田植え

【クンター流カレン族生活体験 その④】

<棚田で田植え>

 7月初旬のいま、わが村では田植えシーズン真っ盛りである。

 今年は雨季に入った5月中旬から6月初旬にかけて雨不足だったために、かなりずれ込んでしまったのだが、薄曇りの空の下であちこちの棚田が日に日に緑色に染まってゆく光景を目にするのは実に楽しいものだ。

 畦道で行き交う村の衆の顔にも、安堵の色が漂っている。

 私自身は、田んぼを持っていない。むろん、村で暮らすようになってから、田んぼの確保は最重要課題となった。条件のいい話も、何度か持ち込まれた。しかし、実際に足を運んでみると水が出なかったり、ごろた石だらけだったり。あげく、タッチの差で手付けを打たれたりして、ついつい所有の機会を逃してしまったのである。

 ひどい腰痛持ちで、農作業に自信が持てなかったことも大きい。そこで今日まで、収穫前に近隣の衆に声をかけて余剰米を譲ってもらう、ということを繰り返してきた。

 とはいえ、米の一期作をベースにした自給自足の村であるだけに、裏のベランダから緑の絨毯が広がって行く様を眺めていると、村人のひとりとして私の胸底にも得もいわれぬ喜びが込み上げてくる。

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 村の棚田は川べりや高台を含む山の裾野から中腹にかけて、川向こうの至るところに拓かれている。そこで村人は、川を渡って田んぼに出勤するという形をとる。

 可能な限り耕地を増やすために、ぎりぎりまで削られた畦道をたどって奥へ奥へと入ってみると、一体どうやって収穫した米を運び出すのだろうと、要らぬ心配をしたくなる程の急斜面も珍しくない。

 雨季に入ると、あちこちの家から埃をかぶった原始的な耕耘機が引っ張りだされ、ガラガラと賑やかな音を立てながら川沿いの赤土の道へと下ってゆく。田起こしが始まるのである。昔は水牛に犂(すき)を曳かせていたというが、今はこの機械に取って代わられた。 

 わが村からさらに山奥に入ったナキアンという村では、今なお象による田起こしの風習が残っているという。

 さて、田起こしが済むと近隣の衆が話し合ってそれぞれの田植えの日取りを決める。そして、順繰りに手伝いつつ田植えを進めていく。

 日当などは払わず、作業小屋で昼食のおかずや焼酎、清涼飲料水、栄養ドリンクなどをたっぷりと振る舞う習わしだ。自分で食べる分の米は、各自炊いて持参するのが作法でもある。

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 作業は、まず苗床から苗をむしり取ることから始まる。これがなかなか難しく、できるだけ苗床の砂泥が根に残らないよう甲で横殴りするように素早く引きむしるのである。次に、根っこを左手の親指と中指の間に叩き付けて砂泥を払い落とす。慣れないと、とても痛い。手の平が真っ赤に腫れ上がり、血が薄く滲んでくるくらいだ。

 これを竹ひごで結わえ、竹で編んだ背負い籠や飼料袋に詰めて斜面の細い畦道を運ぶ。そして、適当な間隔を空けながら左右の田んぼに放り投げてゆく。すでに触れたように、畦道は植え付け面積を広げるためにぎりぎりまで削られており、歩くのもひと苦労だ。

背負い籠

 植え手はこれを拾い上げ、苗の根っこを親指と人差し指でつかみ腰を曲げて泥にぐいと押し込む。一応横並びにはなるが、整然と植えるために糸を張ったりはしない。前後左右を見ながら、適当な間隔をあけつつ勘でもって植えていくのである。それでも、苗はかなりきれいに並んでゆくから大したものだ。

 若い人たちはさすがにTシャツに日除けの長袖を羽織るという姿がほとんどだが、中年以上の女性たちは色とりどりのカレン服を着たままで作業を行う。その鮮やかな色合いが空の色を映した水と苗の緑に映えて、ホーッと吐息をつきたくなるほどに美しい。

 腰を曲げて働いているのは、顔も体つきも日本人に似た村の衆。目をあげれば、緑のたおやかな山並み。

 ふと、「懐かしい」という想いが込み上げてくる。山裾に広がるバナナの葉っぱが目に入らなければ、ここがタイであることをすっかり忘れてしまいそうだ。

 この原稿が読者の目に触れる7月下旬には、膝の辺りまで伸びた緑色の苗が棚田を埋め尽くし、光を浴びながら高原の風に揺れていることだろう。

                           (次号に続く)

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