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【美術ブックリスト】 『サイエンスコミュニケーションとアートを融合する』奥本素子 編

サイエンスコミュニケーションとは、科学についての対話や合意形成を成り立たせるコミュニケーションのこと。例えば原発について、ワクチンについて、ヒトゲノムについてなどは、専門家だけでなく広く一般の合意にもとづいて決定されるべき事案であり、それには専門的な知識を多くの人びとに理解してもらうための告知や説明が前提として求められる。
本書はそうしたサイエンスコミュニケーションに、アートを活かす方法を、実例を豊富に挙げて探っていく。

冒頭でアートとは現代アートを主に取り扱うことが宣言される。これまでの分かりやすく親しみやすいサイエンスコミュニケーションから一歩進んだ新しいサイエンスコミュニケーションのあり方を考えるのが目的だからという。
第1章はサイエンスコミュニケーションの歴史と展開。その中でアートがもつ「拡張」機能に注目する。より広いひとびとの関心を集める(参加者の拡張)、多分野・多文化を超えた主題を提示する(内容の拡張)、アートから受ける刺激によって受け手に自分の常識や感性や意識について疑わせ、考えさせる(主体性の拡張)の3つである。
第2章は科学技術とアートとの3つの接点をあげる。
接点の1つは科学技術がアートを利用してイノベーションを起こすこと。1965年にアメリカで設立されたE.A.T.にジャスパー・ジョーンズ、ウォーホル、ラウシェンバーグが参加したり、67年にMITにできた先端的視覚研究センターが挙げられるが、いずれも短命に終わった。のちに90年代に生まれた科学とアートとのコラボ例として、MITメディアラボ、ロンドンのアーツカタリストなどのほか、オーストラリア、UCLA、チューリヒ、東京、京都の大学の試みが挙げられる。
接点の2つ目はアートが科学技術を取り入れた表現をすること。フェルメールがカメラを使っていたとか、マレーヴィッチが幾何学を取り入れたとか、ウォーホルが印刷技術や商業デザインを利用したとか。テクノロジーアート、ビデオアーチ、バイオアートもここで扱われる。
接点の3つ目は科学の教育装置、つまり従来のサイエンスコミュニケーション。科学館でのアート利用である。あるいは万博の展示。ダブリン大学のサイエンスギャラリーや筑波大学や京都大学が実施した展示も紹介される。著者が所属する北海道大学サイエンスコミュニケーションのアーティストインレジデンスの実例も。
そうしたサイエンスとアートのコラボによって印象が変わり、伝達の達成度が上がった可能性があるのでは、というところで終わる。
第3章はバイオテクノロジーとアート。
第4章は社会問題や地域の課題とアート。
第5章は科学教育にアートを活用する試み。
第6章はサイエンスコミュニケーションとアートの未来についての課題。
ここまでが概要。

ここからが感想。
まずカタカナと漢字が多い。
アートといっても美術、音楽、演劇、舞踊、文芸と様ざまあるので、なぜ現代アート(といいつつ実際にはもっと狭くて現代美術)に限定するのかが疑問だった。
サイエンスの知識をアートで伝えるということであれば、例えば宮澤賢治や寺田寅彦、池澤夏樹らの文学作品、海洋生物についてしゃべりとイラストで啓蒙活動を続けるさかなクンの仕事を思いだす。彼らが面白いのは、彼らが科学的探求者でありながら詩や文、話芸やイラストなどに落とし込んで作品にしてくれるからだ。複数人で行うものもあるがオーケストラでは作曲者や指揮者、演劇では劇作家や演出家が、映画は監督が統括する。アートは一人の人間がやるから全体がまとまり、だからこそ伝わるのだと思う。アートは直感的表現でありつつ意味の塊であり、多様な解釈も可能ないわば有機体なので、それとサイエンスが結びついても、それなりの作品になった。

これまでのサイエンスコミュニケーションではない、これからの新しいサイエンスコミュニケーションを模索したいということなので、それには現代アートが有効と考えるのは理解出来る。ところがアートが常識的な表現、意味、解釈を覆すことで現代アートとなり、それ自体が「分かりづらい」「意味不明」なものなので、それとサイエンスとをつなぐには相当の才能が必要だと思う。
本書にはさまざまな大学や研究所や科学館などの機関が登場する。その取り組みの試行錯誤と積み重ねは貴重だと思う。ただ結局作品化するのは一人の人間なので、そうした才能の登場あるいは育成こそ必要だ。

また結局はアートとして見られるということは、作品が作品として魅力的かどうかという視点がなにより大切だ。アートは科学的視点以前に、まずはアートとして楽しめないと意味がない。実際の作例が章ごとにコラムにある。あいちトリエンナーレ2019の作品解説も、ドイツのドクメンタ(本書ではドキュメンタと表記される)のレポートも、その魅力や面白さや会場にいるワクワク感を伝えることができれば、それ自身がもっといいコミュニケーションになったと思う。

サイエンスコミュニケーションとアートとを融合するのならば、まずは当事者であるサイエンティストやサイエンスコミュニケーターがアーティスティツクな感覚を陶冶することから始めなければ進まないのではないか、でなければいつまでもアーティストに「外注」することになるのではないかと思った次第。カタカナ多いね。

追記
どうすればアーティスティックな感覚を陶冶できるかについては、別のところに書いたので繰り返しませんが、ようするに鑑賞者でなく、制作者になることだと思います。

‎ 272ページ A5判 5500円 ひつじ書房

【目次】
序章 奥本素子
 はじめに
 サイエンスコミュニケーションの機能
 議論の前提と展開について

1 サイエンスコミュニケーションにおけるアート 奥本素子
1.1 サイエンスコミュニケーションとは何か?
 社会に埋め込まれている科学技術
 サイエンスコミュニケーションの本格化
 知識を超えるサイエンスコミュニケーション
 サイエンスコミュニケーションの現代的展開
1.2 アートを用いたサイエンスコミュニケーションの拡張
 社会における科学とアートの捉え方
 自律と依存のパラドックス
 参加者の拡張
 内容の拡張
 主体性の拡張
Column 伝統芸能と科学:タルチュム 朴炫貞

2 科学技術とアートとの接点 奥本素子
2.1 科学技術とアート
 3つの動機
 研究開発を動機とした科学技術とアートの接近
 アートにとっての科学技術
 サイエンスコミュニケーションを動機としたアートとのコラボレーション
2.2 科学をアートで伝える試みを評価する―Resonance
 アートを通して何が伝わる?
 アートのコミュニケーション機能を検証する
 実験1 アートがもたらす印象
 実験2 アートの伝達効果の検証
 実験によって検証する取り組みとその限界
Column テオ・ヤンセンプロジェクト 朴炫貞

3 バイオテクノロジーとアート 室井宏仁
3.1 バイオ・アートとは
バイオテクノロジーの歴史
DNAを「読む」―DNAシーケンシング
細胞培養の研究史
バイオテクノロジーを利用したアートの誕生
3.2 DIY バイオとバイオ・アート
バイオテクノロジーを「ハック」する
ロブ・カールソンと「ガレージ生物学」の勃興
オープン・バイオラボとアーティスト
現在のバイオ・アート最前線
3.3 バイオ・アートと社会システム
バイオテクノロジーをめぐる法律―カルタヘナ議定書以前まで
新たな問題―生命を「創ること」
「カーツ事件」とその前日譚「Gene(sis)」展
バイオアーティストを育てる試み
Column バイオ・テクノロジーに触れる3日間から:YCAM InterLab Camp vol.3 Personal biotechnology 朴炫貞

4 社会に埋め込まれたアート 奥本素子・仲居玲美
4.1 アートから考える社会的課題への取り組み
 ソーシャリー・エンゲイジド・アートとは
 アートが向き合う社会課題
 何をもって参加というのか、という議論
 参加のきっかけをどう生み出すのか
4.2 地域の中でのアートの役割
 アートプロジェクトとは、芸術祭とは
 都市型芸術祭と地方型芸術祭
 芸術祭に関わる人
 芸術祭の構造的な問題と持続可能な取り組み
 地域×アートから見る、地域×科学に対する示唆
4.3 アートの空間における科学的対話―差の湯の会が明らかにしたもの
 アート空間で引き出される双方向の対話
 茶室空間でのサイエンスコミュニケーション
 差室でのコミュニケーションの分析
 アートの空間はどのように市民の発話を引き出したのか
 市民の見方が変わる瞬間
 サイエンスコミュニケーションの対話におけるアート空間の意義とは
Column 地域をつなげる、世界を育てる:ドキュメンタ(documenta)15から見る現代アートと連帯 朴炫貞

5 アートをサイエンスコミュニケーション教育につなげる 奥本素子
5.1 STEAM:アートを用いた理系教育
 STEAM 教育とは
 アーティストの思考プロセスを活用したSTEAM 教育
 アーティストと研究者が実施したSTEAM 教育の実践
5.2 サイエンスコミュニケーター養成講座におけるアートの導入
 可視化を学ぶ
 展示を通した学び
 作品批評を通した学び
Column あいちトリエンナーレ2019の作品批評① それは革命か? 分断か?:バイオテクノロジーの民主化がもたらすもの 室井宏仁
Column あいちトリエンナーレ2019の作品批評② しなやかに問いかける 仲居玲美

6 これからのサイエンスコミュニケーションとアート 奥本素子
6.1 変革期における
 サイエンスコミュニケーション
 科学と社会の大きな変化
 フォーラムとしての展示
 ライフスタイルの変化を支援するデザイン
6.2 コミュニケーションを終わらせない
 問いとしてのアート
 未来のためのアート
 これからの共創
 終わらないコミュニケーション、解決しない対話
Column 科学技術コミュニケーション教育で紹介した作家リスト 朴炫貞

結び:道具的な関係を超えるために 奥本素子
謝辞 奥本素子
参考文献
索引
執筆者紹介

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