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フェニックスの火葬- 日大大麻事件・試論 2

カンブリア紀後期の(地層)から発掘された(中略)Cindarella eucallaの複眼(中略)の標本は、当時、高度に発達した視覚があったことを確認する最古の解剖学的証拠であり、両眼に2,000個以上の複眼が存在する。(彼らの)生活習性、摂食タイプ、系統にそれぞれ関連する目の分布の定量的分析から、目を持つ標本はほとんどが節足動物に属し、彼らは通常、ハンターやスカベンジャーとして活発に移動する表皮動物や遊泳動物のような形態であったことが示された。節足動物がカンブリア紀の生物群集における「良好な視覚」の進化と支配の主導権を握っていたことは、「良好な視覚」の起源と進化が、カンブリア紀初期の海洋における優先的な多様化を促進し、現代の底生生態系の基盤を形成する重要な形質であったという仮説を支持するものである。

Fangchen Zhaoら「Complexity and diversity of eyes in Early Cambrian ecosystems」[1]
より、筆者和訳、括弧内筆者追記

光と色の感覚は、以下の作用によって、網膜のどの部分を刺激しても生じる。
1.圧力、殴打、浸透などの物理的作用によって
2.電気によって、
3.麻酔薬、ジギタリス剤などの薬品によって
4.充血状態にある刺激によって
(中略)
今や光の経験は、世界を構成し、理解するための核となるいかなる安定した参照点からもいかなる起点や起源からも遠ざかってしまった。

ハルフォスター編 「視覚論」p64、太字部分筆者強調

これらの仮説が真理に近似しているか否かを確認することはできないし、その必要はない。ただ、これらにみられるこの事由と本質を確認すべきである。本章でははじめに、これらの事象を整理する。
本題に入る前に、筆者は読者に対して一つ謝らなければならない。1章でのべた「Seedbed」について、アコンチの身体は隠された構造とたとえるのは間違いである。アコンチにとって、床下で自慰行為をする彼の身体と観客の関係は、お互いに未知の、そして属性やその在り方が相対的に変化する身体同士の関係である。それらは片方が片方に対して隠された権力を持つわけでなく、その緊張により展示空間そのものが規定されていく。というのがより作者の真意に近い認識である。ここで仮説3を以下の通り修正する。
「3.すべては「Seedbed」と同様の構造をもつ。林やそれを取材するメディアも含め、すべては上げ底の上の鑑賞者に過ぎない。北畠と彼の大麻はスピーカーから流れるアコンチの吐息と同じであり、フレーム外には、別の存在との流動的な現象がある。
大筋は変わらない。私たちはとにかく、ここにおける流動をつまびらかにするために、この構造について考察する必要がある。
この構造において北畠の大麻は、果たして”何”であったのか。大麻はそれがある、という時点で様々な意味を生じさせる。なぜならばそれがある時点で、その周囲の人々はこの世の多数の人間と同様の生活を営めなくなる可能性が生じる。大麻という装置は、あまりにその観客に対して衝撃的な心境をもたらす。
さて、日大フェニックスは2023年現在、2つのincident(偶発的な出来事)をここ5年で経験している。その名の通り、不死鳥はインシデントにより「炎上」し、やがて日常を取り戻す。(であろう)
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Incident.1
2018年5月6日のアメリカンフットボールの日本大学フェニックスと関西学院大学ファイターズによる大学アメフト界の名門とされるチームの試合において起きた事象である。
日大フェニックスは関学大側のチームメンバーに対し背後から危険タックルを行った。その後、このタックルは当時の日大フェニックス監督、内田の指示によるものであったことや、日大側の対応が不誠実であることが非難され、炎上するに至る。
その後試合拒否や大会への出場停止を経て復帰後の2020年、日大フェニックスはリーグ優勝を果たすことで復活を遂げる。
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Incident.2
2023年7月19日、「日大のアメフト部員が寮内で大麻を吸っている」[3]という手紙が大学側に届き、日大フェニックス部員の調査を行ったところ、7月19日、日本大学3年生の部員である北畠のロッカーより大麻の植物片と錠剤が発見され、警察への相談に至った。
8月5日に、北畠は違法薬物所持容疑で逮捕された。日本大学公式は、同日に
 「本学アメリカンフットボール部員1名が、8月5日に覚醒剤取締法違反及び大麻取締法違反の疑いで警視庁に逮捕されました。本学はこの事態を厳粛に受け止め、深くお詫び申し上げます。
 本学は引き続き、警察の捜査に全面的に協力し、大学をあげて原因究明と再発防止に向けて全力で取り組んでまいります。薬物使用の有害性・危険性・反社会性は明らかであり、厳正に対処する所存です。
 なお、アメリカンフットボール部については本日より無期限活動停止処分といたします。」[4]
という声明を出している。
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これらの事件において、一つの相違点と、一つの共通点がある。
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相違点
日大フェニックスによる不正タックルは、カメラでとらえられ、その様子の動画がtwitterで共有されたことで、問題視された。それは映像的に記録され、映像的に拡散された。Incident1を糾弾する多くの人間はタックルという対象物を網膜を用いて確認しており、それを共有した。
Incident2の対象物である大麻は、その存在が匿名のタレコミによって周知された。その後、警察の介入により、それが明らかになった。この間、大学や警察の関係者を除く多くの人間は、この大麻の存在を見てすらいない。当然、彼らの網膜は大麻を確認しておらず、伝聞により共有された。
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共通点
タックルを行った学生と北畠は、さらには私たちはいずれもカンブリア紀以降に出生した個体であり、視覚とそれによる立体視、空間把握に依拠した運動能力を持つ。そのため、かれらは対象物と、あからさまに接触を果たす。タックルは別の肉体との接触である。大麻は皮膚との接触を経て侵入し、脳内の化学物質の状態を変容させる。
そして、これらのIncidentを目撃している私たちもまた、接触している。
ミシェルセールは、すべての感覚の根源を触覚ととらえ、これの根源性を強調する。
「皮膚のある部分がやわらかくなり、繊細になり、超感受性をもつようになったとき、その場所 にもろもろの感覚器官が生まれる。このような特定の場所で、皮膚は洗鋭されて透明になり、ぴんと張って動き、眼差しとなり、聴力となり、嗅覚となり、味覚となる… それ自体様々に変化する基体であり、もろもろの感覚器官はその形に変化した ものである。すなわち皮膚は共通感覚なのである。」
ミシェル・セール「五感」
こうして共通感覚が共有されることで、仮想的な知見が共有され構造物の建設手順や料理のレシピをはじめとした知識が共有されることとなる。
日大フェニックスについての報道も、このようにして共有される。すなわち、接触を通した共有である。
Incident1は、以下の接触をたどる
皮膚の接触→可視光線とダイオードの接触→可視光線と眼球の接触
Incident2は以下の接触をたどる
可視光線と眼球の接触→声と鼓膜の接触→視覚情報、音声情報と鼓膜、眼球の接触
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タックルと大麻は、その接触の性質と、過剰さにより規制されている。前者は大きな質量を持った存在が、一定以上の速度を伴って接触することにより生じる、その過剰な破棄力から規制されており、それを違反したため不正となる。
大麻の服用は、それが舌に接触し、その物質が体内に接触した際の化学反応による影響の過剰さから、不正となる。
如上の過剰な接触は、なぜ不正とされるのか。それは、それらの接触により身体を毀損するからである。
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アコンチの作品は、過剰な接触を否が応でも想起させてくれる。
初期の作品においては詩、つまり文字の視覚的な接触を多用してきたが、やがて彼は環境や身体に、直に接触するようになる。ある作品では自らの手を口内に飲みこもうとする(画像1)ある作品では石鹸を顔にぶちまける。そして、やがて彼は「Seedbed」において自慰行為により空間に精液を接触させる。かれの行為は、接触により、空間そのものを変容させるという結果をもたらした。

画像1Vito Acconci, Hand & Mouth, May 1970. Super 8 film, black and white, 3 minutes. Image courtesy of Acconci Studio.


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ここで、Incident2について整理する。
日大フェニックスにおける北畠はレギュラーメンバーとして活躍しており、高校時代にはアメリカンフットボールの専門誌の表紙を飾るほどのエリートであった。名門チームにおいて活躍する彼は「バカみたい...だけどステキ」な存在であり、それを支える彼の身体は、試合中にボールや他の身体との接触を経て、チームの勝利という価値を作り出す。だが、彼は大麻との過剰な接触により、その身体を毀損したことでその地位を追放された。
この過剰な接触は、新たな接触を生み出す。これまで、この過剰な接触に介入しなかった存在である日大理事長、学長の会見という接触である。(続く)

参考文献
[1]https://www.nature.com/articles/srep02751
[2]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%8F%8D%E5%89%87%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AB%E5%95%8F%E9%A1%8C
[3]https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/327046#google_vignette
[4]https://www.nihon-u.ac.jp/information/2023/08/14040/
[5]https://yalebooks.yale.edu/2016/10/05/vito-acconci-and-the-body-as-medium/

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