【長編小説】君は、星と宙を翔ける竜 私を空に連れていく、蒼い翼
前回までのあらすじ
星間を旅する宇宙船で生まれ育った少年カケルは、故郷を出奔し、乗っていた飛行機ごと、竜が棲む星に墜落する。死んだかと思ったら、目覚めた時には何故か、自分も竜の姿になっていた。
荒野をさすらった末に、お転婆な少女イヴと出会い、彼女の案内に従って竜と人が暮らす国エファランに辿り着く。
エファランは無人機の侵略に脅かされており、その無人機は故郷の船団が投下したものだった。カケルは密かに心を痛めながら、自身が生き抜くため記憶喪失の子供を演じ、エファランで生きることを決意する。
―――そして、数年の月日が経過した。
※第一話を読み直したい方は以下からどうぞ!
第二話 世界のかたち
01 昼寝大好き竜
竜の姿は何が良いって、風邪をひかないのが良い。
あと真っ裸で外で寝てたって文句を言われない。
河原で寝そべって日向ぼっこするのは至福のひとときだった。
カケルはその宝石のような青い鱗を存分に光にあてる。周囲には、同じような目的の竜がごろごろ寝ている。首を伸ばせば水が飲めるので、河原は絶好の昼寝場所だった。
「あ。ここにいた」
ストロベリーブロンドの少女が、寝ている竜を踏み越えて、カケルに駆け寄ってくる。
尻尾を踏まれた他の竜がびくっと震えたが、彼女は気付いていないようだった。
カケルの頭の横あたりにちょこんと座り込み、いつものように鱗を撫でてくる。
「今日ね、飛行準士の試験を受けたの。受かってるかなぁ」
相変わらず、彼女は飛行士に憧れているらしい。
出会った頃から無鉄砲なお転婆娘だった。
彼女、イブは、五年の歳月を経て女性らしい魅力的な容姿に成長していた。腰まで届くストロベリーブロンドの髪に、すらりと引き締まった手足。花のように魅力的な女性だが、例えるなら薔薇は薔薇でも、温室の薔薇ではない、荒野に咲く野薔薇だ。
気の強そうな眉の下には、つぶらな空色の瞳。
生き生きと躍動的に輝いて、真摯にカケルを見つめる。
「ねえ、来週の合同訓練、あなたも出るの?」
イブは、目をつむっているカケルの鼻先を、ぐいぐい押した。
「もう話せるんでしょ。ちょっとくらい話しましょうよ。私ばっかり、話してるじゃない。あなたの声、聞いたことがないわ」
カケルはここに寝に来ているので、彼女とおしゃべりするつもりはない。
かたくなに沈黙を守る。
いつものことなので、イブは文句を言いながら、一方的に話をし、満足したのか帰っていった。
その少し後。
河原に金髪の青年が現れる。
嵐のように剣呑な雰囲気をまとった青年だ。獣の鬣のような金髪と、血のように紅い瞳をしている。士官学校で支給されたオリーブ色の制服の前がはだけ、よく鍛えられた胸筋が垣間見えた。腰のベルトには、無骨な短剣。それが怒っているような表情で、ずんずん歩いてくる。
周囲の竜は、青年におびえて飛び起き、逃げ出した。
しかし、カケルはその場を動かずに昼寝を続ける。
「……おい」
昼寝を続ける。
「おい、起きろってんだよ、阿呆竜!」
金髪の青年は、カケルの脇腹を蹴った。
彼は普通の人間ではなく獣遺伝子で強化されているので、いかに竜でもこれは痛い。
カケルは昼寝を続けていられず、仕方なく身を起こした。
『……もう少し、優しく起こしてくれてもいいんじゃない』
苦情を言うと、青年は鼻で笑った。
「どこに優しく起こす義理がある。面倒くせえ」
『ひどいなぁ、オルトは俺の友達だろ』
「誰が友達だ。勝手にひとの名前を省略すんな。オルタナ・ソレルだ」
金髪の青年は、オルタナ・ソレルという名前だった。
このエファランで暮らすようになってから、親しく話すようになった同世代の男子で、カケルは一方的に友達認定をしている。
「バイトの時間だぞ。着替えろ」
だって、律儀に毎回、時間どおり起こしに来てくれるのだ。
本人がどう言おうと、これを友達と言わずして何を友達と言おうか。
カケルは『もうちょっと寝てたかったなぁ』と嘆きながら、場所を移動した。
人間の姿に戻るためだ。
「ここに来た頃は、竜から人間に戻れるなんて、思ってもみなかったな」
一生、竜の姿かと思っていた。
河原の近くにある空き地で人間に戻ると、周囲に竜の形をした砂の山ができた。砂は風に飛ばされてすぐに消える。
エファランに来てから知ったが、人間の体がそのまま竜に変化している訳ではないらしい。竜の体内に元の人間の体を収納しており、人間に戻る時は竜の体を分解して砂にする。昔の医者が竜を解剖したらしく、図鑑を見た時カケルは夢が壊れた気分になった。
裸を他人に見られないうちに、オルタナが持ってきた衣服を手早く身に着ける。
この五年でカケルも背が伸び、少年が青年と呼べるくらいに成長した。
甘味が好きでよく食べるのに、なかなか太らないので、体格は細い。しかも髭が生えない優男なため、見た目が弱そうで、侮られることが多いのが口惜しい。
少しでも強く見せようと、一人称を「俺」に変更してみた。
「行くぞ」
オルタナと共に、河原から離れ、街の中に移動する。
街の中は、人の喧騒で溢れている。
ここ北区には王族の住む宮殿もあり、市場は活気に満ちていた。
聴力のすぐれたカケルの耳には、いろいろな情報が入ってくる。
「活きのいいオオヤシガニだよ~! 外に狩りに行った飛空部隊から直接仕入れたんだ。安くしとくよ~!」
「南区の農園のバナナだ。今年は甘くて旨いぞ」
「これ? 東区の風穴付近で拾った機械だよ。遺産かどうかは、研究所に鑑定してもらわないと分からないな」
機械? 脇道にそれようとすると、すかさず隣のオルタナが耳をつかんだ。
「逃げるな」
「逃げてないって! 痛いってばオルト!」
そのまま目的地まで引きずっていかれる。
街の大通りに面した一画に、喫茶店があった。このエファランでも珍しい甘味の店だ。
カケルはそこで下働きをしている。
貧乏なので金を稼ぐと共に、賄いの食事をもらっていた。カケルは給仕で、オルタナは厨房で料理を作っている。
「きゃ~、カケルくんだ~」
女の子がこちらを見て黄色い声を上げたので、にっこり笑って手を振っておいた。
男臭くないカケルの給仕は目の保養らしい。情けないと思っている自分の容姿が、意外なところで役に立っている。
「あれ?」
カケルは、喫茶店の奥のテーブルに、先ほど河原で会ったイブがいるのに気付いた。
彼女はこっちを見ると、頬を赤らめ恥ずかしそうな表情でそっぽを向く。
「……」
会話がしたいなら、今言えばいいのに。昼寝中に会話しないことにしているカケルは、彼女の仕草を疑問に思う。
そういえば、よく喫茶店に来るイブと、会話したことがない。
厨房に入りながら、オルタナは横目でカケルを見て言った。
「お前、あいつの前で人間の姿に戻ったことあるか?」
「なんだよ、いきなり。そんなことあるに決まって……」
なかった。
もしかして、俺がいつもしゃべってる竜だと、認識されてない?
まっさかぁ。まさかだよね。
カケルは、いつも通り、彼女の存在を気にしないことにして、給仕の仕事を始めた。
02 シャボン玉の内と外
エファランに来てから、嘘のように穏やかで平和な日々が続いている。
ここエファランの文明レベルは、カケルの生まれ育った船団より遥かに遅れているが、その分素朴で暖かい手触りに満ちていた。
例えば、船団では全て自動化されていた料理という作業も、ここでは刃物で素材を切るところからスタートする。何もかも機械にお任せの世界から来たカケルは、生活に慣れるまで大層苦労した。慣れてみれば、手動ゆえランダムに変化する味が面白くて、料理するのが楽しくなった。
情報もネットワークに接続して脳にダウンロードするのではなく、書物を読んで得る。しかし、一般人が知らないだけで、情報を交信する目に見えない高度ネットワークが存在することを、カケルは密かに確信している。そういった高度な科学技術は、古代の遺跡を利用して運用されており、科学ではなく魔術の一種とされている。
「人がいるって知ってて、なんで俺の故郷は、侵略みたいなことをやってるんだろう」
カケルの故郷、星の海を渡る船団は、この星に無人機械を投下している。その機械は、人を殺すものもあるようだ。
幼かったカケルは、故郷がどのような意図で無人機を投下しているか、知らずに出奔した。
いや、目的なら、知っている。
星の浄化。
この星を昔の姿に戻すこと。それには、竜などの異物が邪魔なことは容易く想像できる。
カケルは今の生活がそこそこ気に入っている。
故郷から送り込まれている無人機が、その生活の障害になる可能性があるなら、何とかしたかった。
「市場に流れてくるのは、壊れた機械ばっかりなんだよな」
大破した機械の部品など、役に立たない。
正常に稼働している機械を捕まえて、中からデータを抜きたい。そうすれば、故郷が何をしようとしているか、具体的に分かるはずだ。
「カケルく~ん、ご飯は~~?」
養父のソーマ・サーフェスが、一階から二階にいるカケルを呼んだ。
エファランに保護された時に子供だったカケルは、この国の学者ソーマ・サーフェスの養子にされた。養父は家事ができない。生活態度がルーズで、働いて得た金で食べ物より本を買ってしまう。世間的な基準では駄目男だ。
「鍋の中だよ」
「どうやって温めるの~~?」
カケルは机の上に並べた機械の部品を放り出し、一階に降りた。
養父ソーマに任せるより、自分でやった方が早い。
台所には、石板を下から火で炙る原始的な機械が設置してある。ダイヤルをひねるだけの操作なのに、養父は面倒臭がってやらない。
金属の鍋を温め、中のスープを皿に盛ると、ソーマは感激してむせび泣いた。
「ありがとう。うぅ。来週カケルくんがいない時は、どうすればいいかな……」
来週というキーワードに、カケルの胸が騒ぐ。
「ご飯買ってくればいいだろ」
「そうだね。そうなんだけど……カケルくん、必ず無事に帰って来てね。でないと僕が飢え死にしそう」
「大げさだなぁ……」
「でも、あんまり心配しなくていいか。カケルくんは、外から来たんだから、外の危険は十分知っているよね」
五年ぶりに、エファランの外に出る。
カケルは、期待と不安に胸が疼いた。
故郷の船団が放った無人機の調査をするために、外に出る必要がある。しかし、用事がないと外に出られないため、子供のカケルはずっとエファランの中に保護されていた。
養父ソーマは、カケルの望みは知らない。
ただ、若者なら外に出る時は興奮するものなので、カケルの緊張めいた顔つきも別段不思議に思っていないようだった。
「大丈夫だよ。学校の演習で、ちょっと一日外に出るだけだし。すぐ帰ってくるよ」
なんでもないように、ソーマに答える。
機械の調査という秘めた目的があるが、来週の合同演習は集団行動だ。一人でこっそり機械をいじる時間は無いだろう。
ソーマに答えた通り、すぐ帰って来れると思っていた。
03 竜の止まり木
エファランの中央には、天を貫く白い巨木が立っている。
その木の周辺は湖になっており、湖を囲むように都市が広がっていた。都市は東西南北四つの区画で管理されており、北区は王族などの権力者の住居や市場があり、南区は農業が盛んで、西と東は農産物の加工や機械を作る工業施設が集まっている。
そして、東西南北の区域を囲むように、外界とエファランを隔てる壁がある。
人々は、シャボン玉の形をした壁の中で生活を営んでいる。
外界から自壊虫や侵略機械を防ぐこの壁は、歩いて外に出ることができない造りで、外に出るには竜に乗って白い巨木から飛び立ち、上空の出入口を通る必要があった。
竜は交通手段として、無くてはならない存在だ。飛行機を作って飛ばすこともあるそうだが、飛行機は壊れやすく操縦するには技術がいる。竜がいるなら、竜に乗せてもらう方が早いというのが、この世界の常識のようだ。
「行ってきます」
演習の日、カケルは軽くまとめた荷物を手に家を出た。
住んでいる東区の駅から、路面列車に乗る。
「お客さん、どちらまで?」
「竜の止まり木まで」
白い巨木は、竜の止まり木と呼ばれている。
その根元にある駅までと答えると、車掌は頷いて列車を走らせ始めた。東西南北を横断するこの列車は、国営なので、運賃は払わなくてよい。
カケルは、座席に腰掛けて、窓から外を眺める。
住宅街を通り抜け、路面列車は湖に差し掛かる。
そして、そのまま湖の上を滑らかに走行する。
「……」
湖水は竜の止まり木の下から溢れ、川になって外に流れていく。それゆえ湖は命の源、竜の止まり木は生命樹とされるが、全く逆の、死を意味する嘆きの湖と呼ばれることもある。
この湖を渡り、竜の止まり木に行くことは、危険に満ちた空の旅に出ることを意味しているからだ。
畏怖を表すように、湖の中心に近付くほど、釣舟の姿は見えなくなる。
湖面の上を吹く風は妙に冷たく、別世界を思わせた。
「竜の止まり木、竜の止まり木です……皆様の旅の安全と、無事のご帰還をお祈りしています」
車掌の神妙なアナウンス。
カケルは列車を降りた。
白い巨木の根本には、すでに十人以上の若者が集まっていた。東西南北の区域それぞれにある国立学校の生徒たちだ。本日の演習は、四つの区域の生徒が合同で行うことになっている。
生徒たちは、制服を着ている者と、私服の者が混じっている。
制服は、軍に士官する予定の生徒に支給される。それ以外は、一般の生徒だ。カケルは後者である。
集まっている若者たちの表情には、隠せない期待と不安が現れている。
それもそのはず。彼らは、生まれ育ったシャボン玉の、エファランの外に、今日初めて出るのだ。
「よう、カケル! 遅い到着だな! 俺はもう一時間も前からここにいるぜ」
「クリストファーくん。おはよう」
同じ東区の生徒が、カケルを見つけて近寄ってくる。
カケルより頭一つ高い背丈に、筋肉のついた分厚い体で、並ぶとカケルが子供に見える。ここエファランの男子は、筋肉質で背の高い者が多い。
そのむさ苦しい体の上に、快活な笑顔を浮かべる金髪の頭がある。
カケルは絡んでくる彼の腕を避けながら、その顔を見上げた。
「相変わらず、弱そうだな、お前は! 外は、自壊虫やら侵略機械やら、危険がいっぱいだ。俺が守ってやるよ!」
「どうも」
クリストファーは、自分も初めて外に出るというのに、カケルのことを心配してくれる。
「よう」
「オルト、おはよう」
ふと気づくと、足音も立てず背後にオルタナ・ソレルが立っていた。
彼は兵士になることが決まっているので、モスグリーンの制服を着ている。そして、その上から飛行用の厚いコートを羽織っていた。今日は外に出るので、コートは必ず持ってくるよう言われている。
オルタナに気づいたクリストファーは、威勢のよさがどこへやら、急におどおどとした態度になった。
「や、やあ。オルタナくん」
「目障りだ。消えろ」
オルタナに鋭い視線で睨まれ、クリストファーは「ひっ」と怯えて、どこかへ去っていった。
「外に出るってのに、どいつもこいつも浮かれてんな」
「初めて外に出るらしいから、仕方ないよ」
「ふん。毎年行われる、外部演習の初回は、死者が必ず出ることで有名だ。あいつら、自分だけは特別だとでも思ってるのか」
友人はいつも通り辛辣な口調で指摘する。
カケルは苦笑しながら、他の生徒を見回し、その中で知った顔を見つけた。
陽光を紡いだような、ストロベリーブロンドの少女。
彼女は一瞬こちらを振り返り、視線が合った途端しかめ面をして、そっぽを向く。
「……嫌われてるのかな」
「阿呆竜」
オルタナが深い溜息を吐いた。
「はいはい、注目。演習に参加する子たちは、こっちに来て並んで」
巨木の根本にある建物から、軍服を着た大人の男性が現れる。
優美な印象の金髪の男だ。
身分が高いらしく、装飾の施された上着の襟もとには、いくつかのバッジが輝いている。
「私は、エファラン国軍の飛空部隊、一番隊隊長、アロール・マクセランだ。今回の演習の護衛を担当する。諸君は未来ある若者だ。一人でも多く生き残り、エファランに貢献してくれることを願っているよ」
アロールの指示で、生徒たちに自己注射薬が配られる。
科学技術が遅れているエファランだが、妙に技術の進んだ物があったりする。これもその一つだと、カケルは興味深く思う。
「自壊虫を見かけたら、これを使うように。ワクチンは竜の血から造られているから、緊急時には竜の血を直接摂取しても、ある程度効果がある。竜は自己再生能力があり、あらゆる毒に耐性を持っている。しかし、竜の姿になると理性を忘れてしまう危険がある」
このエファランに来た時に、カケルが記憶喪失だと言って疑われなかったのは、竜だったからだ。長時間、竜の姿でいて、人間と会話しないと、理性や人間らしい思考を失うらしい。
その他、こまごまとした注意事項の説明の後、いよいよ演習が始まった。
カケルたちは、アロールの先導に従い、白い巨木と一体化するように建っている塔の根本から、昇降台を使って枝に登った。
この演習は、竜の生徒の飛行訓練も兼ねている。
他の生徒を乗せて飛ぶのかな、と思っていたカケルだが、発着台となる枝の本数が足りないそうで、今回カケルは竜の姿にならなくても良いそうだ。
クリストファーが竜の姿になり、その背中に鞍を取り付けられているのを眺める。
付けないと大勢の人が乗れないのは分かるけど、鞍を付けるのは動物になったみたいで嫌だなあ。カケルが密かに葛藤していると、アロールが背後に立った。
「軍属になれば、鞍を付けなくても空を飛べるよ」
「!」
まるで、カケルの思考を見抜いたような一言だった。
「そ、それは戦いに集中するからでしょ。俺は積極的に危険な場所に行きたくないですよ」
カケルが言い返すと、アロールは軽やかに笑った。
「はは。竜は平和主義が多くて困る。軍属志望の竜が少ないから、こうやってスカウトに回っているくらいだ」
「スカウトなら、あのクリストファーくんに声かけてあげてください。彼は勇敢な竜ですよ」
軍属になると、自由が制限される面もある。
カケルは外に侵略機械の調査に行きたいのだが、それが軍属で自由に行えるか疑問に思っていた。民間の運び屋の竜の方が、自分の好きなタイミングで外に出られるのでは。
「ああいう夢いっぱいな子ほど、現実を知って気概を無くしてしまうんだよね。だけど、君は違うだろう」
アロールは、意味深に笑ってカケルを見下ろす。
「本当に残念だよ。君がエファランに保護された時、私が面倒を見る予定だったのに、君は学者のソーマ殿を保護者に希望した。私が保護者なら、良い竜に育ててあげたのに」
「……ソーマおじさんは、俺に優しいので」
カケルは少し鳥肌が立ったので、二の腕をさすりながら後退する。
隣でオルタナが牽制するようにアロールを睨んだ。
その視線を受け、アロールは愉快そうに片眉を上げる。
「ソレルの末っ子か。君の周囲には、面白いメンバーが集まっているね」
「?」
「さあ、君の番だ。竜に乗って」
いつの間にか、カケルの順番が来ていた。
別の区の生徒が変身した竜に乗せてもらい、離陸を体験する。
白い巨木の周囲には、例の光の道――おそらく上昇気流――が螺旋のように伸びあがっている。カケルの乗っている竜は、その光の道を逸れて、無駄な羽ばたきを繰り返していた。
「そうじゃない、こっちだ!」
軍の飛行士の指示で、ようやく光の道に乗る。
それを見て、カケルは疑問に思う。
もしかして、自分以外には、あの光の道は見えていないのだろうか。
04 衝動的に飛び降りてしまった
学生の竜たちは、よたよた飛んでシャボン玉の上部の出入口を通り抜けた。これから外部の補給基地に、皆で物資を届けに行く。数時間の短い旅のはずだった。
しかし、学生たちの楽観を嘲笑うかのように、空にいくつかの黒点が現れる。黒点は見る間に広がって、黒雲のようになった。
「侵略機械の大群?! くそっ、こんな日に!」
同乗していた、軍の大人が嘆いた。
彼の持っている携帯端末に、アロールから通信が入る。
『私が奴らを蹴散らす! お前たちは学生をネムルートへ送れ!』
「後退した方が安全です!」
『先ほどエファランの非常警報が鳴った。出入口が封鎖されたからには、後退は不可能だ』
深紅の竜が飛翔速度を上げ、黒雲に向かっていくのが見えた。
あの深紅の竜に、アロールが乗っているらしい。
演習で飛んでいる学生の竜は、三頭。いずれも飛ぶことに慣れていないのか、指示されて三角形の編隊飛行を維持するのがやっとだ。
「大丈夫だ。真っ直ぐ目的地へ飛べ」
軍の大人は、怯えている学生の竜を落ち着かせようと、手を尽くしている。
いざとなったら自分も飛ぼうと、カケルは決心を固める。
あの深紅の竜は、敵を全滅させられただろうか。
空を見上げる。
「っ、追ってくる!」
どうやら、アロールの迎撃をすり抜けた機体が、こちらに向かってきている。
敵の機械が放った光線が、一番後ろを飛ぶ竜の翼を貫いた。
その竜はバランスを崩し、失速する。
「!!」
落ちていく竜の背にいる、ストロベリーブロンドの少女と目が合った気がした。
カケルはその瞬間、竜の背から飛び降りる。
目を閉じて、肩甲骨から伸びる翼をイメージした。ちっぽけな人間の体を包むように、蒼い鱗の竜の体が虚空に現出する。感覚が人のものから、竜のものへ切り替わる。
両腕の代わりに翼を動かし、カケルは墜落した竜を追って降下した。
「こんの阿呆竜!」
オルタナは舌打ちすると、自分もカケルを追って宙に身を踊らせた。軽業でも使っているかのように空中を跳躍し、竜に変じたカケルの背に着地する。
「おいカケル! 普通の人間が、竜と竜の間を|跳ぶなんて出来ないぜ」
『じゃあ、イヴはどうするんだよ!』
傷を負い、大地に落ちていく竜。
乗っている人々は、必死に鞍にしがみついている。
なおも追撃を続ける、侵略機械の無人機。船体外部修復機マーク三○三、宇宙空間用の噴射装置を、大気圏用に簡単なプロペラに付け替えている。別名、飛空丸太。
カケルは上昇すると、その飛空丸太を蹴り飛ばしてやる。
そして、墜落する竜の後を追った。
くそ、あの光の道。上昇気流が、落ちていく竜の足元に来たら、落下の衝撃を殺せるのにな。
すると、不思議なことが起こった。
ゆっくり、そう、ゆっくりと、カケルの望みに応えるように、光の道がゆらぎ、竜の下に移動する。
地面に激突する前に、辛うじて間に合った。
空気のクッションに守られて、竜はふわりと着地した。
地面に腹這いになった竜の背で、元気に動く人影を確認した。
乗員は皆、無事のようだ。
安堵したカケルだが、まずいことに気付いた。
『荷物、持ってくるの忘れた……』
着替えも入っているのに。今、人間に戻ったら裸になってしまう。
「俺がついでに持ってきた」
『ありがとう、オルト! 心の友よ!』
「何が心の友だ、突っ走りやがって。だいたい、こっちの竜はどうなってんだ。いざという時のために、人間の姿の竜が同乗すんだろが」
オルタナがカケルの背から飛び降りながら言う。
確かに、空中で不測の事態が起きた時に備え、人間の姿の竜が一緒に竜の背に乗り込んでいるのだ。演習に参加した学生の竜は、六人。三人が竜化し、カケルたち三人は補欠として竜の背に乗っていた。
「さすが、イヴさんは魔術師協会の娘さんやね! 落下中に咄嗟の結界魔術、見事やったわぁ」
「それほどでもないけれど……」
負傷した竜の背から降り、イヴが同乗していた学生と話している。
オレンジの髪の男子生徒は、訛りのある口調で軽快にイヴと話していた。
「あなた誰?」
「自己紹介が遅れましたね。僕は、タルタルいいます。実家はビックバン商会です。うちの出資百パーセントのビックバンバーガーをよろしうお願いします!」
「ああ、あのでかいサンドイッチね……」
タルタルは、ドン引きするイヴの手をつかみ、上下にシェイクしている。
オルタナは、墜落直後で混乱している彼らに近寄り、カケルの疑問を代弁してくれた。
「軍の奴は、どこにいる?」
エファラン国軍から、護衛かつ引率の大人が一人同乗しているはずだった。
質問を受けて、学生たちは一斉に視線を移動させた。
無言のイヴたちの視線の先に、小柄な男が倒れている。
軍服を着ているが、学生と見間違うくらいに童顔な男だ。
「おい」
オルタナが、男の頬をぺちぺち叩く。
「う、うーん。借金は、明日返すから……はっ」
童顔の男は飛び起きた。
「ここはどこだ?!」
それは、こっちの台詞だと、カケルたちは思った。
05 正しい遭難の仕方
頼りない童顔の軍人の名は、ホロウと言った。
まがりなりにも唯一の正規の軍人である彼のもとで、一旦、状況を整理しようということになった。
負傷した竜に乗っていたのは六人。イヴと軍人のホロウ、商会の息子タルタル。制服を着た青年二人に、補欠の竜一人。
補欠の竜はヒューイという名前で、突然の襲撃に動揺し、咄嗟に変身できなかったと弁解した。
「あの状況で、いきなり変身して、他の人を乗せて脱出とか、無理だろ! 僕もエファランを初めて出たんだぞ!」
ヒューイは、カケルより背が高く体格も良いが、神経質そうな顔つきの青年だ。自分を責められても困ると慌てている。
「うん、初めては仕方ないよ。皆、そうさ」
そうホロウはヒューイを慰めたが、一行の視線は竜のカケルの方を向いた。ちなみにカケルはまだ竜の姿のままだ。
カケルは、あの土壇場で飛び降りて竜に変じ、一行を襲った侵略機械を返り討ちにした。
「いや、比べるのはどうかと思うよ。君、カケルくんだろ。エファランの外で生き延びて保護された竜の少年。アロール隊長が、将来有望だって話してたよ」
雰囲気を察したホロウが、カケルの来歴を紹介してくれる。
いつのまにか、森で獣に育てられた少年的扱いになっている。実際は、わりと坊っちゃん育ちの箱入り息子で、現地サバイバルも短期間だったのだが。
「そうなのか! コクーン、お前と一緒だな」
「俺は竜じゃない」
ヒューイは、隣の男をつついた。
コクーンと呼ばれた男は、波打った長い黒髪をうなじで一まとめにしている。士官志望らしく隙のない制服姿で、腰に短剣を装備していた。
一緒……?
カケルは興味を覚えた。コクーンもこちらを見ている。
脇道に逸れそうなことを察してか、ホロウが学生たちの会話を遮り今後の方針を話し始めた。
「ヒューイくん、君も竜の姿になってくれないか。怪我をしたクリストファーくんは人間の姿に戻って、皆で分かれてカケルくんとヒューイくんに乗れば、ネムルートまで行けると思うんだ」
「ホロウさん、竜の鞍、一個しかないし、しかもさっきの墜落で壊れましたよね?」
イヴが冷静に指摘する。
その視線は、翼を貫かれて痛い痛いと呻いている竜のクリストファーと、その背中で大破した鞍に注がれていた。
「鞍がないと、複数人で竜に乗ることは不可能です」
カケルとヒューイが竜の姿で飛ぶとして、人間の姿に戻ったクリストファー含め、合計七人。鞍なしの竜に乗るには、人数が多すぎる。
「ここで救助を待った方が良いんじゃないか」
コクーンの発言はもっともに聞こえた。
仮にも一番年上で軍人なのに、指示を否定されたホロウは立つ瀬がない。
「うぅ。でも、待っても救助が来るか」
「なら、無事な竜のどちらかに、助けを呼んできてもらえばいい」
落ち着いて堂々と発言するコクーン。
おろおろしているホロウと、どちらが学生なのか見分けが付かない。
「そ、それもそうか。カケルくんお願いできるかな?」
ホロウのすがるような視線を受け、カケルは戸惑った。
え、俺はイヴを助けに来たんだけど。
イヴを置いて助けを呼びに行けと言ってる?
動揺したカケルは、竜の頭を左右に動かす。
途端に、気配に敏感なオルタナの蹴りが飛んできた。
「ふらふらすんな」
ひどいよー。
「……では、私も彼らと共に、助けを呼びに行きます」
カケルの内心を知ってか知らずか、イヴが声を上げる。
「え?! イヴさんがいないと、めっちゃ心細いんですが?!」
タルタルが悲鳴を上げた。
しかし、ホロウが意外にも賛同する。
「いや、良案かもしれない。イヴさんは魔術師協会の会長の娘だ。彼女の言葉を軍も無下に出来ない。最優先で助けを呼べるだろう」
こうして、竜のカケルにオルタナとイヴが乗って、ネムルートへ向かうことになった。
ところでホロウは方針だけ決めると、また青ざめて「合流に遅れるとか減俸かも。借金が」などと呟いている。
頼りないホロウのおかげで、すっかりリーダーのようになっているコクーンと、イヴが具体的な行動について会話する。
「俺たちは、クリストファーを隠せる場所に移動する」
「クリストファーくんは人間に戻らないの?」
「竜から人に戻るのは簡単だが、そこからすぐにまた竜に変身は出来ないだろう。ここはエファランの中と違って、危険に満ちている。脆弱な人間の体よりは、負傷していても竜の方が良い」
かと言って竜が二頭地面を這っていると目立つので、ヒューイの竜化も温存するようだ。
しかし、寝転がっているクリストファーの巨体を、どうやって動かすのか。
「……はぁっ!」
一行の中でずっと無言だった、熊のような図体の青年が、竜の尻を押した。
おぉ、と見ている皆の感嘆の吐息。
竜の巨体が少しずつ動いている。
「……ハックだ。力だけは、誰にも負けん」
筋肉隆々な青年は、そう言って笑う。
ハックは獣人なのかな、とカケルは思った。オルタナもそうだが、普通より力が強い人間は、大概は獣遺伝子で強化されており、エファランではシンプルに獣人と呼ばれている。見た目の獣要素は薄く、何の獣かは本人申告でないと分からない。
「あ、待って。連れていく前に、魔術で目印を付けさせて」
イヴが呼び止める。
「あなたたちがどこに行っても、必ず迎えに来るから」
目に見えないマークを付け終わると、彼女は腹這いになったカケルの背によじ登る。
この感触。懐かしいな、とカケルは思った。
「……ずっと、何を考えてるのかな、と思ってたけど」
ついで、竜の優れた聴覚が、彼女の涼やかな声音を拾う。
「助けに来てくれたから、今まで無視してくれた分は、一回分だけ許すわ。ねえ、カケルくん?」
『!!!』
やっぱり根に持ってる?!
首筋を撫でられてゾワゾワし、カケルは震え上がった。
06 故郷の侵攻
イヴとオルタナは、それぞれ竜の姿のカケルの肩あたりに座る。そこなら、背中の中央の突起につかまって体を固定できるからだ。
二人が落ち着いたのを確認すると、カケルは翼を広げながら、手近な崖に駆けていき、跳躍する。光の道が、カケルを包んで上空に持ち上げる。
やはり、気のせいではない。光の道……気流は、カケルの望むよう動いていると感じる。慣れれば、そのうち平地でも、風を起こして離陸できるのではないか。
「飛ぶの上手くなったわね。普通の竜は、もっと高いところからジャンプしないと、風を掴めないのに」
『そうなの?』
「そうよ。なんで私たち飛行士が竜に同行すると思ってるの。竜だけでは飛ぶことが難しいからよ。私たちは、天候や地形を見て、気流を推測するの」
イヴは、母親が飛行士だったらしく、自分も飛行士を目指していると言っていた。先週、飛行準士の試験を受けたばかりとも。
だが、彼女は飛行士というより、魔術師と呼ぶ方がふさわしいと思う。五年前のあの日、乗っていた飛行機が墜落してもピンピンしていたのは、彼女が魔術を駆使して自分を守っていたからだ。
『ねえ、イヴ。聞いていい?』
カケルは、魔術師である彼女に聞きたいことがあった。
『なんで、魔術でアロールさんたちと連絡とれないの?』
助けを呼びに行くなどという、原始的な手段を取らずとも、通信できるなら連絡が取れるはずだった。
背中のイヴが呆れたように溜め息を吐く。
「あなた魔術に詳しくないから、そんな風に思うのかもしれないけど、連絡の魔術は、エファランの中か補給基地じゃないと使えないの!」
『ほえ? エファランの外でも魔術が使えるのに、なんで?』
素朴な疑問。
通信を阻害する何かがあるのか?
いや、それは基本的にないはず。魔術がカケルの考えている通り、ネットワークを通じてリソースを読み込んでいるなら、魔術が使えて通信ができないはずがない。
残る可能性は……
『イヴ、通信に使っているユーザーIDと、魔術に使っているユーザーIDは違ってたりしない?』
「何語をしゃべってるの。何そのユーザー……?」
『うーんと、魔術の呪文の最初らへん、エファランの中で使う通信連絡と、エファランの外で使える魔術で違ってない?』
「……そういえば。そうね」
ビンゴ。やはり、ネットワークが違うのだ。
この世界を覆う謎のネットワークの上に、エファランの人々が生活で使うネットワークが別に敷かれている。おそらく前者の方が古く、後者の方が新しい。
「……もしかして、呪文を変えれば、連絡魔術が使えるのかしら」
『エファランに帰ってから、実験すると良いよ~』
カケルの想像が正しければ、二つのネットワークを形成するシステムの規格が違うので、全く同じ呪文で魔術は行使できないはずだ。連絡一つ取るのも、大変だろう。
魔術。
それは、カケルの故郷、星を渡る船団でも最先端の技術であり、船団の中の一部でしか使用できない。
コマンド一つで、さまざまな魔法のようなことが実行できる代わりに、物質の構築を計算で補うため、これを実現するシステムは最高の処理能力を擁し、ネットワークも最大速度で安定して通信できる必要がある。
人類の夢の結晶。それが、魔術なのだった。
黙ってカケルとイヴの会話を聞いていたオルタナが、口を開く。
「おい、アラクサラ」
イヴの家名は、アラクサラだ。
呼ばれたイブは嫌そうな声で答える。
「何よ、ソレル」
ソレルは、オルタナの家名だ。
この二人、仲が悪いのかな、とカケルは疑問に思った。
「あいつ、コクーンと言ったか。奴のことについて、何か知ってるか」
「同じ戦士科のあんたの方が詳しいでしょ。闘技大会の学生の部のチャンピオンな癖に」
イヴがそっけなく返す。
オルタナは学生らしからぬ強さで有名だ。それに加え、抜き身のナイフのような雰囲気に、カケル以外の学生は怖がって近付かない。
「雑魚のことなんか、知らねーよ。それよりも、奴がカケルと同じと言っていたのは、何でか知ってるか」
弱い戦士は眼中にないと答えるオルタナ。
清々しいほど傲慢だが、なぜか彼が言うと反感が沸かない。生きざまが、野性の獣のようだからだろうか。それにしても、コクーンのことは、カケルも気になっていた。背中の会話に、耳を澄ませる。
「カケルと同じ……きっとエファランの外から来たという意味だと思う。彼、北の滅びた都市ガリアの出身よ」
「生き残りか」
「そう。侵略機械に生命樹を枯らされて、外に逃げた人たちは自壊虫にやられたそうよ」
イヴの声のトーンが落ちる。
「私、安全なエファランに生まれて良かったと思ってしまう。エファランの南は炎災厄がいるけど、昔の勇敢なエファランの人々のおかげで、弱体化していて今は脅威ではないし」
この世界には、エファラン以外にも、シャボン玉のような都市国家が、いくつか存在するらしい。しかし、情報規制が敷かれているのか、他の都市の状況は知らされなかった。
イヴの言うことが本当なら、コクーンと自分は同じどころか、まったく違う。それに、コクーンの故郷を滅ぼしたのは、カケルの故郷の船団だ。
「……もうそろそろ、ネムルートが見えてくるはずだけど」
イヴの呟きに、カケルは前方に注意を向ける。
だいぶ地上から離れて上昇していたが、竜にも容易く飛び越せない高い山脈が目の前に広がっている。草木の生えていない荒涼とした山頂に、エファランより小さなシャボン玉がある。
目を凝らすと、そのシャボン玉の虹色の境界は割れ、中から煙が上がっているのが見えた。
07 内通者の疑惑
目的地に異常が生じていることに気付いたカケルは、シャボン玉の手前でホバリングする。
すると、シャボン玉の向こう側から深紅の竜が飛んできた。
「君たち、何故ここにいる?! 他の学生たちは、とっくに引き返して、地上の安全な場所で休息を取っているぞ!」
アロールだ。
彼は、深紅の竜の背から、魔術を使って声を飛ばして来ているようだ。
「ネムルートは墜ちた。侵略機械の工場にされる前に取り返したいが、今は戦力が足りない。皆でエファランに撤退する!」
あのシャボン玉の中は、侵略機械に占領されているらしい。
アロールは、基地の人々の脱出を支援していたようだ。
「あの! 私たち、負傷した竜のクリストファーくんを助けて欲しくて、ネムルート補給基地まで来たんです!」
カケルの背で、イヴが声を張り上げる。
こちらも魔術で声を飛ばしているから、大声でも聞こえるはずだが、気分だろう。
「報告は聞いている。途中で墜落した竜の一隊が遅れていると……無事だったか」
「はい、全員無事です! クリストファーくんは竜の姿のままで、皆で救援を待っています」
「竜の姿のままで?!」
アロールの声に、動揺が混じった。
「それはいけない。侵略機械は、負傷した竜を執拗に狙うのだ。嫌な予感がする。君たち、私を彼らのもとまで、案内したまえ!」
深紅の竜はくるりと旋回、カケルの前に踊り出る。
イヴが方角を指示し、アロールと深紅の竜と共に、カケルは元来た空の道を引き返す。
深紅の竜を追って羽ばたきながら、カケルはアロールに聞いた。
『アロールさん。合同訓練は毎年、こんなに危険なんですか?』
「そんな訳はない!」
アロールの声には、憤りのような感情が現れている。
「数年前までは、侵略機械が地上に降りる前までに撃墜していたのだ。しかし、奴らの機械は年々小型化し、我々の迎撃をすり抜けるようになった。四年前に北の都市ガリアが陥落してから、侵略機械の数は増え続けている」
そうか。船体外部修復機械!
カケルは、はっと気付く。
故郷の船団は、竜とまともにやり合うことを諦め、作業用機械を送り込み、壊されても構わない機械を量産する道を選んだのだ。
そして、その物量対策は、エファランを脅かし始めている。
もうすぐ日の入りが近い。
全速力で、オレンジ色に染まった雲の下を翔け抜ける。
夜になる前に、遭難した学生達が待っている場所に辿り着けるといいのだが。
『あれは……?!』
チカチカと陽光を反射して、飛行機械の群れが降下しているのが見えた。
「君たちは、行きたまえ! 私は、この付近で敵を追い払う」
アロールが囮になって迎撃すると言う。
彼は続けた。
「イヴくん、カケルくん、オルタナくん! 敵は、この下に負傷した竜がいると確信している! なぜだ? もし敵の目が潜伏しているのなら、見付け出して排除するのだ!」
「っ……了解です」
イヴが頷き「アロールさんも、気を付けて!」と返した。
敵もこちらと条件は同じだ。
安全な場所を探すというコクーン達に、イヴが魔術で目印を付けたように、移動している者を追いかけることは難しい。正確な場所を見付けるには、印が必要だ。
カケルは飛翔速度を落として着陸体勢に入る。
『イヴ、オルト。俺も人間の姿に戻ろうと思うんだけど』
「どうして? 竜の姿の方が安全じゃない」
『敵の目印が付いているなら、たぶんとても小さいんじゃないかな。大きかったら、すぐ気付くよ』
だから自分も探すのを手伝うと言うと、イヴとオルタナが顔を見合わせる気配がした。
『あと、俺たちが敵の目印を探しているっていうのは、秘密にした方が良いと思う』
「裏切り者がいるって言うの?!」
『違う違う。探しているのに気付かれたら、逃げられるかもしれないから』
そう言うと、イヴは「それもそうね」と納得してくれた。
カケルは彼女の言葉「裏切り者」というワードに、一瞬、胸がヒヤリとする。俺は裏切り者じゃないと言っても、もともと敵の側にいたと分かったら、イヴとオルタナは受け入れてくれるのだろうか。
08 帰るべき場所
地上に降りると、カケルは人間の姿に戻った。
一応、森の中で着替えた。女性の目を汚さないよう注意している。
三人は、崖下に隠れたクリストファー達の元に急いだ。
「あ、イヴくん! 助けは連れてきてくれたかい?」
イヴの姿を見付けたホロウが目を輝かせる。
一番年長の軍人なのに、焚き火で芋をあぶっている姿は、一番年下に見えた。
「いえ。アロールさんから伝言です。負傷した竜のクリストファーくんは人間に戻って、タルタルくんと一緒に竜のヒューイに乗ってエファランに引き返すようにと。他のメンバーは、ここで待っているように、とのことです」
迎撃に向かう前、飛行中にアロールは後のことを指示していた。
戦う術を持たない商人の息子タルタルと、怪我人のクリストファーを優先的に離脱させる指示を、イヴが説明する。
残るコクーンとハックは戦士科の士官志望者なので、荒野での行軍訓練は受けているだろう。ホロウは軍人なので言わずもがなだ。
イブ達はここで待って、アロールと、先行する二隊の学生たちが戻ってくるのを待つ。学生たちはネムルート補給基地で、予備の鞍を受け取っているので、合流さえすれば補欠の竜に乗せてもらって全員帰れる予定だった。
「うぅ。ネムルートに行けなかった僕は、監督責任で減俸かなぁ」
ホロウは給料の心配をしている。
しかし、ネムルート補給基地があの状況なので、減俸どころでは無いだろうなと思うカケルだ。
手分けして、竜に変じたヒューイの背中に、タルタルと人間に戻ったクリストファーの体を縄で固定する。
翼を負傷したクリストファーだが、人間になれば負傷は無かったことになる。だが、それでも背中に幻痛を覚え、激しく疲労するものらしい。クリストファーはぐったりしていた。
「ヒューイさん、皆さん、無事にエファランに帰ったら、ビックバンバーガーで打ち上げしましょう。三割引きします!」
『金取るのかよ……』
二人を背負って夕陽に向かって飛び立つ竜を、皆で見送る。
どうもタルタルを見るとビックバンバーガーを連想してしまう。本人の猛烈アピールのせいだろうか。あのバーガーは濃い味付けだが、付け合わせのポテトと共にたまに食べたくなるのだ。ああ、ビックバンバーガーが行ってしまう。
ビックバンバーガー、食べたいなぁ。
カケルのお腹がぐうと鳴った。
「……えっと。夕御飯にしようか」
ホロウの言葉に、反対する者はいなかった。
竜の姿で長時間飛行したのは初めてだったせいか、たいそう腹が減った。
カケルは、無言で焼き芋を頬張った。ねっとり甘い芋は、体に燃料を投下しているように、胃に染みる。
一行は焚き火を囲んでキャンプ中だ。
芋や魚を採ってきたのは獣人の学生ハックだった。この世界の人々は、子供でもサバイバル能力が高い。
「よく食べるな……」
気が付くと、隣にコクーンが座っていた。
少し呆れた表情だが、その瞳には好奇心の光が揺れている。
「君は、俺と同じくエファランの外の生まれだと聞いた。どこから来たんだ?」
カケルは急ぎ水で芋を喉に流し込んだ。
彼とは一度、話したいと思っていた。
「……覚えてないんだ。気が付いたら、竜の姿で外にいた」
本当のことは言えないので、生まれ育ちを、そのように誤魔化して皆に説明していた。
コクーンは、同情したようだ。
冷静沈着を絵に描いたような容姿だが、表情を崩し悲しそうに眉を下げる。
「じゃあ、もしかしたら同郷かもしれないな。俺は、北の都市ガリアの生まれだ。四年前に、侵略機械に侵入されて滅びた」
「どうやって生き延びたの?」
「……妹のおかげだ」
どきん、とカケルの胸が弾んだ。
妹。考えないようにしていた、故郷に残してきた双子の妹のことが、頭をよぎる。
「妹がお守りだと言って、キーホルダーを持たせてくれたんだ。お守りのおかげか、俺はあまり狙われなくて……エファランに辿り着けた」
コクーンは腰のポシェットから、汚れた小さなキーホルダーを取り出す。
もとは猫か何か動物をデフォルメしたものだろうか。
まるっこい金属の、塗装が剥げた表面に、カケルはそれを見付けてしまった。
知識が無ければ分からないだろう。
小さな数字と黒い点線のバーコード。型番と認識コードが、演算チップの上に記載されている。
間違いない。侵略機械の端末だ。
「エファランは良い国だ。俺のような難民も、快く受け入れてくれた。しかし、それでもたまに思う……」
コクーンは、カケルの動揺に気付いていないようで、話を続ける。
「故郷が懐かしい。ガリアでは、雪のことを六花と呼ぶ。花のような牡丹雪が降るんだ。今はもう廃墟だとしても……いつか、帰りたい」
「帰りたい……?」
「お前は、そう思わないか? いや、記憶がないんだったか」
記憶が無いのは嘘だ。
しかし、カケルはコクーンと違い、故郷に帰りたいと思わない。
だとしたら、帰るべき場所は、どこなのだろう。
09 愛情表現が分かりにくい
カケルは内心を顔に出さないように気を付けたが、平静ではいられなかった。
「ごめん、ちょっと食べ過ぎて腹が痛くなってきた」
「大丈夫か?」
コクーンの視線が、こいつ案外頼りないなと危ぶむものに変わる。
しかし、自身の評判など気にしている場合ではない。
カケルは焚き火を離れ、一人、森に踏みいった。
一人で考えを整理したかった。
「どこへ行くの?」
「うわっ」
早速、イヴに見つかったが。
カケルは無理やり笑顔を作り、イヴに問いかける。
「目印、見つかった?」
「見つかる訳ないでしょう! 物体なのか動物なのかさえ、分かってないのに!」
彼女は、ぷんぷん怒って腕組みする。
アロールさんも無茶ぶりだよなぁ、とカケルは思った。
「……全員の荷物を確認したが、不審な物は無かったぞ」
足音もなく、オルタナが現れる。
カケルたちの会話を聞いていたらしい。
どうしようかな。
目印を見付けたと言ったら、なぜ分かったか問い詰められて、芋づる式に自分の出自がばれる可能性がある。
しかし、今のカケルはエファランに存続してもらいたい。侵略機械をそのままにしておけない。
「ちょっと、コクーンと二人きりで話がしたいんだけど」
「奴が内通者か?」
「えっとぉ」
「エファランの外から来たから、その可能性はあると思っていた」
オルタナが鋭く指摘する。
じゃあ、俺はどうなんだと、カケルは冷や汗をかいた。
「コクーン自身じゃなくて、彼の持ってる物が怪しいんだ」
観念して打ち明ける。
「なんとか、彼の評判に傷を付けないよう、取り上げたいんだけど」
コクーンは被害者だ。
できれば穏便に事件を解決したい。カケルの出自を隠したまま、ことを済ませられれば恩の字だ。
カケルの要望を聞いたイヴとオルタナは、そろって不機嫌そうな表情になった。いったい、何が懸念なのだろうか。
「えっと、大丈夫だよ。ちゃんと敵の目印を取り上げて、破壊する。約束するよ」
「そんなことは、気にしてない」
オルタナが地を這うような低い声で言った。
「二人きり? 奴が抵抗したら、どうするつもりだ? お前一人で戦えるのか?」
「もしかして、心配されてる……?」
友人らしく、カケルの身を心配してくれているのだろうか。
そう期待するとオルタナは端の頭にシワを寄せて「違う」と唸った。そんな嫌な顔をしなくても。
「そうよ!」
イヴが、勢いこんで割り込んだ。
「あなたに何かあったら……今まで無視した分、あなたは今後、私に奉仕しなきゃいけないのに!」
「は?」
「そうよ! あなたなんか、あなたなんか、私のお嫁さんがお似合いよ! 一生、私の言うことを聞く奴隷になりなさい!」
お嫁さん?
旦那さんじゃなくて?
意味不明なことを言われて、カケルは混乱する。
しかし当のイヴも真っ赤になって興奮しており、はたして自分の言葉の意味を理解しているか怪しい。
「オルト、どうにかして……」
友人に助けを求めると、オルタナは険しい表情で言った。
「却下だ」
「!」
「誰が、毎週こいつをバイト先まで連れて行ってると思ってるんだ。こいつは世話された分を俺に返すべきだ! 一生かけてもな!」
「へ?!」
カケルを放置して、イヴとオルタナは睨み合う。
二人の間に見えない火花が散っているのが、手に取るように分かった。もしかして、意外と好かれているのだろうか……?
おろおろするカケルを他所に、イヴとオルタナは激しく罵りあった後、ふんと互いにそっぽを向いた。
「あの~……」
「私は反対よ」
「俺も反対だ。やるなら、何かあった時のために、竜の姿になる体力が回復した明日の朝にしろ」
意見が決裂したのではなかったのか?
疑問符を浮かべるカケルに、オルタナが「ちっ」と舌打ちする。
「二人きりは却下だ。俺が立ち会う。アラクサラも、それで良いな?」
イヴが眉をしかめて「勝手に決めないでよ」と言ったが、オルタナは強引に続けた。
「条件を飲むなら、協力する。お前が何を隠していたとしても、だ」
「!」
オルタナに鋭い目で睨まれ、カケルは息を飲んだ。
「お前が俺たちを信頼していないように、俺たちもお前のことは信頼できない。が、信頼したい。これは、その譲歩だ。飲むか?」
参ったな。
鋭すぎるや。それに、俺よりもずっと賢い。
イブも同意見らしく、空色の瞳で真っ直ぐこちらを見ている。
カケルは敗北を認めざるをえなかった。
10 人が災厄に変わる時
三人で内緒話をした、その翌朝。
「おい、コクーン。朝の運動に付き合え」
オルタナが、コクーンを散歩に誘った。自身の腰の短剣の柄を、思わせ振りに軽く叩く。戦士科なら、その合図で通じるらしい。
肩慣らしに模擬戦しようと言っているのだ。
コクーンは驚いたようだった。いかにも我が道を往くタイプのオルタナが、模擬戦とはいえ、誰かにものを頼んでいるのだ。ただ、コクーンも士官志望の男なので、理由もなく模擬戦を断ったりしない。
彼は戸惑いながら頷く。
「……分かった」
「俺も一緒に行く。散歩したいんだ」
カケルはさりげなく、二人の後に付いてキャンプから離れる。仮にも遭難中で、あまりバラバラに動くのは推奨されないので、カケルの同行は自然に見える。
キャンプから十分距離をおいた森の奥で、二人の青年は向かい合った。
先に動いたのは、オルタナだ。
彼は無造作に短剣を鞘から抜き、滑るような動きで斬りかかる。コクーンも戦士科らしく、大振りのナイフをかざして攻撃を受け止めた。
オルタナは手加減しているらしく、動きが遅い。本気を出せば、目にも止まらぬ動きなのだが、今は目で追える範囲だ。
それに対してコクーンは、堅実に防御している。
「っつ。オルタナ、お前にとっては肩慣らしにもならないだろう! なぜ俺を誘った?!」
「そうだな。俺ではなく……カケルの用事だ」
オルタナは短剣を一閃し、コクーンのナイフを弾き飛ばす。
ナイフがくるくると回転しながら飛び、近くの幹に突き刺さった。
二人の視線を浴び、カケルは心臓に悪いと苦笑いしながら、本題を切り出した。
「昨日、言ってた妹さんのキーホルダー、見せてもらえるかな」
「? 何か、君の記憶に触るようなものなのか?」
コクーンはいぶかしみながら、腰のポシェットからキーホルダーを取り出し、カケルに手渡す。
手と手が触れ合う瞬間、キーホルダーが動いた。
「!」
丸いキーホルダーの側面に、金属の細い脚が瞬時に生える。
それは、今まで死んでいた虫が跳ね起きるような現象だった。
まるで蜘蛛のように脚をたわませ、キーホルダーは跳躍する。
「逃がすか!」
動けたのはオルタナのみ。
短剣を目にも止まらぬ速さで投擲する。
狙いあやまたず、短剣はキーホルダーの真ん中を刺し貫き、そのまま木の幹に張り付けにした。
「こ、これは?!」
一拍遅れて、事態を把握したコクーンが青ざめる。
「まさか、まさか、俺の持っていたのは、侵略機械の……」
自滅虫は、紅い蝶々を伴って現れる。
それ以外の、自立的に動く機械は、すべて侵略機械というのが、この世界の共通認識だった。
『ギ……ギ』
短剣に貫かれても、脚をバタつかせる侵略機械の端末は、奇妙な機械音と共に、人の言葉を発した。
『ウラギリモノ』
きっと自分を指した言葉だ。
しかし、コクーンも同じように受け取ったらしい。
「俺なのか?! 故郷のガリアを破滅に導いたのは……」
「違う!」
カケルは鋭く否定の声を上げたが、コクーンは聞いていないようだった。
「悪いのは、侵略機械だ! 君じゃない!」
「だが、俺は妹の顔が思い出せないんだ……俺は……俺は」
ざあっと、森がざわめいた。
妙に冷たい風が吹き抜ける。
森の暗がりから、一匹、また一匹と、夕暮れ色の揚羽蝶が集まってきた。
この紅い蝶こそ、自壊虫でもっとも広域に頒布する種なのだと、カケルはエファランで教わった。厳密には、自壊虫は目に見えないウイルスの一種だが、昆虫がウイルスを媒介する。
蝶以外にも、媒介となる昆虫は数種いて、彼らは宿主となる動物を求め、荒野をさすらう。取り憑かれた動物は、体が腐って死しても動き続ける。
「絶望した奴には、自壊虫が集まる。だから精神を強くもてと、戦士科で教わっただろう。忘れたのか?!!」
オルタナは叫びながら、予備の短剣を鞘から抜くと、近付いてくる蝶々を切り捨てた。
蝶は切られると炎になり、輝いて消滅する。
「……それに、何の意味がある」
コクーンは、片手で額を押さえ、暗い眼をしている。
「故郷の家族はきっと、俺を恨んでいるだろう。戻るべき故郷は、俺にはない。俺が壊してしまったんだ。いや、まだそう決まった訳じゃない……」
それ以上、言っては駄目だ。
カケルは彼を止めたいと思った。しかし、たいして親しくもない、彼と同じ難民でもないカケルには、言葉が見つからない。
「真実を知る必要はない。お前達を殺して、エファランの人々もいなくなれば、真実は闇の中だ」
「なっ?!」
コクーンは歪んだ笑みを浮かべる。
「俺は故郷に帰る。そのために、お前達は邪魔だ!」
蝶の群れが、コクーン目掛けて突っ込んでいく。
肌に触れた瞬間に、蝶は燐粉を吐き出して燃え尽きた。
紅い燐粉を浴びたコクーンの様相が、変わり始める。
体がボコボコと膨らみ、蛹が殻から飛び立つよう背中が裂け、青白く輝く、大きな虫の翅が伸びた。肌も翅の地色も漆黒だが、三角の翅のふちを彩るように、青白い波模様が浮かび上がる。
もはや人間の形を成していない。
それは歪な姿をした巨大な蝶だった。
コクーンが背中の翅を震わせると、雪片が宙を舞った。急激な冷気が地面を凍らせる。
「……氷災厄」
オルタナが呻く。
人が怪物に変わる瞬間を目撃し、カケルは衝撃を受けていた。
しかし、考えてみれば、その可能性はあったのだ。
この世界では前触れもなく人が竜に変わるのだから、どんな醜い姿に変じたって不思議じゃない。
戸惑うカケルたちの眼前で、氷災厄と化したコクーンの足元から、霜柱が広がっていく。森の木々は霜に覆われ、枯れ落ち始めた。
「オルト!」
「お前も下がれ、カケル! くそっ、こいつ俺たちを氷漬けにするつもりか?!」
オルタナはカケルの襟首をつかみ、後ろに大きく跳躍する。
人間の姿で、人間離れした動きができるのが、獣人の大きな特徴だ。
しかし、このままでは、すぐ追い付かれる。
カケルの懸念を嘲笑うかのように、氷災厄は上昇し始める。糸の切れた蛸のように舞い上がり、上空で雪片を降らせ始める。地面は凍らないが、雪片を受けた森の木々の天辺が枯れ始めた。
人間が雪を被ったらどうなるのか、興味があっても試す危険は侵せない。
オルタナは素早く樹木の下に走り込み、間一髪で雪から逃れる。
氷災厄は羽ばたくたびに、大量の雪を撒き散らす。
そうして災厄は、ゆるやかな速度で移動を始めた。
ここにいるカケル達を無視する形だ。
「! 駄目だ! コクーンは、イヴ達のいるキャンプを潰す気だ!」
カケルは、その狙いに気付き、ぞっとした。
キャンプにいる彼女達は無防備だ。今、襲撃されれば、ひとたまりもない。
迷っている暇はない。
「おいカケル! ここで竜に変身しても、空に上がれねえだろ!」
木の下から出ようとするカケルを、オルタナは引き留める。
重量のある竜は軽い虫とは違って、離陸に時間が掛かる。飛行機は離陸に必要な揚力を得るため、長距離の滑走が必要だ。竜は、崖から飛び降りたり上昇気流を利用する、あるいは飛行機と同じように滑走することで離陸する。
「関係ない。俺は皆を守る」
俺なら出来る。
なぜか、そう確信できた。
意識を集中して、竜に変身する。そして、光の道を呼び集める。気流はカケルの意思に従って動く。それはもはや、大気を操っているのと同じだった。爆風が体を地面から持ち上げ、離陸を簡単にしてくれる。
その時、氷災厄がキャンプの真上に到達した。
「!! あれは……」
妙な冷風に気付いたホロウやイヴが、空を見上げる。
そこには漆黒の翅を広げた災厄の姿があった。
『させるか!!』
軽やかに空に舞い上がったカケルは、氷災厄に横から体当たりする。
まさか追撃されると思わなかったのか、氷災厄はまともに体当たりをくらい、吹っ飛ばされた。
カケルの方は、体当たりを終えると、くるりと旋回し、キャンプの真上に陣取って翼を広げる。その周囲を、突風が吹き荒れた。
朝日が、青い竜のサファイアのような鱗を輝かせる。
『空の上で、虫なんかに負けるもんか』
風はカケルの思い通りに吹く。
空はもう、カケルの領土だ。
次話予告
風の力を自由自在に操り、カケルは氷災厄を退ける。しかし、それは次の戦いへの序曲だった。
正体を隠したままのカケルに、手を差し伸べるイヴとオルタナ。三人の絆が、エファランの危機を救う鍵となる。
次回、第三話「ファーストインプレッション」乞うご期待!
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