てれびにたよるいくじ。

子どもを家族に迎え入れる選択をしたのはもちろん自分だし、保育園で数年ではあるけど働いていた中でいろんな性格の子たちをたくさん見たり関わったりしてきたから、多少のことはきっとなんとかなるし、なんとかしないといけないとずっと思っている。
思っている、、けど、どうしてもやっぱり育児に関する悩みは尽きないもので、毎日悶々としている。

今一番困っているのは、わたしがキッチンに行くと娘が大泣きすることだ。
今までも半径数メートル以内にママがいないと遊べない、安心しない、というような様子はずっとあったし、むしろこういうママ!ママ!な時期も今だけだと思うと可愛く思えたし、とことんこの大変だけど幸せな時間を噛み締めよう、とは思っている。
今までならそんな時でも大好きな「いないいないばぁっ!」や「ワンワンわんだーらんど」の録画したものを流せばケロッと機嫌を直し、ママの存在なんかすっかり忘れて没頭するので、その隙にわたしは死に物狂いで苦手な料理に向き合う…というのが毎日の恒例行事であった。

良くも悪くも「子ども騙し」が効かなくなってきた娘ではあるが、本当にテレビのない育児は考えられない、というか考えたくもない。それくらいわたしはこれまでテレビにたくさん頼った育児をしてきた。

巷ではテレビは2歳以下の子には見せるべきではないと推奨されていたり、子どものテレビ視聴時間は一日20分までに収めるべしとされていたりするのはもちろん知っている。
ただ、知っているのとその通りに実行に移すのとでは訳が違う。
現実は思ってる以上にシビアだ。“綺麗事”を突き通すという一種の美徳は、育児ではほぼ100%の確率で通用しない。
それでも、なるべく幼い頃からテレビっ子にさせてしまうのも如何なものかと思うので、朝と夕方のEテレやその他録画してあるものに関しては、娘が観たい!とテレビのリモコンを差し出してくる時と、わたしが家事に手を取られてしまい一緒に居てあげられず泣いてしまう時になるべく限定して見せるようにしている。

子どもにとってテレビが悪とされる理由として、「視力が悪くなる」「コミュニケーション能力が育たない」等が挙げられるが、そんなことを気にしている場合では正直ない。
視力に関しては、悪くなる時は悪くなる。仮に幼い頃にテレビを制限して視力の低下を防いだところで、将来的にテレビを観るようになったりゲームにハマるようになれば視力低下はいくらでもするだろう。なんなら視力は遺伝の影響もあるとされているし、遺伝からはどう足掻いても逃げることは出来ない。
コミュニケーション能力に関しても、確かに全て「受け身」で視聴していれば育つ機会が減ってしまう可能性はあるだろう。しかし、子ども向け番組というのは本当によく考えられた上で作られていて、疑問を投げかけて一緒に考えてみる時間が設けられていたり、日常で使える挨拶や会話が繰り返されたりと、ただ視覚的に子どもの視線を集めるに留まらず、様々な形で言葉や表情の変化のシャワーが浴びられるような工夫がなされているし学んだことを活かす機会も設けられている番組構成になっていることも多い。
もちろん生身の人間と関わるに越したことはないが、核家族化が進んでいる今の世の中で、保育園等の施設を利用せず家庭内育児が基本となっている、かつ兄弟姉妹がいない家庭だと、その子にとってはお母さんだけが唯一のコミュニケーション相手であるし(お父さんは仕事で日中は会えない前提)、このご時世なのであえて人と接する機会を削っていかなければならない。そんな家庭で育つ子どもにとって、テレビの中から話しかけてくれる、歌ってくれる、そんなキャラクターたちは娘にとってかけがえのない友だちだ。

そんな中でも親友と呼べるであろう友だちが、「いないいないばぁっ!」に出ているみんなである。
娘は今年の12月で2歳になるのだが、今のところどちらかと言うと言葉の発達は遅い方だ。そんな娘がパパやママを差し置いて、一番初めに話した言葉が、何を隠そう1歳になりたての頃に突然言い出した「いないいないばあ!」である。(そして当時は、簡単な単語よりも先に「いないいないばあ」が言えるなんて凄い!これはここから一気にいろんなお話しができるようになるぞー!とワクワクしたものだ。実際は違った。笑)
相変わらずハッキリと話せる言葉は少なめだが、いないいないばぁっ!に出てくる主要メンバーの名前はしっかり言えるし、歌やダンスも覚えて自分流の言葉で歌ったり踊りを真似したり出来るようにもなった。
特にいないいないばぁっ!のコンサート「ワンワンわんだーらんど」に出演しているジャンジャンというキャラクターが娘の一番の推しで、最近わたしが貴重な財産を叩いて迎え入れてあげたジャンジャンのぬいぐるみを本当に喜んでくれて、寝る時はもちろんおままごと遊びをする時なんかも絶対に手放さず、読んで字の如く「ニコイチ」になっている。
本当に驚いたのが、初めて家にジャンジャンが来た日。これまでもワンワンやうーたんのぬいぐるみは既に家にいて大切にしてはいたものの、お風呂に行く時は連れて行けないよと伝えると、脱衣所に置いて待っててもらうことができたのに、ジャンジャンのことはどうしてもお風呂場の中まで連れて行きたいと大泣きしたのである。軽く15分程全力で泣き散らし、最終的にはなんとかわたしの話を聞き入れてくれて、そして上手いこと別のお風呂用おもちゃで興味を引くことに成功して事なきを得た。その日は、ここまでジャンジャンのことが大好きだとは思わなかった...明日からも毎日お風呂に連れて行きたいと大泣きされるのかな...と一度は家に迎え入れたことを後悔したが、翌日からはわたしの気持ちが伝わったようで、お風呂場までジャンジャンを連れて行こうとすることはなくなった。
テレビは、娘に言葉や踊る機会だけではなく、「好き」という感情をも与えてくれたのである。

こういった子ども向け番組は、子どもだけでなく意外と親にとっても学びの機会を与えてくれる。
個人的に(毎度毎度であれなのだが)「いないいないばぁっ!」でわたしが大好きなシーンがある。
「ピカピカブー」をいつも通り踊って終わって、テレビの前のみんなにバイバイしようかー!とワンワンとはるちゃんが言うシーンで、突然うーたんが現れて「うーたんもピカピカブーやるー!」と言うのだ。しかしワンワンは、「もうみんなにバイバイの時間だから...」とうーたんの気持ちをなだめようとする。しかしうーたんのこの時の欲求は、自分の気持ちを分かってもらった上でもう一度ピカピカブーをみんなと一緒に踊りたいというものである。ワンワンのなだめる言葉だけではうーたんの思いは満たされない。するとそこではるちゃんが、「そうだよね、うーたんもやりたいよね。それじゃあみんなにバイバイしてからまたピカピカブーしよっか!」とうーたんに優しく声を掛けるのである。
初めてこのシーンを観た時、わたしはそのはるちゃんの優しさと模範解答っぷりに感動した。それがたとえ大人の作った台本だったとしても、だ。
大人だって、自分の気持ちが相手に伝わらなかったり自分の願いを相手が思うように叶えてくれなかったら、悲しいし時にはそれが怒りの感情となって表に出てしまうだろう。特に好奇心が旺盛で、成長過程の上で多感な時期にある子どもにとって、自分の気持ちを理解した上でやりたいことをさせてくれる大人の存在は大きい。
子育てをする中で、TPO然り様々な要因故に我が子の「したい」という気持ち全てを汲むことは難しいが、それでもただ「今はできない」「だめ」と否定的な言葉で我慢させるだけよりは、「やりたいよね。でも今はできないから、お家に帰ったらしようね」と我慢させる方がよっぽど良い。加えてちゃんと「なぜ今はできないのか」ということをしっかり説明することも大切だ。意外とそうやって説明文を加えることで言葉のまだ分からない子どもでもすんなり納得したりするし、説明している自分自身も自分の意見に間違いがないか口に出して二重チェックが出来て、一石二鳥以外の何物でもない。
こう考えてみると、子ども向けのテレビ番組は、家事育児でなかなか本を開いて活字を読む時間を作れない親にとっては、気軽に見て学べる育児本のような働きをもしてくれていると思うのである。

ここまでテレビ信者によるテレビ信者のための肯定的な意見を述べてきたが、もちろんテレビ無しで家事と育児が両立できる、大人から子どもまで様々な人と関わる機会が毎日作れる環境下ならテレビは必要ないかもしれない。実際わたしもそういう環境で育児ができるなら、テレビは極力見せない選択をするであろう。
しかし、わたしは声を大にして言いたい。自分自身に言い聞かせたい。
テレビに頼る育児は悪くない。
もし悪いという人がいるなら、その人は本当にテレビ無しで家事をこなしながら、子どもとのコミュニケーションの時間を充分に割けるのか、と問いたい。出来ると言うのであれば、コツや方法を是非ともご教授願いたい。
わたしの意見としては、たまたま頼る対象が「テレビ」という媒体なだけで、実際そのテレビには老若男女たくさんの人々が関わって完成しているわけだから、つまりテレビも人間ということである。(何言ってるのって感じだけど、伝われこの想い)


これからも娘にはテレビを通していろんな物を見て聞いていろんなことを吸収して欲しいなと思う。
そしてたくさん吸収して頭や心に溜め込んだ知識や思いを一気に吐き出してくれる日が楽しみだ。
そしてそして、わたしは明日からもはるちゃんに癒されながら生きるのだ。

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