私がイチバンときめいた二日間
きらく荘のみんなで安平町に行った。
経緯としては、アンナさんに自分の将来の夢を話した時に「さやかは絶対に安平町に行った方がいい。」と言ってくれたからだ。アンナさんは安平町がどんな面白いことをしているのか、どんな人がいるのかを紹介してくれた。どうやら胆振東部地震での復興ボランティアで集まった若者が地域おこし協力隊として安平町を盛り上げるために、様々な活動を現在に至るまで展開しているようだった。そして、私は行くことを決めた。
安平町での経験はどんな時も感動とトキメキに溢れていた。
短くて大きな二日間
一日目は「はやきたこども園」を訪問した。
その園はこども園と学童が一緒になっているため、必然的に園児と小学生が一緒に遊ぶ。
中に入ると、陽の光と木の香りでとても温かみを感じる。そして入った瞬間に全体が見えるようなオープンな造りになっている。
校庭はとにかく広い。まじで広い。だって馬が二頭いるんだもん。この園では200人以上の子どもたちが在籍しているため、これでも足りないのだそう。しかもただ広いだけではない。田んぼと畑があり、サイロ(これからアトリエになるらしい)があり、馬とニワトリたちのスペースがあり、井戸水でたり、プールがあったり、もう、ほんとに、楽しいのだ。ワクワクした。
いよいよ次は「森」へ行く。
森で何をするのか、何があるのか、何も知らないまま行った。行く途中に不思議な葉っぱを見せてくれたり、カッコウの鳴き声は二種類あることを教えてくれた。普通に歩いてたら気づかないような小さな自然の変化に園の子どもたちは気づくことができるのだ。これは森の常連という証である。
そして坂を上がった先に見えたその「森」には衝撃の光景が広がっていた。
広大な自然に中で凍った小川の上で遊ぶ子どもたち、木とロープだけでできた様々な遊具、黒板と倒木の椅子、ポニーを連れる子どもたち、魅力はまだまだ伝えきれない。
そこで見た景色は子どもたちの日常であり、私の非日常であった。
そして私がやりたいことってこれなのかもしれないということに気づいた。
もう一つ、気づいたことがある。まず私がこの日ずっといた園の女の子がいる。その子は無口で、あまり感情がみえないような子だった。だけど、逐一私がそばにいるか確認したり、目が合うと微笑んでくれるようなとっても可愛らしい子だった。常に私の手を引いて、みんなのいる輪に入っていかず、話しかけてもたまにしか反応を示さなかった。とっても難しかった。しかしその子と出会ったことで、やはり私は小学校ではなく幼児教育や保育の分野を仕事にしたいことに気づいた。言語や非認知スキルがこれから育っていくであろう幼児が遊びを通してどんな表現をするのかや、教育者側として遊びの中でどんなアプローチができるのかを知りたいと思えた。その子は、帰り際私とサヨナラするのを頑なに嫌がり、泣きながら帰っていったのを見ると失礼ながら愛しさが溢れた。
その日の夜は、学んだことや気づいたことを書く手が止まらなかった。
二日目はまた違うプログラムで、山へ小学生たちと遊びに行った。
そこはまだ開拓中で、たくさん木が生い茂っているような森だった。そこではチームごとに秘密基地をつくった。自然と、枝を持ってくる係、配置と組み立てする係に分かれて、一番大きな秘密基地をつくることができた。手伝ってなんて一度も言われなかったしみんなまずは自分で頑張ってみようとしていたのが素晴らしいなと思った。とっても応援したくなった。最後のフリータイムでは子どもたちが終始やりたいことを夢中でやっている。とっても足場が悪かったのに走り回って遊んでいた子どもたちにはびっくりした。すごかったな。転んでも何度も平気で立ち上がる姿を初日と合わせて何度も見た気がする。本当にたくましいなあ。
「自然」ってなんて素晴らしいんだろう
出会ったほとんどの子どもたちは、自然の中で育つことで ・ヒトだけでなく生き物や植物を大切にしながら共存することができる。 ・柔軟性と豊かな感性、好奇心がグングン育つ。 ・森での遊び方を知っているから怖がらず思い切り遊び尽くす。 ・足腰も心もめちゃくちゃしっかりしている。必然的に異学年同士で遊ぶことになるため面倒見も良い。 ・ホンモノ(森・生き物など)に出会うことの大きな価値。その経験が学びや自分なりの表現につながっているのがわかる。
この気持ちを体感したとき、「やっぱり自然って必要だ。」と感じた。
「自然」は私の将来の夢についての重要なキーワードになると確信した。
どうしてこんなにスゴイ?
こんなに子どもたちが魅力的なのは周りの大人と環境の影響からでもある。二日間しかいなかった人間の感想ではあるが、安平町は教育分野に関して特に力を入れているイメージがあって、まちぐるみで子育てをしているのが強く伝わってきた。二日間とも、子どもたちだけでなくたくさんの大人が現場にいた。そして誰が保護者で誰が先生なのか全くわからなかったのだ。自然にそう見せるのってすごいなと思った。みんなで子どもをみるという環境がそこにはあった。大人がみているということは地域がみているということだ。実際、今回お世話になった方々がいるエントランスという安平町のコミュニティスペースも地域で子どもを育てていることにつながっている。世話を焼きすぎてしまっている大人や、大人に依存してしまっているような子どもがほとんどいないため、子どもと大人の距離感がかなりちょうどよかった。まちを動かす人とまちに住んでいる人が本当につながっているのがみえた。
だんだん、みえてきた
この旅で、将来やりたいことがより明確に、そして具体化されたと感じる。
「子ども主体」「まちぐるみ」「非認知能力」「自然」「経験・体験」
わたしはこれらのキーワードを大切にした場を、つくりたい。
これからもいろんな経験をして、今考えていることがより深まったり、もしかしたら全く違う方向に向いてしまうかもしれない。しかし今の私はそれでさえも、恐れるどころかワクワクしている。
内に秘めている根本的なモノは変わらない気がするからだ。今回の旅は、そのぐらぐらと簡単に揺れてしまうようなモノがしっかりと固まったような、そんな旅だった。
きっかけをくれたアンナさん、安平町のみなさん、
本当にありがとうございました。絶対にまた行きます。
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