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転勤族に順応しやすい人の幼少期が気になる

私は転勤族である。というか夫が転勤族なので転勤族の妻というのが正しいか?まだそこまで引っ越しは多くないが、茨城→大阪→アメリカと3カ所目だ。

どこの場所でも1年程度立てば、楽しく過ごせていて、住めば都だなあと実感している。でもこれって、もしや幼少期の環境も少なからず関係するのでは??

幼少期に住んでいた場所に不便を感じていた人って、住む場所に対する期待値が元々低いから、ある程度のところに住めれば楽しめるのではないだろうか?

コンビニ行けない問題

例えば私が住んでいた場所は、ある県の県庁所在地の隣の市でそこそこ大きかった市だったのに、コンビニやスーパーは家から歩いていける場所になかった。そして、夜は街灯が少ないので基本出歩かない。つまり、『夜に小腹が空いたからふらっとコンビニ』なんて選択肢にないのである。

大人になってから東京や大阪に住んだので、家から数分歩けばコンビニも体験できたし、人も大勢歩いているから夜中にコンビニも体験したが、それは『特別なこと』のままであった。だから、今、行きたいときにコンビニに行けないどころかコンビニの品ぞろえが微妙であっても、なんの違和感もないというか、そこまでストレスを感じないのである。

どこに行くにも車問題

現在住んでいるのはアメリカなので、どこに行くにも車が必要である。一応歩いても行けるお店とかもあるが、たくさん買い物をしたら車の方が良いので、免許を取ってからは車でしか行ってない。

でも、大阪に住んでいたときも車によく乗っていた。ママ友の中には免許を持ってなくて、週末遠出するから車が必要なときにはカーシェアリング?とかレンタカーを使うと言っていた人もいた。

私の場合、実家のある場所が車社会だったので免許を取れる年齢になったときに免許を取らないという選択肢はなかった。ずっと実家のある場所に住むつもりはなかったけど、車が身近なもの過ぎて。

もし、小さい頃から徒歩や電車、バスで生きていたら逆に車が生活の中になさ過ぎて生活のイメージが湧かないのではないだろうか。

どっちが良いとかじゃなくて、幼少期の自分の生活の中に組み込まれていたか否かで、なんとなくの自分の生活イメージができてくると思う。

若干話が逸れたが、歩いて10分の距離でも車に乗るとか、送り迎えで毎日1時間くらい車を運転するとか全く苦にならないのである。これって考えようによってはストレスになると思うのだが、慣れているからなのか全然平気である。

それともこれはたまたま私が車が好きなだけなのかなあ。幼少期に車社会に住んでいたけど、車必須な生活にストレスを感じる人、いたらこそっと教えてください。

ホームシック問題

私は全くホームシックというものを経験したことがない。いや日本恋しいはあるけど、それもホームシックに入れていいのかな?でも恋しい理由も日本食食べたい~、とか友達に会いたい~、とかだからな。

特にホームシックにならないので、前の場所との比較をすることもないし、新しい場所でただただ自分にとって居心地の良いところを見つけるだけなのでどんどん自分の好きな場所が増えて嬉しくなる。

でもこれって、家族親族友達みんな地元にいるよー!食べ物もおいしいし、買い物場所も充実してるよー!みたいなところで生まれ育ったら、そこが快適すぎて、どこに行ってもツラいとなりそうな気がする。

人の価値観はそれぞれだから知らない土地の開拓楽しい!って人もいると思うけど。

基準値が低いとすぐに基準値を超えて順応しやすい

どうあがいたって、幼少期の過ごし方というのは自分の基礎になりやすい。それは幸せだったかとか、辛い過去を過ごしたということではなくて、

  • 行きたいときに行きたい所に行けていたか(子どもの頃は本屋さんに行くにも親の運転する車必須だったとか)

  • 買いたいものがすぐに手に入る環境だったか(雑誌で見たこれ、って思ってもそのお店は県内にはないとか)

そういう些細な、我慢はできるんだけどちょっと不便なんだよな~みたいなこと。
それが基準値になってると、結構なんでも満足できてしまうのだ。仮に不便なところに行っても、「まあこんなこともあるよな~」ですぐに慣れるというか。

これは完全に個人的な見解だし、違う人もいると思うけどそういう傾向はあるかもな、と。ちょっとした思いつきをつらつらっと書いたので、今度もう少し深掘りして考えてみたいな。



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