カレン族

【クンター流カレン族生活体験 その①】

★連載コラムを読んでいただく前に

初めまして!

タイ王国チェンマイ在住の物書き、クンター吉田です。

「クンター」とはタイ語で母方の祖父、つまり「お爺さん」という意味。

10数年前、52歳で妻を亡くしたあとにチェンマイを旅していたとき、私は偶然に山岳民族カレン族の女性と知り合いました。

そして、気性の激しい彼女との関係をできるだけ穏やかなものにしようと、お互いを冗談半分にタイ語で「爺さん、婆さん」と呼び合ったことがきっかけで、私の通称は「クンター」ということに。

その後、私はその女性と共に彼女の故郷であるチェンマイ郊外山奥のカレン族集落に入り、去年の11月までおよそ12年間をそこで暮らしてきました。

これから週に一度の予定で連載を始めるこのコラム集は、チェンマイで発行されている情報紙『CHAO(ちゃ〜お)』に約5年間にわたって掲載されたものです(2013年4月号〜2018年11月号)。

 2012年に刊行した『「遺された者こそ喰らえ」とトォン氏は言った---タイ山岳民族の村で』(晶文社)のいわば続編に当たるこのコラム集を、カレンの村を離れたいま、多少手を加えながらも当時の息づかいのままに再現・公開します。

タイ式に、のんびり、ゆったり楽しんでいただければ幸いです。

【☆連載コラム☆クンター流カレン族生活体験】

〈その① 遺された者こそ喰らえ!〉

「え、オムコイ? “何がなんでも婿に来いっ!”みたいな凄い迫力の地名ですね、うふ」

 かつて、チェンマイで見知った女子大生は無邪気にそう微笑んだものだが、実際にオムコイで「お婿入り」した私のガラス細工のようなハートには、無数のひび割れがピキピキと音を立てて広がったものだ。

(*タイ文字表記によると「オムコーイ」となるが、当地での発音がすっかり耳に馴染んだ私は長年こう表記している。悪しからず)

 チェンマイ市街から南西方面に進むこと約180キロ。一応、全線舗装道路であるからしてクルマをすっ飛ばせば約3時間半の道程なのだが、中間地点のホートという町を過ぎると以降はひたすら急峻な山道が続く。

 いま流行りのお洒落な表現を使えば、「どリゾート」ということになる。

収穫前

 さて、では。そんな山奥のカレン族集落において、家族や村の衆から「クンター(爺様)」と呼ばれているこの私は、一体何をしているのか?

「阿片王で~す。毎日、酒池肉林で~す」
 
 なんぞと豪儀にうそぶいてみたいものだが、実際のところは生きる為に地べたを這いずり回っている。

 その迷走の軌跡は、牛&黒豚の飼育、ナマズ養殖、バナナ畑を拓いての野菜栽培等に始まり、バイク修理屋および麺屋の開店、さらにはそれぞれの赤字閉店を経つつ幾星霜。

 この2月には性懲りもなく、カレン族伝統の「竹の開き」で壁と床を張ったオンボロ家を改築して、“オムコイ・バンブーハウス”なるカレン族生活体験民泊小屋を始めるに至った。

 つまりは、今も迷走中ということである。

 やれやれ。ここにきて、この新連載タイトルの意味らしきものがようやく提示されましたね。

      *

 さて、突然話は宣伝めくのだが、この爺様、昨年の四月に一冊の本を上梓した。

 タイトルは、『「遺された者こそ喰らえ」とトォン師は言った―タイ山岳民族カレンの村で』という。

 長いタイトルである。書いた本人も、戸惑うくらいだ。そこで、多少の解説を加えたい。
 
 米の一期作と自給自足を基本とするこの村で暮らすようになったのは、まったくの弾みだった。
 
 亡きカミさんの看護中に発した極度の不眠と欝が異様な躁に転じ、世界各地を迷走した果てにチェンマイに辿り着いた。

 そこで偶然に知り合った新しい妻ラーの故郷が、この村だったのである。

      *

 カミさんが亡くなった直後、私は悲嘆のどん底にあってふと空腹を感じ、自らの浅ましさに戸惑いを覚えたことがある。

 その後は投げやりに胃袋を満たしつつ、流されるままに辛うじて命を繋いできた。

 ところが、この村に迷い込んだ途端、「喰う」という行為がすさまじい迫力をもって眼前に迫ってきた。

 すなわち、生きるためには川魚や田んぼのタニシはおろか、野山に棲息する蛇も大トカゲもカエルも野ネズミもムササビも蟻の仔すらも、それらを捕らえて理屈抜きに喰らわねばならないのである。

ヘビ丸焼き

 その現実の前で右往左往する日々に出会ったのが、わが村出身の高位放浪修行僧トォン師であった。

トォン師大

「人間というものはどうにも厄介な生きもんでなあ。最愛の人を奪われて魂がちぎれそうになっているときにすら、腹が減るようにできておる。それはな、先に逝った者が『生きよ、生きよ』と励ましてくれている証拠なんじゃよ。だからな、何がなんでも飯だけは必死に喰らわねばならん」
 
 その言葉を聞いたとき、私はカミさんが逝った直後に感じた浅ましい空腹の意味をようやくにして悟ったのだった。
       
 前記した「迷走ぶり」も、日々の泣き笑いのすべても、この本に余すところなく書かれている。よろしかったら、ぜひご一読願いたい。

      *

 はて、さて。

 言うまでもないが、この本が超ベストセラーになったわけでもなし。

 豪儀な阿片王、酒池肉林王になる才覚もない私は、これからも遺された者の義務として必死に喰らい続けねばなるまい。

 願わくば読者の皆様と共に、この地でのドタバタぶりを大いに笑いのめすことができますよう。                  

                          (次号に続く)



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