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骨折にまつわるエトセトラ

2021年12月25日の東京都選手権にて右鎖骨を骨折し、手術してからの経過など46歳のリアルを以降に記載。主に自分が将来左鎖骨骨折したときの参照用。気になる手術費用や妻の反応、体力面の落ち込みなどを赤裸々に。

  • 骨折から入院、手術、退院の経緯

■12月25日 土曜日
骨折したのは13時頃。救急車にてひたちなか総合病院に搬送される。そこからかなり待たされ、実際に診察されたのは15時頃。診察といっても何もしてもらえなかった。救急隊員に三角巾をつけてもらっただけで、他のケアは一切なし。痛み止めだけわたされて、月曜日に東京の病院に行くようにとの指示のみ。保証金として1万円(!)要求される。カツアゲかよ。。。と思いながら帰京したことを覚えている。結局、この日は痛み止めと三角巾でしのぎ、チームメートに運転してもらって帰京した。(自力運転はできなかった)
帰りの車でLINEにて妻から罵られて帰るのが怖かったが家についてみれば普通だった。娘が弱っている父親を見てはしゃいでいたのを記憶している。
何気に大佐から貰った痛み止めが一番効果があった。


■12月26日 日曜日
ひたすら痛みに耐える。それ以外なにもできない。八王子近辺の整形外科を調べて、痛み止めを飲んで、サポーターをつけて耐え忍ぶのみ。三角巾だと腕の重みがダイレクトに首にかかるため、首がものすごくツライ。またことあるごとに折れている部分が動き、不意に悶絶する。

■12月27日 月曜日
八王子近辺のいろんな整形外科に電話しまくる。南部地域病院、南多摩病院、日野市立病院など。どこの病院も年内の手術は断られる。この状態でとても年越せんと必死で探す。いろいろあきらめかけたとき、武蔵野徳洲会病院の整形外科 金澤先生が施術してくださるとの情報が鎖骨パイセンこと、ファントムからタレコミが。急ぎ金澤先生に診察していただくために武蔵境に向かう。武蔵境に行くには自転車が一番いい、と痛感した。武蔵野徳洲会病院では2時間ほど待たされたが、金澤先生は手術が終わらないので診察できません、とりあえず入院してくださいと言われる。ほぼ手ぶらで出かけて、いきなり入院してくれと言われてもこちらも困るもの。

私:「今日入院したらいつ手術ですか?」
看護師さん:「手術は29日です。」
私:「入院を明日にしたら、いつ手術ですか?」
看護師さん:「手術は29日です。」

なんのために急に入院するのか意味がわからず、次の日に再度来院することを告げる。看護師さんからそれでは28日火曜日の10時30分に診察で予約しますと言われ、この日は終了。痛み止めだけ出してもらう、ロキソプロフェン。

患部を自撮り。よく見ると骨がズレてるのがわかる。

■12月28日 火曜日
朝食後、武蔵境に向かう。なんと妻もついてくると言うので、実に数年ぶりに二人だけでお出かけ。武蔵境駅前で富士そば、わかめそばを食べる。入院したら暇だろうからと間食用にカステラ買ったり、お茶のみたいからとペットボトルのお茶買ったりして病院へ。診察室へ行くと金澤先生から概要を説明される。なんとこの時初対面。とりあえず新型コロナのPCR検査して陰性証明とれたら入院ね、とのこと。PCR検査したら2時間弱待たされる。この間に妻と二人で病院内の売店前で昼食。せつない。駅前の富士そばで食べてきて良かった。妻は昼食後に帰宅、私はぼーっと院内で待機(外出許可が出なかった)。14時に入院手続きなどしてようやく入院病棟へ。部屋着に着替え、人生初の入院へ。会社の後輩から状況どうですかとのLINEがうるさいが暇なので返事してたらスマホ版のドラクエシリーズが半額ですよ、との情報が。普段ならスマホゲームなど興味ないし無視するところだが、骨折したこともあり、他人からのアドバイスは素直にうけようと思い、DQ7をダウンロード。20年ぶりにマリベル嬢の毒舌にやられたいと思った気がする。
そうこうしてるうちに看護師さんがいらして、シャワーどうぞとのこと。まだ16時にもなっていないのだが、夕方はもっと重症な方々で混むから今のうちに入れとのこと。とはいえこちらも鎖骨が痛くて服脱げないんだよねと看護師さんに説明すると、補助しますとのこと。必要になったら呼んでくださいと告げられ、シャワー室へ。看護師さん(若い女子)にチヤホヤされながら服を脱がせてもらったり着せてもらったり、天国かよ。スポーツマンだから引き締まってますね!とか新手の風俗かと思うくらい。
シャワーのあとは夕食まで何もすることがなく、DQ7が活躍した。夕食後も何もすることがなく、YoutubeみたりDQ7したりですぐ就寝。

病院内の売店前でさもしい昼食
初病院食。美味くてビビる。

■12月29日 水曜日
6時に起床、手術前なので食事制限で最後に水分だけ摂取。8時に体温とか血圧とか看護師さんが測定してるときに金澤先生がいらっしゃって、軽くブリーフィング。すぐ点滴をされ、手術まで放置。手術予定は14時だが前後する可能性ありだとかでひたすらヒマ。スマホ片手にぼーっと過ごす。16時頃ついに手術室に呼ばれ、金澤先生と挨拶し、直後に麻酔かけますとのこと。そこから一切の記憶がない。気づくと19時過ぎ。水飲みたいが体を動かすのがだるい。ウダウダしてたら気づくと朝3時。ウツラウツラしていたようだ。鎖骨の痛みはまったく消えていた。

■12月29日 木曜日
朝5時過ぎにトイレに行き、ホットコーヒーが飲みたくて自販機に。しばらくすると朝食。久しぶりの食事で喜ぶ。8時に金澤先生の往診で、退院してくださいとのこと。点滴抜いてもらったり、いろいろ手続きして退院は10時。あっさりしたものだった。手術により、困難なく右手が動かせるようになる。肩より上に手を上げれないだけで、それ以外はなんでもない。車も運転できるようになった。武蔵境駅でまた富士そばへ。右手でそばを手繰る喜びを堪能し帰宅。金澤先生から許可が出ていたので、即Zwiftにてポジション確認。上ハンは持てる、ブラケットも。下ハンは持てない。L3は出る、L4も出せる、L5は出すと鎖骨に負担がかかる、など軽く調査。その後、妻にZwiftしたのがバレ、結婚して以来一番怒られた。先生の許可とったからいいんだよ!って主張したが私が許可出してない!!!ってテンション上回って怒られた。今後の生活のためにそれ以上は黙り、ひたすら謝る。

久しぶりの食事。やはり、美味い
富士そばでカツ丼セット。右手で食べれる喜び。


■1月2日 木曜日
朝から武蔵野徳洲会病院へ。術後の経過を見せに金澤先生に診察してもらう。経過は良好で施術跡もキレイ、あとは地元の整形外科で引き継いでリハビリをとのこと。1年後にチタンプレート抜きにおいで、と言われ武蔵野徳洲会病院での治療は終了。この日から正式に妻からZwiftの許可がおりる。1月中旬の実走復帰を夢みて毎日ローラーしまくろうと決意。今年こそ富士ヒルでゴールドとりたいのでもともと新年あけたらSSTしまくろうと思っていたので渡りに船。かくして、鎖骨骨折から日常生活への復帰を果たす。

  • 体力面について

正直、トレーニングしなかった期間は1週間ほど。CTLはだだ下がりだが、自分ではまったく衰えている気はなかった。意外にも、1月2日時点で感じたのは圧倒的な有酸素能力の衰え。まず、SSTが10分しかできなくなっていることに衝撃を受けた。運動後、気道が焼けるように熱く、息も絶え絶え。
以下にエビデンスとしてZwiftのパワーグラフを添える。

参考:骨折前、12月20日。CTL110前後。


退院直後、下ハン持てず、L5出せず。


1月2日、SSTだが10分が限界

SSTが20分出せない時点で今後の計画を修正する必要を感じる。SSTで体力面を戻し、あわよくば上回るつもりだっただが、SSTどころではない。この1週間で何の能力が落ちたのか自己分析し、L3領域が弱くなっているのではと推定。明日以降、L3を叩きまくることに方向転換。Zwiftの1時間程度のL3トレーニングとえば、2018ZwiftAcademy SemiFinalだなと、プラン変更。

ZA2018 SemiFinal L3からL5までビルドアップ走

ランニング時代もとにかくビルドアップ走でベースを鍛えた記憶から、毎日ひたすらこれをやる。ビルドアップ走であれば、L6領域まで出せる。一週間ほど続けていると体力がだいぶ戻っていることと、下ハンが持てるようになっていることに気づく。ここで再びプラン変更。
いまならSST20分出せるだろうと次の日からひたすらSSTメインのトレーニングに変更。20分を3セット、週で6セットやることを目標に変更。すると1月25日前後から、SST領域だけであれば以前と変わらない程度までは戻ることが出来た。この間ほぼ実走がないため、外を走ると今はまっすぐ走れないということを実感した。

1月26日現在、一月前と比較して遜色ないレベル


今日現在、まだ腕立てやプランク、バイシクルクランチなどの筋トレは出来ない。流石に体幹部にメスを入れると体力の落ち込みが半端ない。でも一月でベース部分は戻せることを証明できたかと思う。来年の自分がチタンプレート抜くときに参考にできたら何より。



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