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『ブードゥーラウンジ』鹿子裕文

 福岡市北天神地区にある(あった)「ブードゥーラウンジ」というライブハウスのあまりにロケンロールな日々を、錆びついたナイフを研ぐように、かつて確かにあったロケンロールを甦らせられ、君は一気に読み進める、それは疾風怒濤の体験だ。ローカルなハコで繰り広げられるハプニングは過剰な人間讃歌として刻印されるだろう。


 だがここで書きたいのは、読後の感想ではなく、読前の衝動についてである。なぜ私はこの本を読みたくなったのか。その問いは、さかのぼって前作『へろへろ 雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々』を読む前のそれについても当てはまる、というべきだろう。

 記憶力が弱まっているゆえもはや定かではないが(つい最近のことなのに)、私は本書刊行の情報をSNSからキャッチし、著者の存在を初めて認識し、まずは前作を読み衝撃を受け、期待感をマックスにして本書を読んだ。経緯として間違っていない、はずだ。いや、正しくないかもしれない。


 直感というしか言葉が定まらず歯がゆいのだが、これは自分が求めている本だ、面白いに違いないという感覚を持ち、読んでみたら期待に違わず、いや、それ以上の内容だった。それは二作とも共通している。


 題材に興味があるのは確かである。前作では高齢者介護の現場、そして今作では一転してライブハウスを舞台にした音楽ドキュメント。たまたま、私はいずれにも関心を持っている。


 だが、それ(だけ)ではない。最下辺であるがゆえにエッジーな人たちの集いの場を、自らもその中の孤=個として、その場所から活写する著者の独特の文章に私は魅せられている。いみじくも本書では前作誕生のいきさつとして、版元であるナナロク社の編集者が「鹿子さんの文章が好きなんです」と口説きに福岡まで訪れ、自分は雑誌編集者であり一冊の本の書き手ではないと尻込みする著者が落とされたことが明らかにされている。


 この編集者の慧眼と私の読前の衝動に、関連性があるのか、ないのか。ナナロク社の編集者は著者の雑誌編集者としての仕事としての雑誌『ヨレヨレ』に目を通していただろう。私はといえば、これも記憶が正しければの話だが、あれはいつだったか下北沢の「本屋 B&B」のZINEコーナーでモンド君のイラストに目が止まったが、そこで手に取りページをめくったかどうだが定かでない。いや、すっかりそのことを忘れていたが、SNSで著書の情報をキャッチした時に、脳裏に刻まれたモンド君のイラストが甦ったという方が正しい。


 つまり、言いたいことは、言えることは、鹿子裕文の著作あるいは編集者としての仕事と、私のリアルは同時代として交差、あるいは交換している、ということである。そこのとが何よりも愉しい。


 本書には、唯一無二の空間でパフォームされる演奏者たちの歌詞がたびたび引用される。みな、涙が落ちるほどにくだらなく切ない。ちょっとかぶれて真似をしてみる。

 もしもオイラにカネがあったら
 『ブードゥーラウンジ』を何十冊も買い集めて
 淋しそうなあいつに
 イカしたあの娘のバースデイに
 あいつにもこいつにも
 あんたにもあんたにもあんたにも
 プレゼントしてあげる

 

『ブードゥーラウンジ』
著者:鹿子裕文
発行:ナナロク社
発行年月:2020年1月1日


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