ステレオタイプを持たないというステレオタイプーRPG思考のススメ

友人と話していて、世論(というか私)がどうしても社会主義(昨今では特に中国)の一党国家に対して極めて強いステレオタイプを以て判断しがちだ、という話になった。

今の世の中では民主主義、多民族主義、平等主義が絶対的な善として扱われることが既に定型化しているが、そうした主義主張が始まったのもそんな昔の話ではないし、それを以て反対側にある社会主義や単民族主義、エリート主義をわけもなく否定するのは、それこそステレオタイプ化された状態で思想的には非常に危ない。

ある特定の主義主張がアウト、というのではなく、それらを検討することなく、或いはある特定の思想に影響されていることを意識せずに肯定してしまうことがアウトなのだ。

大学で学生と接していても、知識(歴史や思考法)を得るに越したことはないが、それよりも知識を動員して思考停止に陥らない方法を身に付けて欲しいと思う。

その上である程度偏った主観的な主義主張を持つことはとても健全だと思う。私たちはそれぞれが異なった人間関係、社会システムの中で生きている訳だから、全員が意見の一致を見るということ自体がそもそもおかしい。であるならば、徹底的に自分なりのステレオタイプを追求することで思考停止を避けることもできる。


この過程は、文化人類学の人と話していると「参与被観察」の過程と言えそうだ。自分も参与者として活動に参加しながら、かつ外からの視点で以て自分を客観的に見つめる。自分という存在はいつも主観的であることを免れない訳だから、それならいっそその主観的活動を徹底してしまい、でも同時に俯瞰的にそれを観察して自分の立ち位置を知っておこうと言うもの。


書いていると、なんだか禅の修行にも近いような気もしている。怒りも悲しみも喜びも、あらゆる感情を当たり前に存在する、全体を構成するものと見なし同等に扱う。それら全部合わせて自分なのだと。そうすると、この世界に対する不満もあまり感じなくなったりする、そこにあるのは自分という存在と世界とのインタラクション、そしてそれを見つめる自分。

個人的にはこれを「RPG思考」と呼んでいる。自分をRPGの主人公に見立てて俯瞰しながら、方向を見定めるイメージ。まさに参与者でありながら観察される対象でもある。


友人曰く「この考え方だと俯瞰的になれる上に勇気もでそうだね。東浩紀の『ゲーム化するリアリティ』とも親和性高そう」

私「欠点としては実践が深まっていくについて感情が欠落していく傾向にあるようなので、そのバランスの取り方が大事ですね」


東浩紀さんの本は個人的にエッセイ風のもの以外すんごく難解なのでまだ全然読めてませんが近いうちに読んでみよう。



閑話休題。
昨日、東京芸大准教授のスプニツ子!さんのU25にむけたイノベーションや寛容性を語る動画を見ていて気になった箇所があった。批判するためではなく、あくまで一つの例として。動画で言われていることも興味深く聞かせていただきました。


「トランプ大統領」と「習近平」


さて、どこに違和感があるのでしょう。これ、日本のメディアを見ててもよくあるのですが、なぜか習近平さんは呼び捨てにされることが圧倒的に多い。同じ国を代表する胡錦濤さんが呼び捨てにされてた印象は全くないのに(そういう意味ではトランプさんもオバマさんよりは呼び捨てにされる確率が高いかもしれないけど)。

何が問題かというと、こうした敬称だけをとっても、僕らの認識はかなりステレオタイプ化されていることがわかるということ。スプニツ子!さんご自身は平等や公正、多民族主義などを押してるように見えるけど、実際には自分の主義主張に反する人、民族や国家を無意識に区別して、同時に視聴者にとってのそのイメージを増幅させている側面があることも否めない。

ただこれは誰にとっても常に起こりうる(起こっている)ことで、大事なのはそうした自分の主観的な傾向に如何に意識的になれるようにするか。

僕個人を例にとれば、国内外に中華系の友人が多いこともあり、言論は総じてどうしてもそちら寄り、というかそちらに寛容になる(その人たちの立場から物事を見る)傾向にある。でもだからと言ってそれは悪いことでもなんでもなく、大事なのは、自分が日々の生活の中で大事にしている見方、そしてそこから生じる偏りに自覚的になること。

そうすることで、他者の多少偏った(ように見える)言行にも寛容になれるし、自らの視野を広げ、より広い枠組みの中で自分を見つめられるようにもなる。それは世界との一体感を感じる上でもとても大事なことだと思う。

*ちなみに、この日の使用言語は普通話(標準中国語)、よって、僕の思考が使用言語に影響されている可能性も否定できない。かつて、フランス語をネイティブのように操る英のチャーチル首相が外交の場では絶対に母語の英語を使うと語っていたが、それも高度な政治判断が要求される場で、自分の思考が使用言語の影響を避けるためとのこと。逆に言えば、相手により寄り添うために相手の言語を学ぶ(話す)という方法もある。

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民主主義については、大枠を理解するためにこの本を読んでいる。読みやすく、かつ一方的な決めつけでもない、視野を広げてくれる良書だと思う。

民主主義という不思議な仕組み

まだ読み終わってませんが、どうやらルソーの「一般意志」がポイントになりそうなので、次は東浩紀さんのこれが面白そう。

一般意志2.0

自らの思考の偏りを意識する、という意味では別の折に心理学の方に勧められた内田樹さんの構造主義についての入門本もザ・一般書という感じで読みやすく、今さらながらとても勉強になる。

寝ながら学べる構造主義



あなたと私と私の周りにいてくれる人たちにとって小さくても何か有意義なものを紡ぐきっかけになれば嬉しいです。