しずく

五十路、手放すこと見つけること遺すこと

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五十路、手放すこと見つけること遺すこと

最近の記事

涙の出る夕方

更年期障害真っ只中、絶賛治療中であるものの、メンタルにはさほど影響しないという謎の自信がありました。彼とのことや仕事のこと、多少の呼び水はあったものの、仕事帰りの車の中で突然涙が出てきた時には認めざるを得なかったよね。 遠くで心配することしかできない(言い方の棘!)彼が、たまには仕事休んでゆっくりして欲しいと呟いた時も、無責任だと思ったし根本的な解決になんてなるわけないと一蹴した私。でも心のどっかに残ってたんだろうな。翌日の朝、思い立って会社を休んで1日ベッドでクィア・アイ

    • 許すこと

      他人を許すことで前に進むフェーズにはいったのかもしれない。 同じ問題でぶつかることの繰り返し、こんなことを続ける関係って意味あるのかなと恋人を責め立てた。私は自分を被害者にしたくない、そうして後悔するのは死んでも嫌だ。そう思うから、私は突き詰めて全てを明らかにしないと気が済まないのだろう。 それをしない人たちは怠惰なのだと思っていた。流されるなんて弱いだけだとも。だけど、その先があるのかもしれない。大切なものを守り切ろうと思ったら、突き詰めず許すことも大切なのかもしれない

      • 50歳のわたし

        このままダラダラと流されるままに生きていくのは嫌だな。50代に突入するまで1年を切って、やけにそんな焦燥感を覚えるようになった。 その思考そのものを頭の中で浮かべては消してしまうのが嫌で、また書くことを初めて続けたい。 私が思う最高のコンディションで次の年代を迎えられるように、今は手軽なところからダイエットに励んでいる最中。食事の管理をしっかりするようになって体重はもちろん、体調も変わってきたのを感じる。自分の思い通りにいかないこと、相手もあること、そんな大問題たちの前に

        • 鉄壁

          今日は父の命日。 ちょうど去年の今日、私は子供と隣県に女王蜂のライブへ行っていた。最後の曲は「鉄壁」で、なぜかいつもより強い余韻にふたりで浸っていた。 会場を出た時、母から電話がかかった瞬間に悟ったと思う。入院していて闘病中ではあったものの、夜ご飯を食べてふっと風のように逝ったというのは自由人だった父なりの美学のような気がしたし、みんなを穏やかに導く最期だったように思う。 私は性格が父とよく似ていて、女の子だったこともあり弟より何倍も可愛がられていたと思う。父の思考も嗜好