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愛すべき友よ、安らかに眠れ。。。①

 心の整理がついたので、ここに綴っておこうと思う。愛すべき友の、安らかな眠りを心から祈る。

 私には、心の許せる友が3人いる。41歳にして3人というのは多いのか、はたまた少ないのかは分からない。けれど、ただ言えることがあるとすれば、私が心の底から心を許す人はそうそういないということ。
 私は心も体も女性だが、どうもいわゆる【女性】の集団が苦手だ。かと言って、人付き合いが苦手なわけではない。自分でいうのもおかしな話だが、人当たりは良いし、協調性もあるし、オープンマインドで生きているし。聞かれたことは包み隠さず話すので、私の周りの友人は、私について色々知っていることも多いだろう。

 けれど、本当に心を開いているかと言えばそうでもない。私は空気を読んで人に合わせるところがあるので、本音を言わずにただ笑っていることも多い。(こういう人は多いのかもしれないが。)愛想笑いと言うわけではないが、本心を隠すひとつの手段として笑っているのかもしれない。

 そんな私が心を許して、良い感情も悪い感情も全部含めて吐露できる友人が、つい先日、2人に減ってしまった。喧嘩別れをしたわけではない。むしろ、1か月前にはUSJへ遊びに行ったし、2週間前には電話で夢について語り合ったし、亡くなる前々日には誕生祝いのメッセージもくれていたし、クリスマスシーズンには再び遊ぶ約束もしていた。
 けれど、もう二度と語り合うことも遊ぶことも、誕生日を祝うこともできない。

 亡くなってしまったのだ。。。あろうことか、49歳という若さで。。。

 それは突然知らされた。友人のLINEから、息子さんの名前でメッセージが届いたのだった。私は、内容を把握できず、何度も何度も読み直した。何度読み直しても、内容が頭に入ってこない。

 一体何の話をしているのだ、息子さんは?

 10回くらい読み直しただろうか、ようやく内容を理解した。鼓動が早まり、思うように呼吸ができない。隣にいた夫に、「Kちゃんが、死んじゃった。。。息子さんから、LINEが来て。。。亡くなったって言ってる。。。」それを伝えるのが精一杯だった。

 しばらく、私は考えた。そして、思った。もしかしたら何かの間違いかもしれない。ちゃんとこの目で確かめてからじゃないと、信じることはできない。
 私は、そのLINEの事実確認をするため、葬儀へ参列することに決めた。

 【一日葬】という葬儀の形式で、お通夜がなかった。けれど、告別式に参列しただけでは友人の死を納得できないだろうし、万が一受け入れたとしても、ただの儀式として終わってしまうと確信している自分がいた。それを知ってか知らずか、息子さんから「前日のお昼以降であれば待機しているので、いつでもお越しください。」と連絡が入った。
 私はすぐさま飛行機のチケットを夫に購入してもらい、告別式の前夜に訪問したのだった。

 大阪へ向かう飛行機からの景色。いつもは、友人との再開が楽しみで、晴れ渡る空も、潜り抜ける雲の中も、または打ち付ける雨でさえも、清々しい気持ちで眺めるていたはず。嵐気に揺れる機内ですら、恐怖よりワクワク感が勝っていた。けれど、今日ほど心がざわついて落ち着かない日はない。本当に、友人の死は本当なのだろうか。信じがたい現実を受け入れる準備を、私はいつの間にか始めているのだった。

 ホテルから喪服に着替えて、足早に会場へ向かった。行きかう人々の視線を感じる。大阪という昼夜を問わず賑わう街の中に、夜であろうと喪服姿が浮いているのは分かっていた。煌めくネオンの光を纏いながら、私は黙々と歩いた。悲しみの淵から転げ落ちないように、一歩一歩を踏みしめながら。

 途中、コンビニへ寄った。友人の大好物のビールを買うために。ビールをレジへ持って行く時、遺体を前にして飲んでいる自分の姿が目に浮かんだ。少しずつ友人の死を受け入れようと、私の脳内はぐるぐるしていた。

 小さな会場だった。表には、友人の名前が書かれた看板が掲げられていた。どうやら、本当に葬儀が行われるらしい。信じがたい気持ちが、信じなければならない状況へと変わっていく。ドアを開けると、知らない女性が対応してくれた。後々分かったが、友人の妹さんだった。友人の家系は複雑で、もう身内は妹さんしか残されていない。つまり、妹さんは唯一の肉親の姉を亡くしたという訳だ。その表情はとても悲しげで、目瞼も腫れぼったい印象だった。

 案内されるがままに、棺の隣へ歩み寄った。開かれた扉をそっと覗く。恐る恐る顔を確認すると、そこに横たわっていたのは、まぎれもなく友人本人だった。いつも愛用していた口紅を引いてもらったようで、とてもきれいにお化粧をされていた。ただ、穏やかな表情で眠っているだけの友人にしか見えなかった。

 声をあげて泣いたのは、いつ以来だろうか?私は、自分の心がこれ程まで弱いものだとは思っていなかった。友人の死を目の前にし、もう、どうにも逃れられない現実を受け止め切れず、打ちひしがれていた。声を上げて、ひたすらに泣いた。友人の名前を呼びながら、何度も何度も呼びながら。流れる涙が友人にかからないように涙を拭いた。(遺体に涙がかかると、故人が安心して成仏できなくなると聞いたことがあったからだ。)

 私が一通り泣き終わるのを見届けると、妹さんは友人の義父のもとへ案内してくれた。実を言えば、義父とは初対面ではない。1回目はUSJで、2回目は友人の旦那さんの葬儀(3年前)でお会いしていた。旦那さんとも仲良くさせて頂いていた私は、ここ数年で友人夫婦を失ったことになる。そして、義父はここ数年で、息子とその嫁を失ったことになる。

 「私は、Kのことを嫁と思ったことは無いのです。」義父が言った。Kは家庭が複雑で、一般教養がなかったという。それを、息子と結婚してからは我が子同然に躾し直し、娘のように可愛がってきたのだそうだ。「私は、Kのことを❝さん❞付けしたり、敬語を使って話したりしたことはありません。『おい、お前!』『○○しろ!』というように、我が子に接するときと同じように接してきました。だから、嫁ではなく、娘を失ったんです。」涙をこらえながら、義父はそう言っていた。私は、安堵の涙が止まらなかった。義父母という家族の愛を受けて、Kは生きていたんだと分かり、悲しさの中に喜びが芽生えたからだ。お茶をいただきながら、昔話に花を咲かせた。

 本当なら、棺の前で友人を思いながらビールを飲みたかった。けれど、そんな我がままを通せるほど、私は強くもなく、悲しいことに常識もあった。だから、ビールを親戚の方に託してその場を後にしようとした。その時、買い物から友人の息子さんが戻ってきた。妹さんはまだ戻れないとのことだったが、葬儀の前に息子さんだけでも会えて良かったと思った。3年前の友人の旦那さんの葬儀の時よりもぐっと大人になり、応対もしっかりした印象を受けた。心の中で、「Kちゃん、安心して逝って大丈夫だよ。Sくんは、しっかりしているもの。」と思った。亡くなった時の状況などを聞き、しばらく話をしてから「明日も来ます。」とだけ告げ、私はホテルへと戻った。

 コンビニで、遅めの夕食を購入にした。そして、コップにビールを注ぎ、友人の席を設けて一緒に晩酌をした。飲みっぷりの良い友人だったが、コップの中のビールは一向に減る様子もなかった。私のおにぎりは、自分の流す涙で塩辛くなっていた。その味を流し込むために、私はビールをぐっと煽った。その時、夫から電話がかかってきた。会場での出来事を一部始終話すと、一緒に泣いてくれた。あぁ、パートナーがいて良かった。。。そう思った。。。そして、同時に、友人も旦那さんという愛するパートナーの元へ旅立ったのだと思ったら、それほど悲しむことではないのかもしれない・・・と思った。

 ※続きは、「愛すべき友よ、安らかに眠れ。。。②」へ。

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