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感想:アイ・アム・サム

 ストーリーは、知的障碍者のサムに娘ができる。障害をもつサムの友人たち、隣人の自閉症のおばさん、そして父親に囲まれて娘のルーシーは幸せに育っていく。しかし、ルーシーが成長していくにつれて、サムはその教育を十分にできないのではないか、また、サムに遠慮してルーシーが勉強しなくなるのではないか、という懸念が起こってくる。
 裁判所からルーシーを施設に預けるように命令されたサムは、裁判に訴える。弁護士の女は、毎日を忙しく過ごし、家族ともうまくいっていない。そんな彼女がサムと時間を過ごすうちに自信を取り戻し、息子との愛情も再確認していく。結局裁判には勝てなかったが、娘ルーシーのサムを想う気持ちと、サムの愛情の強さを知り、里親はルーシーをサムの下に返そうとする。ところが、サムは里親がルーシーにとって必要であることを認識していて、これからもいっしょに暮してくれ、という結末になる。

 山場、感動する場面、サムが関係してくる人物がちょっと多すぎる。ちょっとした感動小説3つ分くらい読んだ感じ。
 1つ目は、娘への愛情。赤ちゃんをどう育てていいのか分からないサムに、隣人が手助けをし、友人が見守るといった形で、「愛が子育てには一番大切」みたいなありふれた感動話。
 2つ目は、娘を失った苦悩と、弁護士とのやりとり。ここで、子と親とは何か、教育に何が一番大切なのかを考えさせる。ここでも結局「愛が大切」ということになるが、「いっしょにいること」の大切さが、弁護士と息子の関係から訴えられている。サムの方は、知的環境と経済的環境が主に問題とされるが、弁護士の家はそれが満たされているにもかかわらず、忙しさにかまけて時間を共有できないことから親子関係がぎくしゃくしている。
 3つ目は、サムが娘を奪われた絶望から、立ち直り、ルーシーを忘れようとするが、弁護士との衝突を経て、再び正直にルーシーへの愛情を確認する場面。ここでは、親子の問題から、親としての在り方へとテーマが移る。自分に何ができるか、ではなく子どもを愛するという気持ちに素直になることの重要性を訴えかける。だから、題名もアイ・アム・サム。ありのままの自分でいいんだってこと?

 最近の映画の特徴の常にヤマ場という法則にこれも則っている。観ていて疲れる。映画の中で、ずっとビートルズのナンバーが流れているが、3つ目のストーリーの中で、「ジョージは作曲の才能がないと思われていたが、ヒア・カム・ザ・サンをつくった」「私も4人の中で彼が一番好き」というやりとりがありながら、ジョージ作曲の曲が一曲もかからないのはなぜだ?(2003年)

 なんとな~く覚えているが、主演はトム・ハンクスだったかな?そういう情報をちゃんと書けよ、と。まあ、日記に殴り書きした感想なので。また、観てみようかな。感動するっぽいので。では、また。

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