プーノイ顔

【クンター流カレン族生活体験 その⑤】

<隣家はモーピー(霊医・霊占師)>

 村で暮らし始めた頃の話である。真夜中に突然、全身が猛烈に痒くなってきた。熱狂の阿波踊りを舞いつつ服を脱ぎ捨てると、あらゆる箇所に蕁麻疹(じんましん)が吹き出ている。しかも、眠っているうちに掻きむしったせいかミミズ腫れのオンパレードだ。

 どうやら、近所からもらって晩飯のおかずにしたナメタケもどきが当たったようである。

 これを見た嫁のラーが、大声をあげて隣家のプーノイ(従姉の旦那)を呼びつけた。寝ぼけ眼で駆けつけた彼は、「ボクサー」と呼ばれるデカパン一丁で赤むくれになってあぐらをかく哀れな私の姿を一瞥すると、グラスの底にひとつまみの米を入れて水を注ぐ。 

 次にグラスの縁に口を近づけ、何やら呪文のようなものを唱えだす。時おり、水に向かってフッ、フッとねじ込むように息を吹き付けているから、言霊でも吹き込んでいるのだろうか。

 猛烈な痒みをこらえながらそんな事を思っていると、彼はおもむろに水を口に含むや「ププーッ!」

 いきなり、私の頭上から霧吹きの要領で盛大に吹き付けた。

「な、な、なんじゃ、こりゃあ!?」

 両手を振って抵抗するもプーノイは委細構わず、私の周囲を巡りつつ「ププーッ、プーッ!」と全身に霧吹きを行うと、妙におごそかな顔で水の残ったグラスを私に手渡す。手順が分からずぽかんとしていると、「指先に水を浸けて額から頭部にかけて3回擦り付けるようにしてから、残り水をすべて飲み干せ」という風な仕草をする。

 全身びしょ濡れ、意味不明のまま指示に従うと、プーノイは満足気な笑みを浮かべて、

「これで良し。あとは安らかに眠るがよかろう」

 そう言い残して、そそくさと家に戻って行った。

 本人はなぜか強く否定するのであるが、人は彼をモーピーと呼ぶ。モーは医者、ピーは霊であるからして「霊医」ということになるのだが、失せ物の行方を探したり、先々の吉凶を占ったりもするから、私はこれに「霊占師」という肩書きを付け加えている。

 若い頃に出家体験があり、独自の修行を通じて霊力に磨きをかけた、という触れ込みだ。経典を書き記すバーリ語が読めるらしいから、あながち嘘ではないようだ。

 幼い頃から家族同様に彼に接してきたラーは、その霊力を強く信じ込み、軽い頭痛や腹痛や体調不良を感じると、すぐさまプーノイのもとに駆け込む。あるいは、呼びつける。

 米を浸した水の代わりに、ぐい呑みに満たした焼酎を小道具にすることもあるが、数分もすると「ああ、楽になった」と言いだすのだから恐れ入る。

 時には、遠くの村から医者にも見放された家族の快癒を願って黒豚持参で祈祷を依頼しにやってくる者などもいて、わが義理の息子などは先頃、畏れ多くもこの彼を中学課外授業の研究テーマに選んだくらいである。

祈祷の供物

 だが、信じない者はまったく救われない。若い頃に“白け世代”と呼ばれた私なんぞは、その最たるものだ。「あとは安らかに眠るがよかろう」なんて言われても、眠れるものではないのである。

 夜明けまで悶々としてさらに全身を掻きむしり、朝になって町の病院に駆け込んで注射を打ってもらうと、ああら、不思議。全身の蕁麻疹は嘘のように消え去った。つまり、モーピーとしての彼の面子(メンツ)をすっかり潰してしまったわけである。

 だが、そんな些細なことでめげるようでは有名モーピーとして、村の衆が信じる各種悪霊の災いに立ち向かえるわけがない。その後も彼は平然としてわが家に出没し、祖霊供養、古い家に取り憑いたらしい悪霊祓い、家族の誕生日祈祷、母屋の新築祈祷、民泊小屋バンブーハウスの開業祈祷などなど、嫁の求めに応じてあらゆる祈祷ごとを取り仕切っている。

 ゲストがやってくると、歓迎と旅の安全を祈る糸巻きの儀式も行ってくれる。だが、ゲストには誠に申し訳ないことながら、私自身は彼の霊力に今ひとつ信が置けないままだ。

 それは、蕁麻疹騒ぎの次に勃発した腹痛騒ぎでも彼の祈祷がまったく効果を発揮しなかったことを決して逆恨みしているからではない。実は、彼の女房や息子たちが阿片吸引からなかなか離脱できず、老いた彼に農作業や家事の負担が全面的にのしかかっているからである。そして、その憂さを晴らすべくわが家にやってきてはタダ酒を喰らい、酔った勢いで何やら偉そうに説教を始めるからである。

 人の病気を治せるのに、なぜその霊力が自分や家族には及ばないのか。それが私の素朴な疑問なのであるけれど、それもまたタイらしいと言えば実にタイらしい話であり、結局は「謎のモーピー、愛すべし」という苦笑のごとき結論に落ち着くのであった。

                          (次号に続く)

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