背理法の間違い方

 数学の証明で「背理法」というものがあります。これを間違える人(そしてその間違いに気づいていない人)がたくさんいます。次の問題で考えてみましょう:

問題: 背理法を使って以下の命題を証明せよ: n, mを自然数とする。nmが奇数ならば, n, mはともに奇数である。

(正しい答)nmが奇数でありながら, n, mどちらかが偶数であると仮定する。 今, nが偶数なら, n=2kと書ける(kは適当な自然数)。するとnm=2kmとなる。 kmは自然数だから, 2kmすなわちnmは偶数である。同様にして, mが偶数のときもnmは偶数である。 いずれにしてもnmは偶数になり, 矛盾する。従ってn, mはともに奇数。(証明終わり)

これを「n, mはともに偶数であると仮定する」と始める人がいますが, 間違いです。「AかつB」の否定は「Aでない, またはBでない」です。この間違いはわかりやすいので, 多くの人はすぐに気付くし納得してくれます。

困るのは, 「nmが奇数ならば, n, mのどちらかは偶数だと仮定する」と始める間違いです。多くの人がこの間違いをするのですが, それが間違いであることに気づいていません。これは「ならば」がダメなのです。ここは「で」とか「でありながら」と言うべきなのです(あるいは何も書かずに, 「n, mのどちらかは…」から書き始めてもよいでしょう)。この微妙な違い, わかりますか…?

背理法は結論の否定から入ると言います。そのとき, 前提(「ならば」とそれ以前の部分)は形式的にそのままでよいかというと, そういうものではありません。

「AならばB」の否定は「Aならば『Bでない』」ではなく, 「Aでありながら『Bでない』ことがある」です。たとえば「茨城県民ならば納豆が好きだ」の否定は「茨城県民ならば納豆は嫌いだ」ではなく「茨城県民でありながら納豆が嫌いな人が少なくとも1人はいる」です。

例として「筑波大関係者ならばサッカーはうまい」という命題(?)を証明(?)しましょう。いま, 「筑波大関係者『ならば』サッカーは下手」と仮定します。ここで三笘薫選手(体育学群卒業生)を考えましょう。筑波大関係者ならばサッカーは下手と仮定したのだから, 三笘薫選手が筑波大関係者である以上, サッカーが下手であるはずです。しかしそれは事実に反し, 三笘薫選手はサッカーが上手です。つまり矛盾します。だから「筑波大関係者ならばサッカーはうまい」のです!!??

この結論は明らかにおかしいですよね。どこがおかしいのでしょう? 背理法の入り方がおかしいのです。仮定すべきは「筑波大関係者『でありながら』サッカーが下手な人『がいる』」です。この仮定は矛盾を導くことができません。なぜなら, 筑波大関係者には実際にサッカーが下手な人が1人はいるからです(私がそうです!!)。

このように茨城県民とか納豆とかサッカーのようなイメージしやすい文章なら「なるほど確かに」と思うでしょう。しかし学問はイメージしにくいものも扱います。そのような状況でも, 正しい言葉で正しい論理を組み立てることができるか? そこが問われるのです。

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