『夜と霧』、山下達郎、生活者

ヴィクトール・フランクルによるアウシュビッツ収容所の体験記『夜と霧』に、自殺の危険のある収容者にフランクルが言葉をかけて思い止まらせるくだりがある。生きる意味を失った人に対して、フランクルは発想を逆にする。「生きることからなにを期待するかではなく、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題」と語る。

それを聞いた収容者の一人は、生き別れた子どもに未来で再会することを夢見、また一人はやり遂げていない仕事が自分の復帰を待っていることを心の糧にすることができ、生きる希望を取り戻した。
この本の原題「それでも生きることにYESと言おう」を象徴するくだりである。

このこととニューアルバムをリリースした山下達郎のインタビューが私の中で重なった。彼は一貫して、真面目に誠実に生きている人が生活の糧にしてもらうために音楽を作っていると再三語っている。スターになりたいのでも、海外進出したいのでもない。だからマスメディアには出ないしサブスクもやらない。音楽の質を守るため武道館やアリーナなどの大規模会場でコンサートはしないが、必ず全国の50以上をツアーで回る。同世代の生活者には、都会に出てきて田舎に帰って就職、結婚した人もいれば、そもそも地方に根付いている人もいる。東京と大阪だけでやっても、「音楽をやる意味がない」とまで言う。それほど生きることにとっての音楽というポリシーは堅い。

そんな音楽で食っていくためには、レコードを売らなければならない。このシンプルな理由で、山下達郎は曲を作り、レコードができたら必死にプロモーションし、ラジオや雑誌で思いを語る。

美術を志す人たちはどうだろう。
なんのための、誰のための作品制作なのか。美術で食っていくために制作以外に何をしているか。長く活躍するヒントがきっとそこにあると思う。

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