝夕の食事や生活体験を共にすることで、より楽しい時間を過ごしてもらえるのではないかという結論に達したのである。

 幸いなことに、交通の不便さにも関わらず、予想した以上のゲストが訪ねてくれている。ほとんどの人が口にするのは、「なんだか懐かしい感じがする」「どこかホッとして落ち着く」という感想である。

 そうして、農閑期に行われているカレン織りや魚獲り、竹の子掘り、茸採り、それらを使ったカレン料理、村人との宴会交流などは不便さを差し引いても充分に楽しいものらしい。

 改善の余地はまだまだありそうだが、カレン族伝統の割り竹家がかもし出す不思議感覚は、徐々に市民権を得つつあるような気配である。

                           (次号に続く)



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