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2021年を個人的に振り返る。

2021年も終わりですね。

今年は色々とあったこともあり、なんだかあっという間(毎年言ってる気がする…)でした。

2018年に初めて、かれこれ4年目ですが今年を時系列に沿って個人的に振り返ろうかなと思います。


│ 1月

年始早々、緊急事態宣言が出ました。
2020年4月〜5月の緊急事態宣言のときのように休日は家でおとなしくしていた記憶があります。
2020年11月に異動になった部署の仕事が辛過ぎて、
鬱々とした気持ちで出社→逃げるように退社→帰りの電車の中で号泣→逃避するようにドラゴンクエストⅪをプレイ→明日が来るのが嫌で夜ふかし→(はじめに戻る)
みたいなループを繰り返していました。
全然、写真が残っていないのでしんどかったんだろうな〜と振り返ってみて思います。

ドラクエⅪは名作なので、ぜひ遊んでみてください。

│ 2月

月末に完全に限界が来て休職し会社をおやすみすることにしました。
このことを伝えたときに、たくさんの方に励ましのメッセージをいただいてとっても嬉しかったです。
ほぼ家に引きこもっていたこともあって、かなり孤独を感じていたこともあり、ひとりじゃないんだなと思うことができて本当に心の支えになりました。
Facebookにも書いたんですが、この御恩は来年がんばることで返してきたいです。


│ 3月

とにかく休養しなさいと言われたので、この月はひたすら横になっていました。
食欲が全然なくて甘いものとおにぎりぐらいしか喉が通らなかったのが印象的です。
ストレスがかかると過食に走るタイプだったので食欲がなくなるという体験は新鮮でした。

当時食べてたもの。一つのおにぎりを何食かに分けて食べてました。
たべる牧場ミルク。
家から一番近くのコンビニで買えたので、かなりお世話になりました。

人って栄養が足りないとすぐ疲れて眠くなるようで、割とずっと寝てたと記憶してます。起きている間は、何も考えたくないので昔遊んでいたドラクエシリーズを遊んでました。新しいゲームだと刺激が強すぎて疲れてしまうし、簡単すぎると嫌なことばかり考えてしまうので丁度いい温度感だったかと。

3月末で一度緊急事態宣言が明けました。


│ 4月

桜。どんな状況でも花は咲くと思うと元気をもらいました。

4月になって多少、気分の落ち込みが回復したので復職に向けて準備を始めました。
とにかく散歩して体を動かしたり、図書館に通ったり、復職したときの再発防止策を考えるためにカウンセリングを受けたりし始めたのがこの頃。
振り返ってみると、もっと休んでも良かったと思うんですが結構焦ってました。収入が完全に絶たれるので笑っちゃうほどに減ってく預金残高見てると「ヤバい…!」という感情でいっぱいになります。
一応、休職した人向けに傷病手当金という給与の3分の1のお金が受け取れる制度があるんですが、この制度は休んだあとに事後申請するものなので受け取りにタイムラグがあるんですね。無念。

このタイミングで心配した家族や友達が遊びに来てくれて、鎌倉、横須賀、藤子・F・不二雄ミュージアム、なんかに遊びに行ったりしました。


│ 5月

ぐちゃぐちゃになっていた生活リズムも元に戻り、体調も安定してきたため復職可能の診断が降りたのが5月です。会社の用意した復職プログラムをこなしていたら、あっという間に1ヶ月過ぎちゃって、あまり印象に残っていません。


│ 6月

復職可否を判断する面談を受けて、会社の方から「復職してもいいよー」との返答が。ただ再発防止のために僕の方から異動を願い出たので、次の移動先が決定するまで待機することになりました。休職の罪悪感もさすがに薄れ、傷病手当金も振り込まれ始めたので、復職までの束の間の時間を謳歌することに。

学生時代を過ごした滋賀へ。よく食べたもんじゃ焼き。
小江戸で有名な川越の時の鐘。

休職したのがコートを羽織らないと通勤がままならないような寒さの続く頃だったので、歩くだけで汗ばむようになってしまい月日は流れたなと思った記憶があります。

さて、しっかり休んだし、これからまた頑張るかという気持ちに満ち溢れていたのが、この頃です。


│ 7月

7月になっても僕は復職できていませんでした。

復職先の調整に時間がかかることがあるとは人事課から聞いていたので、気長に待つことに。やることはやって僕にはもう何もできない領域だったので。

元気になってくると出かけたりして、お金がどんどん減ってくので実家で過ごすことに(休み始めは家族への申し訳なさから帰る気がしなかったので、だいぶ回復したなと思います)。この頃になるとコロナがだいぶ広がっていたこともあり県を跨ぐ移動が自粛を求められるようになったこともあり、このことはあまり口外していませんでしたが、さすがに生活費には換えられませんでした。

高速バスで移動してました。これは静岡のSAで食べた桜えびのうどん。

まあ来月には復職できてるだろうと。時間もあるのでと今まで読めてなかった、たくさんの本を読んで時間を過ごすことに。とにかく本をたくさん読んだ1年だったとも振り返ってみて思います。

世界史の本。日本史を選択したので新鮮でした。

│ 8月

8月になっても全然復職できてなーーーい!

さすがに剛を煮やして電話で問い合わせるも「待ってちょーよ」の一点張りで、さすがに「遠回しに退職を促されてるのでは…」と不安になったのを覚えています。

さすがの温厚な僕でもプンプンしてきて月末に転職活動を決意。片っ端から色々と転職サイトに登録しまくりました。転職エージェントとの面談のアポを取ったり、求人を眺めたり。転職活動って新卒の就職活動のときと全然違うんですね。その違いに戸惑いながら、休職中なのを利用してじっくり次の働き口を探してやる気マンマンでした。

向こうが遠回しに退職を進めてくるなら、それに気がつかないふりしてギリギリまで居座ってやろうと。悪意には私は屈しない。

夏の富士山。実家と家を往復しながら転職活動の準備を進める。

│ 9月

転職活動を始めて1週間後。あっさりと復職先が決まりました。遠回しに退職させてやろうというのは僕の被害妄想に過ぎず、ただ単に時間がかかっていただけ。

疑ってしまったことを申し訳ないと思いながら9/1から復職しました。約6ヶ月のブランクがあるので時短勤務から再開。こういう制度がある会社なのは本当にありがたいです。

まずは慣れることから…というので勉強するところから始まりました。


│ 10月

少し勤務時間は伸びましたが10月も勉強してました。かなりの時間を勉強したおかげでIT系の登竜門的な資格で新卒から3年目くらいまでに取得を推奨されている、基本情報技術者試験も受験し無事合格。

登竜門とはいえ合格すると嬉しいです。

│ 11月

また少し勤務時間が伸びて11月から本格的に仕事に携わるようになりました。6ヶ月のブランク+2ヶ月の勉強を経てるので、全然上手くいかない感じがして、ちょっと落ち込んだのもこの頃。

最近自覚したんですが僕は理想がかなり高いタイプ(むしろ理想なんて全然ないと思ってた)のようで何でもハードルを高く見積もってしまうので、もっとハードルを低くできたらいいなと思います。少しずつだよね。

コロナが落ち着いてきたので宇都宮に餃子を食べに短期旅行行きました。こういう気分転換をこまめに入れていきたいなと。

宇都宮餃子。野菜多めで意外とあっさり。

│ 12月

フルタイムに戻りました。やっと完全復職。ここまで長かったですけど、他の人の力を借りつつ、ちょっとずつ(何なら新入社員よりも)ギアを上げさせて貰えました。

何とか1ヶ月やりきることができたなと安堵しています。有給がまだまだ余ってるので11連休にしてゆっくり休むことに。働いてみて思うのは休みってものはいいですね。

よく働きよく休む。そんな生活にしたいなと思います。



│ まとめと来年の抱負

心身共に体調を崩してしまい、元に戻すことに時間をかけた1年でした。昨年の振り返りのnoteを書いてる時点でかなりメンタルが参ってたみたいで、読み返したらどんどんネガティブになっていってました。やっぱり無理すると続かないし、元に戻すのに時間がかかるということも実感しましたね。

耐える耐えられないのラインは自分次第なので上手く調整していかないとダメだなと。2021年は苦手を潰すことを目標に立てていましたが、新卒で入社してから1年と持たなかったということもあるので、まずは2022年は再休職することなく仕事を続けることを目標にしてがんばりたいと思います。

隣の芝生は青く活躍してる同期や先輩・後輩を見ると劣等感に苛まれますが、まずはやれることをしっかりやって続けることが今の僕には大事だと思うので。それに前の部署での仕事は途中で投げ出してしまったので、新しい部署での仕事は最後までやり遂げたいわけで。


│ 最後に

長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。なんとか立ち直れたのは支えてくれたり温かい言葉をかけてくださる、多くの方々がいたからです。感謝の気持ちを忘れず2022年もがんばりたいと思います。

よいお年をお迎えください。2022年もよろしくお願いいたします。

────2021年12月31日。実家の自室にて。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました! ご支援いただいたお金はエッセイのネタ集めのための費用か、僕自身の生活費に充てさせていただきます。