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我々は「世界」を越えるか― Ⅱ

― ペニシリン ―

人類が初めて手にした抗生物質は、青カビの名から取られた。発見の元となった青カビは、ブドウ球菌の培養実験中にシャーレに発生したコンタミ(コンタミネーション,汚染の意)であった―

シャーレの培地と観測者の話から分かるのは、「(培地という)世界」を創り出したのはもちろん、その後の経過観察と維持管理、改修、そして最終的な廃棄といった、世界への操作・介入は外側にいる観測者が行うものだということだ。つまり、内側やそこにいる存在がどのような状態・反応であろうと、それは内側で起きている現象でしかないということだ。シャーレならシャーレの、地球なら地球の、宇宙なら宇宙の、その内側で起きている現象にすぎない。内側の存在が、微妙で精緻なバランスの基に成り立っていたとしても、内側から世界をコントロールしている訳ではない。地球が太陽や太陽系の惑星をコントロールしている訳ではないだろう、何より、シャーレの内の世界を創るために宇宙が出来た訳ではないだろうから。

地球環境を語るにあたり、環境汚染・環境破壊の問題はよく取り上げられる。一つ一つ挙げていくと、オゾン層の破壊、温室効果ガスの増加、それによる温暖化、開拓による森林とその地域の生態系の破壊、マイクロプラスティック汚染、種の大量絶滅……等がある。また、近年メディアで取り上げらるようになった外来種問題もその内の一つだろう。

「これらの問題は人の活動により引き起こされたものだ。私たちには責任が有る」「こういった、環境への影響を減らしていこう。環境を改善していこう」「未来のために地球環境を守ろう」

確かに、これらの現象は人の活動により引き起こされたと言えるだろう。だが、その責任というのは、一体、何に対しての責任なのだろうか。

これはよく、慎重にならなければと、私は考えている。何故なら、環境改善とは即ちコントロールだからだ。私たちは、世界をコントロール出来ると思い込んでいないだろうか?シャーレの内の存在が、「もっとああしたい、もっとこうしたい」と、自身の欲望の下、シャーレそのものを自分たちの都合のいいように変形させたとしたら―

内側の存在が世界を本当にコントロール出来るとしたら、その存在は世界を越え、そして世界は既に壊れているのでは―

忘れてはいけない。持続可能な社会、次世代の為の環境保護、それらはヒトという一種の生存戦略であり、それもまた「欲望」であることを―

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