レポートには年月日・タイトル・著者名を

 本稿は大学の授業レポートの書き方に関するもので, 筑波大学の学生に向けたものです。授業レポートには主に以下の3つの目的があり, 「授業レポートの書き方」はこれらから導かれます。

目的1: 授業・学習の記録・証拠。これをもとに成績評価がされます。成績や単位に疑義が生じた時には交渉カードとして使うことができます。皆さんの教育資金を提供してくれる人や, 就活時の面接員に「学生時代にこんなにしっかり勉強をしました」と言って見せるという使い方もできます。筑波大学の教育実践の一次資料として, 筑波大学の評価や教育法の研究・改善にも役立つ可能性があります。

目的2: 授業内容の理解を深める。自分で調べ, 考えたことを, 客観的なことばで言語化することにより, 新たな気づきや深い理解が得られます。

目的3: 学んだ内容を教員や同級生・後輩と共有する。皆さんの学びの成果が言語化・可視化されることで, 教員は授業の効果を把握し授業改善に利用できます。同級生や後輩に共有することで彼らの学びを助けることもできるでしょう(コピーはダメですが)。

 大切なのに多くの学生が見過ごしがちなのは目的1です。レポートを武器(記録・証拠)として, 自分の価値を高めたり自分の立場を守るという発想です。本稿ではここに重点を置いて考えます。結論として言いたいのは,

  年月日・タイトル・著者名をしつこいくらいに明記しよう

ということです。なんだそれだけ? と思うかもしれませんが, これを規律として学生に身につけて貰うのは大変むずかしいのです。ある授業で周知徹底しても, 別の授業では実践されないことが多いのです。学生にとって「年月日・タイトル・著者名を書く」はあくまで「そのように言う先生(私とか)の授業では」という限定条件下でのみ有効であり, その外では無効化してしまうのです。意義や理由を納得していないからでしょう。

 年月日・タイトル・著者名は文書の同一性・信憑性を確保する必要条件です。これらのいずれかが欠けている文書は扱いに困るのです。たとえば月日が書いてあっても年がなければ, どの年度のものかがわかりません。教員や教育内容は年度によって違います。年度の情報が無いと他の年度のものと区別したり比較したりができません。過年度のシラバスをチェックすればどの年のものかわかるのでは? と思うかもしれませんが, それは話が逆です。年度がレポートに明記されており, その年度のシラバスと突き合わせて, 確かに内容的に整合しているな, と確認されることでレポートの信憑性が上がるのです。
 
 年月日を23/5/6などと書くのは愚かです。これは
 2023年5月6日
 平成23年5月6日
 2006年5月23日
など, 複数の解釈ができます。このような曖昧な年月日の記載は社会的に多方面で慣習的に行われていますが, 明らかに悪習です。レポートを武器として使うとき, このような曖昧さは弱点になりかねません。

 ではどう書くのがよいか? 私は2023年05月06日とか, 2023/05/06のように書きます。月・日が1桁の場合は0を入れて形式的に2桁にします(ゼロパディングといいます)。こうすることで複数の日付が計算機上では自動的に順番に並びます。日付が前後して見過ごされるというリスクを減らすことができます。もっときちんと書きたい人は, 国際標準であるISO8601を見てみましょう:

 タイトルは, 授業科目名や課題名を, 一字一句違えずにそのまま書くべきです。たとえば「基礎数学レポート03」と題された課題について, そのレポートのタイトルを
 「基礎数レポート03」(「学」を省略)
 「基礎数学課題03」(「レポート」を「課題」に言い換え)
 「基礎数学レポート3」(わざわざゼロパディングされていた「0」を削除)
などと書くのは賢明ではありません。「課題名が微妙に違うから, その授業のレポートとは認められないねえ」といういいがかりをつけられる隙を作っているのです。そんな意地悪でなくても, 見る人は一瞬, 判断に迷います。コンピュータが処理する時は, 授業名や課題名が微妙に違うことで, 処理から外される可能性があります。

 何かと何かが連動しているとき(今の話では授業のレポート課題と, その課題に対応して作成提出されたレポート), その連動の鍵をもたせることを「紐づけ」といいます。紐づけを切ってはいけないのです。だから紐づけの鍵になっている言葉や記号はそっくりそのまま真似て同じにすべきであり, 全角と半角や大文字と小文字の間ですら変えないべきです。そこは創造性や個性や好みを発揮してはいけない部分です。創造性や個性や好みを発揮したいならレポートの内容でやってください。

 ここまで読めば, 著者名を省略するのがどれほど危険かわかるでしょう。「素晴らしいレポートだね。でも本当にあなたが書いたのですか?」と言われたらおしまいです。人に見せる前に書き加える? 相手の手に既にレポートが渡っていて, そういうチャンスがない場合はどうしますか? 著者名には学籍番号まで書きましょう。そうすると同姓同名の人と区別できるし, 読み手が誤読した場合も反論できます。

 提出したファイルのファイル名に書いたから本文には書かなくていいや, と考える人もいるでしょう。出題者がそれでよいというのならよいでしょう。しかしファイル名は書き換えられる可能性があります。ファイル名の中の日本語の文字は文字化けして読めなくなる可能性もあります(最近は減りましたが)。紙に印刷したらファイル名は印刷されない可能性が高いです。何より, 読者がレポートをぱっと見た時に, 「えーっと, この著者と日付はどこに書いてある…?」といって探さねばなりません。

 大学の学習管理システム(manabaなど)で提出した時点で, いつのどの授業の課題かわかるし, 誰が出したかもわかるじゃん、と思う人へ。過去のレポートや別の授業のレポートを間違って提出する人もいるのです。そのとき, 教員は「これはどうやらこの授業のレポートではないかもしれない… 」となります。そのとき, 日付やタイトルが明記されていれば「ああ、単なるミスだな」と思いますが, そうでなければいろいろ注意深く調べねばならないし, その結果, 過去のレポートだとわかったら, この学生はわざと日付を書かずに過去のレポートを出してきたのかもしれない…と思う可能性があります。

 そのようなトラブルの可能性は, 皆さんの想像の外側にたくさん存在します。それらをひとつひとつ考えて潰すよりも, きちんと年月日・タイトル・著者名を書くほうが楽で効率的ではないですか。

 レポートは著者の知性や人柄を表します。きちんと書かれたレポートは, 書き手がしっかりした規律や合理的思考力を持った人物であることを読者に伝えます。そう考えると, ここで述べた教訓は授業レポートだけでなく, 多くの文書について言えることだと気付くでしょう。

 年月日・タイトル・著者名が揃った文書を作って提出することで, 皆さんは「ああ, こういう人がうちの研究室/会社に来てくれるといいなあ」と, 多くの教員や採用担当者を思わせることができます。そうなった結果, 研究室選びや就活では, 皆さんは「選ばれる側」から「選ぶ側」へ少し移動することができるのです。

 ものごと(この話ではレポートの書き方)には, ああすべしこうすべしという話がたくさんありますが, その多くには理由があります。一見無意味に思えるものも, 何か意味や意図があってそうなっているのです。細かい指示やガイドラインを文字通り受け取ってそのまま従うのではなく, その意味や意図に気づき, それが適切で合理的かどうかを考えることが大事です。そうやって学んだことは, 他の場でも応用が効きます。


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