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フェニックスの火葬- 日大大麻事件・試論 1

フェニックスの火葬が何年の猶予のうちに完了するか、尋ねる必要はない。人間は本来、変化を嫌うものである。こうして私は、荘厳な儀式が儀式として、神聖なシンボルが無意味な神輿として、その生命と神聖さがすべて蒸発した後、300年以上もの間、残り続けるのを見てきた。そして最後に、不死鳥の死から誕生までがどの程度の時間を要するかは、目に見えないきまぐれな事態に左右される。

Thomas Carlyle「Sartor Resartus」より引用、筆者和訳

ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として、と

カール・マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」

現日本大学理事長である林真理子は、日本大学芸術学部を卒業後、就職難のなかで就いた職場でのいじめや人間関係への疲れからバイトをやめ、しばらくチラシのコピーライターを続け、その後参加した糸井重里の講座で
「いちばん前に座って「ハイハイ」って質問していたら、面白い子がいるってことで電話番をすることに[1]」なったという。
その後、著したエッセイである「ルンルンを買っておうちに帰ろう」が爆発的な人気を博し、一躍時の人となった。これは1982年のことである。
作家としてのキャリアを確立したのち、林が日大に戻るのは約40年後である。
後述するアメフト部の事件に端を発し、賄賂や不当な人事介入の横行し、その震源たる前理事長、田中の逮捕に伴い、林は体制の革新と日大の名誉回復を掲げ、2022年に日大理事長に就任した。
遡って林の卒業から約10年後、あるきまぐれな事態が発生する。
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映画「マイフェニックス」は、日本大学創立百年を記念し、日本大学創立100周年記念事業委員会の協力のもと1989年に公開された、東宝配給の映画である。2018年の、関西学院大学の選手へのタックル事件や、2023年の部員での大麻発見により、社会的な問題となった日大アメフト部「日大フェニックス」の宣伝の意図もあって公開された映画である。
内容は以下のとおり
「アメフト雑誌の編集部からフェニックスの撮影を依頼された富田靖子演ずる主人公の日本大学芸術学部写真学科4年生の穴山咲子と宍戸開演じるフェニックスの新入部員、RBの奥村茂との恋愛模様を背景に、フェニックスを巡る挫折と栄光を描く。」[2]
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穴山は奥村らのアメフトに打ち込む姿勢に感銘を受け、卒業制作に彼らの活躍を写真におさめ、提出することを考える。
日大フェニックスの全国大会での勝利は1955年に始まり、林の在学中である1970年代にも7回の勝利を記録している。一方このころ、林は同学部(という設定)の穴山と違い、小説の執筆を志すも挫折する日々を繰り返している
「何十枚、何百枚も書かないといけないなんて、小説って普通の根性じゃできないな、怠け者の私には書けないなと思って、挫折しました。[1]」
林は文芸学部に入るも、在学中は創作活動よりも本の濫読に興じていたという。林が作家として売れ始めたのは、自身がコピーライターという職業につき、そのコピーライターとしての職業と、プライベートをつづり始めてからである。林はコピーライターであることにより作家となる。
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画像1


画像1は「マイフェニックス」のポスターである。穴山(左)は、写真学科の学生であり、一種の仕事道具であるカメラを持つ。ところで、これが写真としてとられている以上、ここには不可視であるが、もう一つカメラが存在する。穴山らを捉えるカメラがである
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林と穴山は、同学部の卒業生でありながらその性向は上にあげたように大きく異なる。林は就職活動もさぼり、バイトに打ち込む日々を送る一方、穴山は同窓生の活躍を写真におさめんとする。
テニスサークルでかわいがられ、「あともう一つは、他校でもっといい男をつかまえておけば良かった(笑)[3]」と、あけすけもなく述べる林と、同窓生が部活に打ち込む姿に対し、「男の人ってバカみたい...だけどステキ」と述べる穴山にはある種の対称性すら感じられる。
だが、コピーライター(広義の作家)としての日常を小説に収める林と、カメラを構え、同窓生の活躍をとらえる様そのものを映画として出力される穴山、の二人に、一つの共通性が浮かび上がる。
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ヴィト・アコンチ「Seedbed」


ヴィト・アコンチの「Seedbed」は、1972年にニューヨークのゾンアーベント・ギャラリーで三週間にわたって展示された作品である。ギャラリー内には大きなスロープと、その上のスピーカーのみが存在する。観客はそのスロープの上を歩くわけであるが、スロープのそこの空間にはアコンチが忍んでおり、彼は観客の足音や声を聞きながら自慰行為に励んでいる。その際の吐息や喘ぎ声がスピーカーから出力される。
「Seedbed」において、作品の鑑賞者は被-鑑賞の存在にもなる。真の鑑賞者たるアコンチは、上げ底の下という、作品のフレームの外に潜んでいる。
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ところで、映画「マイフェニックス」において真の被写体は何だったのだろうか。それは穴山ではない。マイフェニックスのラスト、日大フェニックスが出場するアメフトの全国大会は、実際に彼らが出場した大会の映像である。当然ながら、これを撮影したのは穴山ではなく、おそらくプロの、そして学生らとは関係もないであろうカメラマンである。
「マイフェニックス」の真の被写体は、穴山とも、アメフト部員を演じた学生らとも関係のない、そしてそれまで映画のフレームに一切登場しない実際の選手たちである。
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さて、筆者が問いたいのは以下である。
林は日大理事長への就任後、一年も経ずに「日大フェニックス」の部員の大麻所持問題について、責任を追及される立場になった。
2023年現在、寮で大麻の所持を発見された日大フェニックス部員の北畠は、現状これによって全国を揺るがせているわけであるが、林は当初、これに対し「違法な薬物は寮にあったということはまだ確認されておりません」と述べている。
では、北畠の行動や大麻の存在は果たして林のフレームにあったのだろうか。筆者は三つの可能性を提示する。

1.林はここにおいて、穴山であった。運営において能動的に、改革のためにまい進する様を記者会見等では見せられていたが、北畠と、彼の所持する大麻は、「マイフェニックス」における日大フェニックス部員らの実際での活躍と同様、最後に登場する、真の被写体であった。ここで林はストーリーを引き立てるための無意味な神輿にすぎない。

2.作家にあこがれるも「怠け者」であるがゆえに挫折していたが、コピーライターとしての日常を作品にすることで成功した林にとって、北畠と彼の所持する大麻は、それ自体が自身が改革せんとする日大の旧来体制の構成要素であり、乗り越えるべき対象足りえた。

3.すべては「Seedbed」と同様の構造をもつ。林やそれを取材するメディアも含め、すべては上げ底の上の空間に過ぎない。北畠と彼の大麻はあくまでもスピーカーから流れるアコンチの吐息と同じであり、その様子を見ながら、フレーム外に潜む、のっぺりとした構造がある。
(続く)

参考文献
[1]https://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi112_hayashi/20110223_5.html
[2]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
[3]https://gakumado.mynavi.jp/gmd/articles/20820?page=3
[4]https://www.metmuseum.org/art/collection/search/266876


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