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キタイ×キタイ=?

物心が付く頃の疑問。


吸っては吐くことを繰り返しているこれはなんなのだろう?


それを両親に尋ねると『図鑑』という分厚い本をプレゼントされた。


それからだ。


この世界には 目には見えにくい気体というものがあることを知ったのは。


取り憑かれたように隅々まで何度も読んでいた。


つもりになっていた。


今にして思えば。


理解することも。


時には読むことすら難しいこともあった。


知りたいのにもっと知りたい。


その気持ちだけが俺の図鑑への肺活量に変換されて持続させた。


母が料理をしていた時。


鍋で熱される熱湯から上がる煙を眺めていた。


カラカラになって白煙を上げるまで。


「聡司(そうじ)!」


思い出したように飛んできた母は 白煙が上がる鍋をボーっと眺めたまま動かない俺に大声を掛けた。


一瞬怒りそうな顔をしたけど 諦めるように肩を撫で下ろしていた。


「煙を見てたの?」


「うん。」


「じゃあさ このまま白い煙が上がったままにしたらどうなると思う?」


「どうなるの?」


「火がねボッて上がって危ないのよ。」


「なんで火が出るの?」


「なんでだろうね…分かったらお母さんにも教えてほしいな。」


幼い頃の強烈な記憶が 俺を釘付けにして いつか目の前で起こったことを解き明かしてみたいと願ったんだ。


とてつもなく寛大な母だったと今にして思い出すほどに思う。


流石に俺もいい歳なわけで。


それから何年かして答えを自慢気に教えたことも思い出す。


母は知らないフリをしてくれたけど さも知らなかったように驚いてくれたことを。


それがキッカケで 俺は自然と疑問を自分なりに解くことが楽しくなった。


そんな俺は迷う余地もないままに 理系の進学をして 研究職 主にガスクロマトグラフィーで分析するセクションに勤めることを決めた。


目に見えないガスの組成と変化は 俺を飽きさせてはくれないでいる。





学生時代は 変わり者だと あまり友達は居なかった。


それでもやはり こんな変わり者と付き合ってくれるさらなる変わり者もいるのだが。


結局そのまま 我が道を行った俺は この通りの研究バカになった。


来る日も来る日も 依頼される研究を捌く毎日だ。


「聡司…頼むって!」


「合コンより研究したいよ…俺 向いてないの知ってるだろ?」


学生時代からの数少ない友人である輝希(てるき)が 珍しくもなく またお願いに来ている。


「また気に入った娘が出来たん?」


俺と対照的に輝希は 恋愛というものに重きを置いている。


経験がないのもあるが それ以上に気持ちとかいう未確認生命体じみた研究もしようがなさそうなモノに あまり興味を示せないでいるのが 正直なところだ。


何度か別に行くつもりが微塵も無い合コンとやらに引っ張り出されている。


初対面では 話し掛けてくれるのだが だんだん相手の女性が黙る。


俺もバカじゃない。


理由なんてハッキリしている。


だから乗り気にはなれないでいる。


それでも 輝希は根気強く俺を誘ってくる。


「そうなんだよ…聡司だから言うんだけどよ…友達連れていくって約束しちまってよ。」


「よく俺に相談なしで そこまで押せるよな…お前やっぱり面白いよ。」


「そういうことじゃなくてよ…頼むって聡司…」


腐る程見てきたお願い顔をされた。


「もう行かないからな?…輝希も そろそろいい加減にしろよ?」


「行ってくれるんか?!…やっぱり最後の砦は聡司なんだよなぁ…」


輝希は 1人勝手に無いはずの天井を仰ぐように俺の言葉を都合良く捉えやがった。


こうなると この男は手に負えない。


「なんでそうなるんだよ…」


俺の知る限り 輝希のメンタルを構成する主成分を分析するのは生涯 無理な気がした。


「俺もだけどよ…お前もいい加減見つかるかもしれないだろ?」


余計なお世話と言いたいところだが輝希に言われると若干そんな気がするのは やはり コイツを憎めないからなのだろう。





あれは中学に上がって間もない頃。


運動に見向きもしない俺を誘ってくれたのは決まって輝希だった。


「図鑑読んでるのもいいけどさ 身体も動かした方がいいぞ~。」


寝る時以外 図鑑とにらめっこしていた。


極端な俺を周りは避けたが なぜかコイツだけは粘り強く何度も誘ってくれたんだ。


昔から輝希の粘り強さは好きだった。


何を言われても自分なりの楽しさを追及していた俺からしたら。


それ以外は正反対なのに そこだけは合致している。


そして それは俺の中にある1番の大切な部分だ。


「…分かったよ。」


今も昔も変わり映えしない。


「聡司ってよ…押しに弱いよな笑」


「誘ったのお前だろ?」


「そうなんだけどさ…お前は面白いヤツだと評価してんだけど。」


「勝手に評価すんな…バスケすんだろ?」


「まぁいいや…行くべ!」


どこか同級生とは分かり合えないと諦めていた俺の心に輝希は いつも居た。


「…うわぁ…聡司が笑ってる…キモチワル!」


「こっちも人間だっつうの!」


「あ!…お前さては俺の知らないところでチャッカリ良い女の子 掴まえたべ?」


「散々 人が上手くいってないの見といて よくそれが言えるよな…お前は やっぱり面白いヤツだよ…」


「じゃあなんだよ今の気持ち悪い微笑みは?」


「なんでもねぇよ。」


「隠した!…マジかよ…聡司に先越されるかぁ~!」


「付き合ってやるからもう黙れ!…コイツは本当に…」





輝希からの呼び出しがあってからも 俺は相も変わらず分析漬けだ。


ここまでくると仕事や趣味を通り越して病気とか中毒という言葉の方がシックリくる。


そうなることを選んだのは自分なんだけど。


『聡司…来週末の会議するから 仕事終わったら俺んちな。』


輝希からだ。


『会議じゃないんだよな…お前からの呼び出し。』


『まぁいいから来いよ。』


『へいへい。』


午前中に届いたメッセージにお昼休みの時間を割いた。


いやなら無視するのだろうが 嫌いじゃないから開いてしまうし 返してしまう自分に笑ってしまう。


「聡司さんが…笑ってる!?」


同期入社した女性社員からも このザマだ。


冷酷な独裁者とでも思っているんだろうか。


俺にも笑いたい時に笑わせてほしい。


そのくらい許せよ。


「朱梨(あかなし)さんの中で 俺ってそんななの?」


「全社員…いや幹部の人達も驚くレベルで貴重よ?」


「どうなってんだよ 俺のイメージ…確かに仕事中 他の人と接すること少ないけどさ…それにしても…はぁ…」


1度こびり付いたイメージを払拭するのは 困難そうだから それ以上の会話は控えた。


(無駄に絡まれるよりいいか…)





朝に必ず寄るお弁当屋さんで買った日替わり弁当を食べながら 今朝のお弁当屋さんでの会話を思い出していた。


「聡司くん…悪くないんだけど…偏りがね〜。」


「そうなんだよな…話してて相手が引いていく経験が多過ぎて 妙に引き際に敏感になってるのは否定出来ない。」


ちなみにお弁当屋さんの娘さんとは 何度か買いに来るたびに話していて歳が近いことを知っている。


同世代ということもあり 急がない朝には立ち話をすることもしばしば。


「刺さりにくいよね~。」


「でしょうね!」


思い悩むように憎たらしい 自分でも分かっている部分を重ねて強調してくるから 語尾も強くなるってもんだ。


「輝希くんだっけ?…心配してるんだろうね。」


「アイツのは御節介を通り越して取り越し苦労だよ。」


「それでも やっぱり放っておけないんじゃない?」


「…悪いヤツじゃないのは分かってるけど それと俺の上手く行かない さっき知香(ちか)ちゃんの言ってた偏りとは関係ないからさ。」


「そうやって関係ないって 切り離してもいいけど それだと今までと変わらないのも事実だよ?」


「ここまで来ると病気だと思ってるよ…病院行っても診断書出そうにない症状だけど。」


「そんな聡司くんの傍に居てくれる人だっているんじゃない?…とりあえず たくさん会わないとキッカケすらないんだから行ってみたら?…行ってほしくないけど…」


最後が聞き取れなかったが 確かに知香の言う通りな気もするから これまた否定は難しい。


「出来たぞ!」


知香の父親である孝蔵(こうぞう)さんが 出来上がりを教えてくれる。


「聡ちゃん…この娘もこんなこと言ってるけど 相手が居ないんだから気にしちゃダメよ?」


知香の母親である知那(ちな)さんからは こんなご意見。


「それは言わないって言ってたのに…お母さんのこと恨む。」


「はいはい…そろそろ時間でしょう聡ちゃん?」


「そうですね…行ってきます。」


「行ってらっしゃいな。」


満面の笑みで送り出してくれる知那さんとは天変地異な表情をしている知香に若干の恐怖と悪寒を覚えそうになったが 出社することにする。


唐揚げの芳香が景色の変化が少ない日常を鮮やかにしてくれる。





「あんたも 聡ちゃんに負けず劣らずの不器用さんね…」


「うるさい!」


「素直な女はモテるぞ!」


知香を追撃の嵐が襲う。


「もっとうるさい!!」


聡司が こんなやりとりを知る由もない。


「灯台下暗し…か。」


孝蔵の吐息が揚げ物を揚げるフライヤーの音に混じって 知香と知那には聞こえずに油に溶融した。





「よう。」


「おう。」


無事に仕事を終えた俺は輝希の部屋に来た。


何度見ても 趣味ダダ漏れのクオリティーだ。


「また増えてねぇか?」


輝希はスポーツが好きだが それ以外にも趣味がある。


プラモデルだ。


実験や研究にしか興味がなかった俺は 美術や技術は そこまで得意でもなかった。


だから よく頼りにしていた。


「代わりに描いて。」


「最初から丸投げかよ!」


「図形とか式は書けるんだけど 絵とかはちょっと。」


「一回描いたら見せてみ?」


「描かなきゃダメか?」


「全部描いたら 俺の絵にしかなんねぇだろ?笑」


「だよな~…」


学生時代には 手伝いという名の丸投げにも付き合ってもらった。


何度もそれっぽく俺のヘタクソな絵を手直ししてくれたっけな。


「これさ…新作。」


たいしてプラモデルに興味が無い俺でも見たことがあった。


「見たことあるな…これ。」


「ブルーインパルス。」


そうだ。


度々 ニュースなどで取り上げられていたから どこかのタイミングで見たのを覚えていて既視感があった。


「単語の響きが好きなのかもな。」


「辞書に載ってそうな単語の組み合わせっぽいもんな…好きねぇ聡司も。」


同じ事を言い返してやりたい。


「お前もだろ?」


「天下の聡司様には負けますよ?笑」


「そのちょいちょい人離れしてますよ宣言 やめてくんね?」


「いやいや…俺のプラモデルとは訳が違うだろ…そのまま最前線での研究を仕事にしちゃってんだからよ。」


「そういう問題か?」


「いつも言うけどさ…誰に何言われても貫き通す覚悟みたいなもんに お前に敵うやつは そ〜う居ないぞ。」


「そうか…そういうもんか…」


「周りが見えなくなるくらい愛する何かがあるって幸せなことよ〜。」


「愛してるとか考えたことねぇけどな。」


「さすがに 研究みたいに愛せとは言わねぇけど そろそろ 誰かを愛してみるのもいいんじゃねぇか?」


「居ねぇからなぁ…けどよ…ありがとな…」


さっきまで順調に組み立てていたプラモデルの作業進行がおもわしくない。


輝希は 不器用な感謝の仕方に笑いを抑えることと引き換えに 手を止めることしか出来なかった。


「真顔で驚かれたり 腐れ縁のヤツには笑われるし…おかしなことしてるか~!?」


抑えていた笑い声が爆笑に変わる道筋を順調に辿った。


「まぁ…それはさておきだ…」


輝希が プラモデルの作業をしているくらい いやそれ以上の真剣な表情を見せる。


そんな時は 決まって次の言葉を待ってしまう。


「実はな…聡司の話をしたら お前に興味がありそうな娘がいてな…それもあって誘ったのよ。」


俺に興味がある?


輝希がどんな話術でどんな内容で伝えたかは分からないが これまでの現実を省みるに それほどの期待は出来ないが どうしたって期待を取り去ることは難しいわけで。


「今回が分岐点になるのかもな。」


「そうそう居ないだろうし この機を逃すと お前一生出来ないんじゃねぇかと。」


「可能性はゼロじゃないな。」


「とりあえず 会って話してみてくんねぇかって話なわけよ。」


「てっきり お前の好きな娘のお膳立てに呼ばれるもんだと思ってたよ…」


「まぁ それもあるけどさ…粗末に扱うつもりもねぇよ。」


「分からない感じ 嫌いじゃないよ。」


こうして俺達は 来週末を迎えることになる。





来慣れない場所と雰囲気が 緊張を促す。


小洒落たダイニングバーとでも言えばいいのかな。


「お前 俺が研究してる間に こんな店 見つけてんだもんな。」


「そういうのも嫌いじゃないだけだろ…妬いた?笑」


「若干?…自分じゃあ来ることなさそうだなってさ。」


「聡司…絶対居そうにない雰囲気だもんなここ。」


「そんなこと…あるか。」


確かに自分では 興味を持つことも見つけることも無さそうなジャンルの場所だ。


そもそも ランチとかディナーとかの概念が薄い。


朝に いつもの弁当屋さんに寄って タイミングで食べてるくらいの関心度。


意識が 先の時間に向くことが少ない。


「きたぞ。」


2つの影が こちらに近づく。


ヒールの音が 徐々に大きく響いた。


「輝希くん!」


おそらく輝希が狙いを定めたであろう女性が 勢い良く喋りかけてくる。


「さっちゃん…」


(コイツ…分かりやすく嬉しそうにするよな。)


「初めまして。」


さっちゃんとやらの隣に並んでいる もう一人の女性が淑やかに頭を下げた。


「噂の凜風(りんか)ちゃんだね…初めまして!」


「どうも。」


「もうちょっと嬉しそうにしろよ聡司~!」


「お前は 分かりやす過ぎなんだよ!」


なんか みんな笑って和やかになった。





「そうそう…さっちゃんが居酒屋の前で転びそうになったのを助けたんよ!」


知り合ったキッカケは輝希が先輩と飲んでいた居酒屋でさっちゃんも飲んでいて 帰り際に転びそうになったのを介抱したらしい。


「助けてくれたから 流れでそのまま飲んだのよね。」


「したら凜風ちゃんの話になって…聡司に似てるなぁって話になりまして。」


「会わせてみたら面白そうじゃないってね!」


「仕事で実験ばっかしてるけど 恋愛の実験はしたことないんじゃないってな。」


「二人とも 俺達のことモルモットかなんかだと思ってるだろ?」


凜風は リアクションに困って苦笑いだ。


「話してみなきゃ分からんだろ〜?笑」


ということで 俺は凜風さんと話した。


大人しい性格なのか初めはぎこちない感じだったが 彼女は 疑問を的確に伝えるのが上手な女性だった。


話しやすい。


それが聡司の印象だった。


「私…聡司さんのお話してる時の顔 嫌いじゃないです…」


「あ…ありがとう。」


これまで 飽きたと愛想を尽かされてきた聡司にとって こんな反応は初めてのことで 驚きと嬉しさが混合物として 心の中に抽出された。





「あの二人…悪くなさそうじゃない?」


輝希は 率直な聡司と凜風のムードの感想を口にした。


「凜風は 聞き上手過ぎる所があるから…なんともかな。」


さっちゃんこと沙月(さつき)もまた 率直な現状予想を口にした。


「さっちゃん…また会える?」


輝希は 割りと本気で聞いてみる。


「突然どうしたの?笑」


「いや…今回は聡司と凜風ちゃんを合わせたいっていう気持ちが大きかったんだけど…その…本当は さっちゃんに俺が会いたかったんだよね…」


「会いたかったんだ?笑」


「はい…」


「しょうがないなぁ…」





鍵を開けて スイッチを押して部屋の電気が点く。


身体をベッドに投げ出す。


「話しやすくて居心地もいい…ただ…」


聡司は 何故なのか分からないまま 凜風との時間の中に知香の笑顔を見ていた。


(なんで知香ちゃんの顔が…)


あの後 飲まされた酒と眠気に意識を奪われた。





なんでだ。


緊張している。


いつもと変わらない朝のはずなのに。


「お…おはよう。」


不自然に顔が引き攣っているのが 自分でも分かる。


「?…おはよう。」


聡司の様子がおかしい。


何かあったことが 知香には すぐ分かった。


「いつものやつ頼むよ。」


「うん。」


あれ?


自然としていた雑談が出来ない。


「…あのさ…なんかあったでしょ?」


「なんかってなんだよ?」


「昨日でしょ…輝希くんの紹介で女の子と会ったの。」


「あ…うん。」


「もしかして惚れちゃったとか?笑」


知香は不器用な自分に嫌気が指す。


「いや…話しやすかったけど…」


聡司は まさか昨夜に知香の顔が浮かんだとは言えなかった。


「けどなによ?」


知香は自分への苛立ちを聡司にぶつけてしまった。


「ただ聞いてくれている感じでさ。」


1番 自然体で話せる異性が知香だということもまた言えなかった。


「良い娘じゃん!」


心にまで不器用に接してしまう。


「そうなんだけど…そうなんだけどさ。」


研究になら情け容赦無く没頭出来るのに。


「なにが引っ掛かるのよ?」


身を引いたほうが。


「知香ちゃんの方が…」


期待させないでよ。


求めてしまうから。


「知香が居た…頭の中に。」


こんな根拠の無い実験結果。


しかも臨床試験みたいな。


「もう待たせないでよ…」


涙の分析結果は水分と塩分だと知りながら。


気体の分析結果が期待どおりには出ないことを知らないまま。




※この作品は相互フォローをさせていただいている『クルクルカッピー様』からのコメント『ガスクロマトグラフ』という言葉から生まれた物語です。

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