音と踊る

岩渕貞太さんのダンスWS行って、とてもよかったのでメモ
これは主観的なメモなので覚え違いあったらすみません。
(もしWSの機会がある人は受けてほしい、、!)

■まず、聞くことから始まる。今聞こえる音を探してみる。床や壁に耳を近づけたり、移動してもよい

・聞く、のは、わたしもアップ(上演前にコンディションを整えるやつ)でやっていて、移動はあまりしないけど、今いる場所で音を聞こうとすると、あらゆる音が聞こえているということに気がつける、感覚が外に開いていく感じになるのでよい

脱線するけど、本で(タイトル忘れてしまった)読んだのだけど
「聴く」ことより「聞く」ことが大事なんじゃないか、みたいなことが書いてあって
「傾聴」とかいうように、よくきくことを「聴く」と書いたりするけど
言葉通り「聞く」のはじつは結構難しい、きくことが求められるときに大切なのは「聞く」方なんじゃないか、みたいなことが書いてあった
ある種おもんぱかりとか憶測とか腹の探り合いなしに、その言葉通り「聞く」のは必要なスキルだなと思う、コミュニケーション的に
だから例えば踊るときにも、「聴く」ことではなく「聞く」ことが求められるのかも、と思った
同様に、「見る」ことも大事だと思う、そのまま見る。
演劇とかは「観る」って使ったりするけど、最近の俳優としてのわたしは「見る」がトレンド(観客の時はたしかに「観る」かも)
蛇足。

■次にリズム通り歩く、拍子の倍で歩いたり半分で歩いたり、
そのあとにあえて音から外れるようにして歩く

・この辺で、音楽は規律がしっかりして確立されており、そこから外れる、というのは、わかりやすい、というか、なんだろう、誰からみても逸脱していることがわかるというか、
音楽自体のルールが、みんな音楽には慣れ親しんでいるから、その規律とあっている/ずれている、というのが、演劇と違って前提がなくてもわかるというのが発見だった
・そしてずらしていく中でも恐らく「ノれている」ずらし方みたいのがあって、感覚的にだけど、やってて楽しかった
・岩渕さんが、リズムをとれるというのは、幼少期の訓練の賜物といっていて、
わたし的には違和感なく備わっている感覚だと思っていたから、新鮮だった。この身体は「訓練」されているんだな、、
リズムの取り方も文化圏で違うらしく、つまりリズムは文化なんだなと思った、私は日本的な(と言っても明治以後輸入され取り入れられたリズムもたくさんあるが)リズムで生きているんだなと思った
日本は間でリズムをとれるらしく(一本締めとか)それはめちゃ面白いなと思った
一本締め、掛け声はあるけど、ある意味呼吸とかが大事で
わたしは演技も呼吸大事だと思っていて、でも舞台上で息するのまじ下手なので練習中なのだけど、
意識的に使っていきたいなと思った

■音が外部にある、というのが大事、たとえばスピーカーからなってる、という話
・舞台上でかかる音楽には心理的な描写や、環境音としての書割的な音もあるけど、
それは演者やダンサーの中とか、ぼんやりした世界ではなく、スピーカーから、そこから鳴っている、というふうに外部化すると、距離をとれる
そして、距離をとれると、関係をとれるようになる

音⇔身体

これ、わたしがかねてより演技で考えている、戯曲と同化しようとするのではなく、そこから距離をとって、あくまで他者の言葉、わたしじゃない人物として演じたいというのと、めちゃくちゃ親和性があるなと思った
やはり、外部化することで、その二つで関係が取れるんだな
たとえば「この音楽で心情を表す」としか捉えていなければ、同化や違和を減らす方向の選択肢だけに、ダンスや演技は向いていくと思う
そうじゃなくて、外にある、間があることで、近づくことできるし、離れてもいいし、喧嘩しても失敗しても「関係」を持つという面ではどれを選択してもよくなる。
音楽のことあまり考えてなかったけど、なるほどと思った、
ダンスここ最近やりたいなと思っていて、それは俳優として空間と身体を考えたかったからなんだけど、
音楽と身体の関係も面白いなと思った、音って台詞よりもハッキリ外部だし、考えやすいかも、ダンス面白いよ~

■音との関係の取り方で、さっきはリズムにのる、外す、という関係をとっていたけど次のステップ
・のる/外すの間にもグラデーションがあって、たとえば、見てる人にばれないくらいさりげなく乗る、みたいなことがあって、
日常的仕草でも、もしくはほとんど動いてないように見えても、リズムを身体に落としてノっている状態というのができる
一度しっかり身体でリズムをとると、動いてなくてもリズムが取れるようになるし、小さな動きひとつでも音楽にあっているように見える、し、やっててもそういう感覚になる。
・ダンスとかって、バキバキに踊るやつを想像しちゃうから、さりげなく音楽と合わせているの、おしゃれ~
・ちょっと目線をずらすとか、瞬きとかため息とか、それだけでも音楽に乗ることは出来るし、ささやかな動きでも大きなインパクトを残したりもできる
これめちゃ面白かった、身体が鍛えられてなくても、ダンス的な素養がなくても、みんな踊れるじゃん~とおもった、超よかった

・さりげなく音楽に乗る(ばれないようにリズムをとっている)ときは、仕草が具体的になるほどばれない、といっていて、
具体的な動作や、(イスをひくとか)身体に着地する動作、(髪を耳にかけるとか)は、日常に近くて
逆に抽象的な動きになるといわゆるダンスっぽさが増すらしい
(言われてみると確かに、、、全然考えたことなかった、、、)

■やる人と見る人にわかれてワークするタイミングがあり
・いわゆるダンスらしくなればなるほど、「見られている」ことへの自意識や、これでよいのか見たいなジャッジや自意識が出てきてしまって、上手くできないときがあった
自意識変になってて「このワークでやること試せてないな」と思ったら一度やめて、もういちどはっきりリズムをとるとこから(わたし的にはダンス未満の、リズムと関係をとるための分かりやすい動き/具体的な作業)に戻ったりした
というのを感想で言ったのですが
岩渕さんが、「なったら違うなと思ったら”やめる”という選択肢がとれるのはよい、ずっとわけわかんないまま進むと取り戻せなくなるし、一回やめたら「一回やめたんだな」とみててもわかるし、それで駄目になることはないと思う(演出家/振付家に依るとも言っていたけど)」といってて、それは救われた気持ちになった
関係をとろうとして取れなくなってきたら取り直せばいい、と言うのは、至極もっともだ。本番中はじゃできないかもしれないが、稽古はそういう関係を試す場所だからな、、
・あと、自意識について、岩淵さんが「観客にもリズムがあるし、椅子にもリズムがあるし、時計にもリズムがある、意識を持っていく比重を変えると自意識を減らせる」と言っていて
すごい新鮮だった。
あらゆるものにリズムがあるというのはそういう本を書いている人がいるらしい(『リズムの哲学』とメモしてる、違ったらすみません)のだけど
この考え方だと、床にも壁にも物体にも、つまり空間のいたるところにそれぞれのリズムがあり、そのリズムによって空間が構成されているともいえそう
リズムから空間まで捉えられるのか、、、すごすぎ、、、ダンス、、、
空間と身体考えるのにもヒントになりそう、、まだ抽象的にしか捉えられてないが、、
本読まねばな、、

■WSの最後に、音以上音楽未満の音と関係をとるのをやった
これがめちゃよかった

・ここまではずっと音楽と関係をとってきたが、音楽にあわせて、リズムの取り方のグラデーション(ハッキリとる/さりげなくとる・ノる/ずらす等の間)のなかで動くと(わたしの中ではよりダンスらしく動くと)、「聞く」ことがおろそかになっていく感じがあって
それは音楽には規律が沢山あって展開を予測しやすいから(単純に有名な曲もあったし)なんだけど、
展開を予測してしまうと、身体も予測するというか次の展開を想定して動いてしまう感じがちょっとあって
それと、ダンスらしい動きになればなるほど、自分の中の身体の文脈(このWSでやってきたポーズとか、過去習ってきたダンスの経験とか、動かしやすい場所、リズムをとりやすい体の部位など)のなかでつながりやすいところで連動しながら動く感じ
だから「聞く」ことが疎かになっても展開を予測することと身体の文脈を使っていくことである程度動けてしまう

でも、音楽未満の音だと、拍子もリズムもない、間があったり、楽器ではない音があったりした
これだと、予測できないので、かなり「聞く」ことに戻れた気がした

・それと、岩渕さんが、「音を聞いてから動くと遅くなるので、先に動いてもいいです」といっていて
これがすごく駆け引き感があって面白かった
身体が動くことで、そのあとに来る音や、たまたま同時になった音が身体に引っかかってくる、
身体をスクリーンにすると岩渕さんは話していた

(スクリーンってきいて、私は岡田利規さんの「遡行」を思い出したんだけど、近いような違うような、、、まだ言葉では説明できないけど、感覚的に似ているんだろうか)

この、音が引っかかってくる感じもいいし、仕掛けたけどうまくはまらないときも「失敗した」という関係がある
この場合では音との関係の中で身体が動かせた

・音の中に具体的な日常音、(水の音とか、)が聞こえると、ふと空間の具体的なもの(電気とかドアとか)と関係が取れるような気がして、
音と関係をとる中で、自分の体も動くし、音を通して空間とも関係できるような気がした

・それと、このWSは「音”で”踊るじゃなくて、音”と”踊る」ことをやっていて
これは確かに音”と”、だ、と思った
わたしだけが舞台上にいる感じじゃないというか
音と共演している感じ、音もわたしと同じくらい舞台にのってる感じがして、それがよかった
これが自意識が減ってる感覚なのかもしれない、、

・さらに”と”って感じたのは、これまでの私の身体の文脈ではこう動かないだろうな、みたいな動きが、意識とかせずにすっとでてきて、
これは音と関係して、わたしも音の影響を受けているからだって感じた
相手の芝居が変わると演技が変わるみたいのはもちろんあるが
音でも、この音くるならこうなるか、みたいなことが、できるというのは発見だった


ほとんど箇条書きの覚書でした。
ダンスもやりたいね~

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