私と宝塚歌劇団

(注意)所詮、渦中の関係者の人の気持ちは棚にあげた第三者の自分勝手な気持ちの羅列


関係でいえば「舞台」という商品を売る店とそれを観に来た客

宝塚歌劇団が好き!というけれど今回のことについては、この表現は正しく無いと思うけれど当事者意識みたいなものは特に無い。お気に入りの好きなものが私の見えないところで汚れてたなぁ、というくらいの気分だ。
私は私設のファンクラブに入ってないので、タカラジェンヌのすぐそばに居たわけでもないのもある。
本当に舞台を見に行くだけの観客だ。
正直にいえばあまりにも他人事すぎて、食品会社で産地偽装があって「全然気づかなかったし、私自身には何も不都合なかったから良いか〜」くらいの気分なのである。

私は宝塚に夢を見に行っている。その夢の裏側にある現実は目に入れないようにしていた。
年齢だとか本名だとか、そういう一切のプライベートな話が見えないような劇団の方針が好きで、下世話なことを言う人たちはシャットアウトしていた。X(旧Twitter)でもタカラジェンヌの名前で検索しないようにしていたくらいだ。
自分と同じヒトではないという意味で「妖精の煌びやかな舞台」を観に行くという体験が好きなのだ。

だから今回のことで裏側でこんな悲しいことがありました、と言われても私が劇場に行かなく事はない。
現役の生徒さんが亡くなった。イジメがあった。
これはあってはならない悲しいことだ。それはわかる。
現実の嫌なことを忘れるために行ってるのに、それ以上にキツイ現実が透けて見えてくるのは嫌だ。なんていうと嫌に感じる人いるんだろうなぁ…

これから関係者として噂されている生徒さんだけでなく、宙組全体を少しばかり色眼鏡で見てしまうことも辛い。
96期の事件を聞いた時も、96期の生徒さんの活躍を耳にするたびに「ああ、でもあの期か…」となってしまうことはあった。
噂されてる生徒さんを微妙な目で見てしまうかもしれない。
名前の出てなかった生徒さんがこれから辞める時も、もしかして?と思ってしまうかもしれない。
ご贔屓のいる組なのに、もしかして?と思いながら見るの嫌だなぁ…

共通の目的、共通の敵

イジメに関して言うなら、嫌な言い方だけど「同じ目標を持つというものの中で、ネガティブの最たるもの」である。
「みんなで成功させようね!」という曖昧なポジティブな方向は、本当に同じ方向を向いているかわからない部分がある。
「共通の敵」を作り共有する、というのは確実に目に見える形で全員同じ方向を向いているのだ。

なぜこんなことが言えるかというと、大学のサークルの時に経験したからだ。
そこは十人程度のお遊びサークルだったわけだが、私がいたのが創立の周年記念に当たる年で、OB OG の特に口出しが多かった。
私も後輩もまだ入って1、2年なのに、サークルに大して思い入れないにも関わらず、大きなイベントをしなきゃいけない。
しかも頼りになるはずの先輩はその上の代がうるさかったせいもあって、まさかの軒並みやめてギリギリ1人だけ連れ戻せた状態だった。
そんなやる気のない中で全員が同じ方向を向けたのは、呼んでもないのに口を出し手を出し全てをしっちゃかめっちゃかにして去っていく「その上の代」にあたるOGだった。なまじその人が仕事を辞めたニート状態だったので、週一でくる。
そのOGへのヘイトのおかげで、十人が変なまとまり方ができたのだ。

個人的な見方をすると、宝塚でやってはダメだったのは同じ舞台に出る人にヘイトを集めてしまった事だと思う。
せめて、各組にいるというプロデューサー(?)に「本当にあの人、現場のことわかってないよね〜」と言う形でヘイトを集めればよかったんだと思う。
立場で言えば、歴が違っても向こうのほうが上だったりするのかもしれないし、そうなると直接手を出すこともないし…。
そんなタンクみたいな人、作らない方が心の健康にも良いんだけどね。

結論(私の中の)

正常化を!というのは第一だけど、とりあえず目に見える形で何かするのだけはやめて欲しいかな。
かと言って隠蔽体質なのは一番ダメだけど。
あとこれからも宝塚の舞台を見続けていくつもりの私としては、離脱した人がいたらチケット手に入りやすくなるかな、とか余計なことを考えてたりする。

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