宇宙倫理

宇宙倫理
1.宇宙倫理とは?倫理学というジャンルから
倫理学の問題「指針の空白」
・科学技術の発展に、法や道徳といった規範が対応できなくなった
・宇宙開発は、(モノにもよるが)臓器移植やインターネット等に比べ、未だ「未知」の領域が多く、現在の我々の生活にも直結しにくい
→こうした分野から現代の倫理学を照らし合わせることで、倫理学自体を根本的に考え直せる
(既存の倫理学や思想は、地球環境上の人間を前堤としている
→アーレント、カントetc)
宇宙開発から
宇宙開発の指針決定の際、科学的経済的理由以外の参考になる
2.2つの範囲
宇宙倫理は、現在主に2つの範囲での諸問題が想定される
地球周辺(現在、或いは直近)
・宇宙空間の軍事利用は許されるか?
・事故の際、生還率の低い宇宙観光旅行を企画すべきか
・衛星画像の利用とプライバシー
・スペースデブリの責任
・電波利用
・有人宇宙開発に回す資金を、地球上での福祉に充てるべきだ(有人宇宙開発の正当性)

地球周回軌道をメインとした衛星インフラ、既存の宇宙ステーション
すでに人類にとって”環境”になっている範囲の問題
我々の生活にも密接に関わる問題が含まれる。
他天体(あるとしても十~数十年後)
・地球外生命とのエンカウント(彼らをどう扱うか?)
・企業の所有するスペースコロニーでの市民の人権
・宇宙に住む人々を環境に適応するよう改造する事は許されるか?
・重力環境の違うところで、人間を生んでよいのか?
・テラフォーミングの是非
・他惑星の環境を、生物の有無にかかわらず保護すべきか?(惑星保護)

深宇宙など、せいぜい探査衛星を飛ばした程度のまだ人類にとって未知の部分
フロンティア
生活からも遠く、現実味がいまいちない。「夢」

宇宙空間の所有権や宇宙開発企業の社会的責任は2つの範囲をまたがった問題といえるのでは?
3.有人宇宙開発の正当性
なぜ、人が宇宙へ行くのか
1.本能説(知識の会得や宇宙への冒険は、人間の本能である)
・ポアンカレ「人間の行動目的は真理の探求である」
→反論:そもそも人間は多様であり心理を探求したい人間のみではない
    レッシャー「知識は多くの人間的価値の中の一つにすぎず,科学的知識は知識の一つのあり方にすぎない」
・冒険遺伝子(DRD4-7R)の存在という、科学的裏付け
→反論:科学的理由と倫理学的理由をごっちゃにしている
 生物学的にも間違いが指摘されている
・知識の会得(人間が宇宙へ行くことで、新たな科学的知識が得られる
→反論:レッシャー「前述」
 そもそも科学的知識の蓄積は仮に実益をもたらすとしてもそれを利用する人間の需要や活用するリソースが前提である。それに合わせて配分する必要がある以上、科学的進歩は何物にも優先されるわけではない

2.人類の存続多分人類は近いうちに絶滅する 
ジョン・レスリー(『世界の終焉』1996/1998)今後5世紀間で30%
ニック・ボストロム(‘Existential risks’, 2002)今世紀中で50%
マーティン・リース(『今世紀で人類は終わる?』2003/2007)今世紀中で50%
宇宙への移住により、生存圏拡大を目指す→絶滅リスクの低減を目指す
別に人類が絶滅してもよくないか?
・絶滅は、将来世代の生命を奪う
絶滅がもたらす損失は、直接それに巻き込まれて死ぬ人々だけではなく、それがなければ将来生まれるはずだった人々の命も含み、莫大なものになる。
→反論:死んでいく人々の命と、生まれてこない人々の命を、同列に扱っていいのか?
   →子供を多く生むことが良いことになってしまう(個人の自由との衝突、人口が増えて良いことがあったか?)
・絶滅は文明の進歩を台無しにする
人類が絶滅すると、彼らが培ってきた文化、芸術、科学を進歩させられない。
→反論:それは他の問題(貧困等)を解決するよりも重要な事か?
    貧困等他の問題を放っておいてまで、進歩させる意味があるか?
・将来的な絶滅は私たちの生きる意味を失ってしまう
マーティン・リース(『今世紀で人類は終わる?』2003/2007):「わたしたちの大半は今後の行く末を気にかけているが、それは単に身内として子や孫を案じてのことではない。子孫が連綿と続く進化の鎖の一つになれず、その営みが遠い未来へとつながらないとしたら、わたしたちの苦労はすべて水の泡になるからだ」。
「人生の意味」の問題に関する特定の考え方に依拠している。この考え方によると、個人の人生に意味があるかどうかは、死後にその営みが引き継がれるかどうかに依存する。
→反論:なぜ、今生きることの意味が今後の行く末で決まってしまうのか?
いずれにしろ宇宙そのものが有限で、最終的に終わるため私たちの人生は「すべて水の泡になる」ことは確実である。


結論
・人間は一つの本能のために動く画一的な生き物ではないというのがメジャーな考え
・人類が絶滅するのを避ける為に宇宙へ移住する、という考えは意外と正当化しにくい(そもそも科学的見地から、宇宙移住が絶滅リスクの回避につながりにくいという意見もある
ex:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18076500
地下シェルターをつくった方が費用対効果は高い)
4.惑星保護
惑星間汚染(特に生物汚染)を防止する取り組みであり、惑星探査において、他の天体に由来する生物による地球環境の汚染を阻止すると同時に、地球由来の生物による地球外環境の汚染を阻止するという二つの側面をもつ。そもそも地球では?地球での「環境倫理」
①自然の内在的価値(「何かに利用できる」ではなく、「それ自体が価値を持つ」)
②自然がもたらす利益(資源)を、我々の子孫も受け取る権利がある
では宇宙では?
①地球のように、生態系が必ずしもあるわけではない(生物がいても微生物が限度だろう)
②宇宙空間には、人間が消費しきれない量の資源があるのでは?宇宙条約9条
「条約の当事国は,月その他の天体を含む宇宙空間の有害な汚染,及び地球外物質の導入から生ずる地球環境の悪化を避けるように月その他の天体を含む宇宙空間の研究及び探査を実施,かつ,必要な場合には,このための適当な措置を執るものとする」
有害とは誰にとってか?(人類、地球外生命、環境そのもの)
科学的理由
調査の際、いろいろな天体のモノがごちゃ混ぜになっていると、科学的に正確な調査ができない倫理学的理由
・COSPARの2010年のws
「地球外生命を含む生命は,内在的価値と道具的価値(何かの利益になる価値)の両方をもつがゆえに特別な倫理的地位をもち,適切な配慮に値する」
・カールセーガン
「人間は、地球上の生物は殺さずには生きられないが、地球外では殺さずにすむ」
→できないことはしなくてよい、という立場微生物に、こうした道徳的配慮をすべきか?(道徳的価値はあるか)
倫理学では、人間中心主義(人間のみ道徳的価値がある)がメイン
→動物中心主義(快楽や苦痛を感じる動物すべてに配慮する)
→生命中心主義(微生物、植物、生環境、生態系すべてに道徳的価値がある)
微生物保護は、生命中心主義だが、これには現実性がないという意見もある
では、無生物の天体では?
・COSPARの2010年のws
「地球外のものを含む無生物もまた,[生命と]同様に価値をもち,その内在的価値,美的価値,あるいは人間や地球外生命にとってのそれ以外の価値に適した配慮に値する」倫理面以外の価値(月を例に)
・科学的価値
アポロ計画などの探査
・文化的価値
月は信仰対象であった
・美的価値
景観自体を地球から観測し、親しむ人が多い
→すべて、何らかの道具的価値
では、道徳的価値は?道徳的価値(月を例に)
地球にはほぼ存在しない、人間活動の影響をほとんどうけていない自然であり、複雑な形成過程、歴史的地位等から、ほぼ生命と同じような価値がある(by Milligan)
→確かに価値はあるが、他の活動(惑星探査等)を制限する程のものか?
結論
惑星保護の倫理的議論もあまり成熟していない。
人類の経験として、闇雲な開発は避けるべきである。実践
諸問題について議論する際、倫理学では問題の解決はできないが、アドバイスや方向づけはできる功利主義
まったく異なる価値を同じものさしにのせるための方法として、幸福という価値で一元化するというやりかた。
→ただし、幸福という観点からの価値は様々であり、総合評価をする為には様々な材料が必要(倫理学上幸福であれば良いというわけではない)仮想評価法
宇宙探査や有人宇宙飛行がどのくらい人々を幸せにするかを調べるときに有益
環境経済学で使われる手法で、「~を実践するため、いくら払えるか?」を尋ね、金額としてその価値を評価する手法。生態系の保全や、温暖化防止の価値などに使われることが多い。
→実際のところ宇宙開発にはどのくらいの価値があるかは見積もらないとわからない
参考文献
・宇宙倫理学プロジェクト
~惑星科学との対話に開かれた探求として~
(日本惑星科学会誌)
呉羽真
・4.宇宙倫理学研究会:宇宙倫理学の現状と展望
(JAXA)
呉羽真1・伊勢田哲治2・磯部洋明3・稲葉振一郎4・岡本慎平5
神崎宣次6・清水雄也7・水谷雅彦8・吉沢文
・宇宙倫理学事始
https://www.usss.kyoto-u.ac.jp/etc/symp6/mizutani-iseda.pdf
伊勢田哲治・水谷雅彦
・人類絶滅のリスクと宇宙開発
https://www.usss.kyoto-u.ac.jp/etc/symp9/kureha_m.pdf
呉羽真
・宇宙倫理
現代思想 vol.47-6
呉羽真

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